第20話 子供の恋

「ケルドルン侯爵は気さくな方でした。ですので基本的には何も問題はなかったのですが……ケルドルン侯爵本人ではなく、そのご息女が……」


 ロザリーはそこで一旦言葉を切る。

 その先に続くのは、ひどい、とかだめだ、とかだろうか?

 直接そう尋ねるのも問題なので、エドヴァルトが遠回しに、


「……どうかしたのか?」


 そう尋ねる。

 間違いなくどうかしたのだろう、ということはわかっているが、他に聞きようがないということだろう。

 これにロザリーは、


「それが……どうも、イグナーツにべた惚れに……」


「なっ……そ、それは……なんというか……」


 エドヴァルトはロザリーの台詞に吹き出しかけるも、とどまる。

 イグナーツというのはロザリーの夫、ファルコの父親である男だ。

 もちろん、この場にしっかりといるのだが、どうも影が薄い。

 

「……笑い事ではありませんよ、義父ぎふ殿。当たり前ですが、私は既婚者です。いくらなんでも無理があります。年齢は……まぁ、貴族というのは、五歳の子供と四十の中年が婚約……ということも珍しくはないでしょうけれど、流石に、ね。そもそも、ファルコとそういう仲になってもらうことを期待していたと申しますのに」


 そう言ったのは、まさに当の本人のイグナーツである。

 見た目はほっそりとした、スマートな雰囲気の男であり、髪はファルコとよく似た赤髪をしている。

 ただ、髪質はさらさらとしていて、目元に身につけた視力を矯正するための魔道具……メガネがよく似合っている。

 学者のような男かな、と予測していたが、まさにそのような男であったわけだ。


「ははは、いや、すまんな……義息子むすこ殿よ。しかしだ、それなら断ればそれで終わりだろうに。いくらケルドルン侯爵が娘をかわいく思っていても、同胞の次期跡継ぎの配偶者を寄越せなどとは言うまい」


「ええ、もちろんです。ケルドルン侯爵も驚かれて、実に申し訳ない、とまでおっしゃられたのですが……当のご息女本人が恐ろしく強情で。絶対に結婚する、と言って聞かないのですよ……」


「まぁ、認めんしな」


 イグナーツの言葉に、ロザリーがはっきりとそう言った。

 思いの外、ロザリーはイグナーツのことを愛しているらしい。

 仲むつまじいのはいいことだろう。


「まぁ、そういうことなら、しばらくケルドルン侯爵家には近づかなければいいのではないか? もし何かの用事があっても、ロザリーが一人で行けばよい。跡継ぎはロザリーなのだし、失礼にもあたらんだろう。理由は……まぁ、ファルコの世話でも私に色々と雑事を頼まれてどうしてもいけないでも、その都度、適当につければケルドルン侯爵も察してくれるであろうし」


 エドヴァルトがそう提案するも、ロザリーが首を横に振る。


「それがそういうわけにも……」


「ん? どういうことだよ」


 ロザリーの言葉に、テオが尋ねると、ロザリーは続けた。

 

「誓って冗談だったのだがな……もし、イグナーツが欲しいのならば、それは妻である私と、息子であるファルコの権利を侵すと言うことだ。つまり、私とファルコにはイグナーツを独占する権利がある。それを侵すというのなら、まずは私とファルコを倒すことだ、と言ってしまってな……」


「姉貴……そういうのはやぶ蛇って言うんだぜ」


「言うな。私だってわかっている。子供だと思って適当なことを言い過ぎたな」


「ってことは、そのケルドルン侯爵のご息女はその提案に乗ったわけか?」


「そうだ……とはいえ、すぐに、というわけではない。私とファルコに勝てる見込みがつき次第、決闘を申し込みにいきます、と言われた……本気かな?」


 首を傾げるロザリーだったが、イグナーツが、


「あの表情は本気だったね。いや、もてる男はつらいなぁ」


 とぼんやり言うと、ロザリーはイグナーツを睨んだ。


「そもそも、お前が変に惚れられるのがいかんのだ」


「そう言われてもね……こればっかりは制御できないよ。人の気持ちなんだからさ」


「確かにそうだが……」


 納得しながらも、文句を言わずにはいられないらしい。

 しかし、そういう話ならあまり深く考え過ぎなくてもいいような気もする。

 俺と似たような結論に達したのか、祖母オリヴィアが言う。


「こう言ってはなんだけど、侯爵のご息女が、ファルコはともかくロザリーに勝てる日が来るとは思えないわ。それを言うならロザリーも伯爵の娘な訳だけど、だいぶ特殊な育ち方をしてしまったから今の貴女なわけだし……」


「母上……確かにその通りかもしれませんが、私という例がいるのです。絶対とは言い切れません……それに今はそれなりの腕だとは思いますが、いずれ衰えていくでしょう。そのときのことを考えると……」


「何年も経てばイグナーツへの想いなんて忘れちゃうと思うけどね」


 オリヴィアが真剣に悩むロザリーにそういうと、イグナーツは額に手を当てて天を仰ぎ、


義母ぎぼ殿、それはあまりなおっしゃりよう! 私の魅力は年月などで褪せるようなものではないと思っておりましたのに!」


 と大げさに嘆いてみせる。

 そんなイグナーツをロザリーが軽くこづいて、苦笑しながら元のしゃべり方に戻り、イグナーツは続ける。


「流石にそれは冗談だけど……もしものことがあるからね。それに、早めにそんな想いは忘れてもらわないと、ケルドルン侯爵との仲が悪くなる可能性もあるし……何かいい方法はないものかと悩んでいるのですよ」


「確かに、そうね……あぁ、単純だけど、他の人に惚れさせる、とかはどうかしら? 恋を忘れるには新しい恋と言うじゃない。そもそも、どうしてそのご息女はイグナーツに?」


 オリヴィアの質問に、イグナーツは首を傾げつつ、


「なんだったかな……?」


 とロザリーに尋ねる。

 本当に覚えていないらしく、ロザリーがため息を吐きつつ、答えた。


「……無自覚か。あれはな、パーティー会場で転びかけていたご息女を、お前がふわりと抱き留め、そして『お怪我はないですか、お嬢様?』と笑顔を差し向けたからだ。そのときのご息女は実に目がきらきらと輝いていたぞ」


「……あぁ、あのときか。あれくらいで?」


「お前は……昔からそれだものな……」


 ロザリーは頭を抱えた。

 どうやら、イグナーツは天然の女たらしなのかも知れない。

 ロザリーをひっかけるのだから、その威力は絶大なものがあるのだろう。

 

「では、ファルコにそれをやってもらうのは? 同じことじゃなくても、近いことを、うまく演出して……」


 オリヴィアが提案するが、これにはロザリーが首を振った。


「我が息子のことです。私はよくわかりますが、ファルコはそういうことには徹底的に向いていません。まぁ、もしかしたら無意識にならやることもあるかもしれませんが……意識的に出来るタイプではないです」


「あら、残念ねぇ……でも、そうすると……じゃあ、テオは?」


「俺がやってどうするんだよ。俺だって既婚者だぜ」


「それもそうね……となると……アインは?」


 ……大人たちの目が、俺に集中した。

 隣ではバクバクと食事をとっているファルコがいる。

 確かに、ファルコには無理そうだ、と思った俺だった。

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