1.5 ビスク・ドール

 お店の中には棚が三列並んでおり、それぞれに人形が行儀よく座らされていた。ただ、すべてが同じ人形ではない。服装も違えば、顔立ちも髪型も違う。ただ、共通しているのは、すべての人形が美しいということだ。

 いや、人形というより、ドールなのか。

「ビスク・ドール、もしくはアンティーク・ドールというんですよ」

 神尾直登かみおなおとと名乗った美少年は、説明しながら店内を歩いた。

「ビスク・ドールはフランスが有名ですけれど、発祥はドイツなんですよ。それがフランスで19世紀に貴婦人の間で流行したんです。作家さんもやっぱりその頃の作家さんが有名ですよね。ジュモーとかブリュとか」

 やばい。

 うれしそうに話してくるけど、さっぱりわからないし、興味がない。

 美心は、にこにこしながら内心困惑していた。

「アンティーク・ドールはどうしても値が張ってしまって、お金持ちの道楽みたいに思われがちなんですよね」

 いや、思うほど認知していないです。

「実際、当時の彼らの作品なら数百万しますからね」

「そんなにするの!?」

 つい、美心は反応する。

 お金の話だけ食いつきがいいなんて、はしたない、と美心は頬がカッと熱くなるのを感じた。

 まぁ、マニアというのはいるものだ。特にアンティーク・ドールなど骨董品の類は信じられない値段がついても不思議ではない。

「骨董品というには、まだ歴史も浅いと思うんですけどね。まぁ、それはさておき、ここで展示している子達は、皆、瑠璃丸さんの手によるものです。だから、というのもおかしいですが、お値段もお手頃ですよ」

 ふーん、と返しながらも、美心は特に納得していなかった。

 だって、値札がないんだもん。

 美心もアパレルショップでバイトをしていたことがあるけれども、笑顔でお手頃ですよ、というときは、たいていお手頃ではない。

 本当にお手頃の品は勧めなくても勝手に買っていく。

 たしかに高級そうなドールではあるが、どのくらいが相場なのだろうか。一万円はさすがにしないだろうが、5千円くらいが妥当かな。

 きらきらと目を輝かせる直登は、サッと手を掲げた。

「この棚の品は、8万円台なんです!」

 あ、帰りたい。

「へ、へぇ。お手頃ぉ」

 どこが?

 この美少年の金銭感覚がおかしいのだろうか。それとも美心の貧困が激し過ぎるのだろうか。

 ビスク・ドールの相場にしてはお手頃ということなのだろう。言われてみれば、量産されるような代物ではないのだから、単価が高いのは当然だ。

 しかし、そうとわかれば、美心がここにいる理由は皆無と言っていい。

 美心の予算は5千円である。一応、倍までは考えていたが、直登が提示した額は完全に予算オーバー。

 帰りにマッサージにでも寄って、さっさと寝よう。

 うん、そうしよう。

 直登の言葉に、ぽっきりと心が折れた美心は、もはや彼の述べるうんちくを聞き流していた。

「おい、直登。無駄なことはよせ」

 そこに無骨な声が割って入ってきた。

 台の方を見ると、瑠璃丸がつまらなそうに肘をついていた。

「そんな貧相な女が、ドールに金を出せるわけないだろ」

「なっ!」

 内心を言い当てられた気まずさと、瑠璃丸の険のある言い方への腹立たしさで、美心は言葉に詰まった。

「何てこと言うんですか。だいたいお金も持たずにお店に来るわけないでしょ」

「いや、その女、物見遊山だぞ。今、値段を聞いて驚いていた」

 さすがに美心は顔を逸した。

「でも、高そうな服とかバッグですよ」

「金の話じゃない。心が貧相だって言ってんだ」

 もう、こいつ殴っていいよね?

 いわゆる正当防衛だ。言葉の暴力というのは、物理的な暴力よりも時に人を傷つける。今がまさにそのときであり、美心の我慢は限界に達していた。

「そんなことないし! 買うし! 余裕で買うし!」

 だから、ついうっかり、美心は口を滑らせた。

 まさに売り言葉に買い言葉である。

 仮に、彼らが狙ってやっていたのであれば、あまりにうまい手口だ。大見得を切ってしまった手前、もはや買いませんとは恥ずかしくて言えない。

「ありがとうございます! ほら、瑠璃丸さん。買ってくれるって言ってますよ。きっと瑠璃丸さんのドール達があまりにきれいだから、気が変わったんですよ」

「ふん。どうだかな」

 それ以上、瑠璃丸も否定はしなかった。

 やはり、自分の作品を欲してもらえるというのは、うれしいものなのだろう。

 ただ、実際のところ、瑠璃丸の言うとおり、まったく買う気はなかった。ここにいるのが瑠璃丸だけならば、やっぱりいらない、さよなら! と言って店を出ただろうが、にこやかに微笑む直登を見ていると、そうもいかない。


 どうしよー。


 目を泳がせる美心の心境を察してか察せずにか、直登は、ごゆっくり、と笑顔を見せてくる。

 仕方なく、美心は8万円棚を眺めながら、どうやって逃げ出そうかと考えた。

 決して、せせこましい置かれ方はしていない。ゆったりと座り込んでいる彼女達は、その無垢な瞳でこちらをみつめている。

 まぁ、これでぎゅうぎゅうに押し込まれていたら、それこそホラーだけれど。

 ただ、決して彼女達は買ってくれと懇願したりはしてこない。

 じっと何も語らず、美心の動向を見守っている。

 何とも冷たい目をしておられるな。

 他のドールもそうだが、彼らはどうしてそうも虚な瞳でいるのだろうか。いや、ドールだからなんだけれども、もう少し笑ってくれてもいいものを。

 と、そのとき、美心は気づいた。


「このドール、顔が違う」

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