1.3 来訪者

 こほんと咳払いしてから、美心は口を開いた。

「こ、こんにちは。ここって、瑠璃色工房ですよね?」

 先程の失礼な発言は聞こえなかったことにした。

 実際に聞き間違いかもしれないし、向こうの機嫌がわるいだけかもしれない。

 こういうところで騒動を起こすと、すぐに拡散されるし、イメージを落としたら仕事がこなくなる。

 こんなことで、一々腹を立てていられない。

 外面モードを全面に展開して、美心は笑みを作った。

「ちょっと見ていってもいいですか?」

「だめだ、帰れ」

 

 ……え?


 ぱちくりと目を瞬かせて、美心は聞き返した。

「あ、その、今日はお休みでしたか? でしたら、また日を改めて」

「二度と来るな」

 え?

 聞き間違い?

 いや、聞き間違いだよね?

 だって、私、お客さんだよ?

 美心は、混乱する頭で男の顔を確認した。

 別にふざけている様子もないし、至極自然で、かつ、心底不機嫌そうな視線をこちらに向けていた。

「あの、サイト見て来たんですけど、ここって、瑠璃色工房じゃなかったですか?」

「あぁ、もう、それでいいからさっさと帰れ」

 何、こいつ、むかつく!

 外面モードで笑顔の仮面は付けたままだが、心の中で中指を立てた。

 SNSに投稿してやろうか。逆に!

 いやいや、怒るな。

 美心は、必死に自らを落ち着かせた。これはチャンスだ。自分は今、レアな体験をしている。おそらく、こんな人形屋敷に足を踏み入れたモデルは、そういないだろう。

 少ないということは、そのまま価値だ。

 それに、お宅拝見のコーナー、やはり人形は正解だ。

 こんな本格的な人形を家に飾っておくモデル。何か、こだわっているっぽいし、今までに見たこと無い。

 いける!

 そしたら、なんとしてもこの店番を説き伏せて、人形を手に入れなければ。

 だが、どうすれば、この店番を説得できる?

 はっきり言って取り付く島もないのだが。

 ふむ、と美心は少し考え、気は進まないが、一言添えた。

「あの、実は私、モデルやっていて、轟みこって名前なんですけど、聞いたことありませんか?」

「ない、帰れ」

「……テレビにもちょいちょい出始めていて、SNSのフォロワーとかもけっこういるんですよ。もしよかったら、このお店紹介させていただけたらな、と思って」

「いらん、帰れ」

「……ちょっと紹介するだけで、けっこう効果あるんですよ。私の友達がやっているブティックがあるんですけど、私が紹介した途端にお客さんがけっこう増えたってすごい感謝されて」

「黙れ、帰れ」


 あ、殴りたい。


 頬の筋肉が下がりそうになるのを必死に堪えて、むりやり吊り上げ、笑みを維持する。

 何なの、こいつ?

 帰れ以外の言葉知らないの? バカなの?

 この男よりもきっとチンパンジーの方が知能指数が高いに違いないと、心の中で蔑み尽くした後に、再度口を開いた。

「あの、ここって、あなた一人でやっているんですか? 他の人は、あ、そうだ、瑠璃丸るりまるさんは、いらっしゃいますか? 私、瑠璃丸さんの作品に惹かれてここに来て」

「不在だ、帰れ、ブス」

 ぷちんと、美心は線の切れる音を聞いた。

「……あの、さっきから失礼じゃないですか?」

 気づけば美心は声に怒りを乗せていた。

 けど、もういいやと開き直る。聞けば、この男は、職人の瑠璃丸ではないようだ。とすれば下っ端。そんな輩の失礼な態度をこれ以上見逃す必要などない。

 これまで溜まっていた鬱憤を吐き出すように、美心は続けた。

「だいたい、人が下手に出ていれば調子に乗って! それがお客に対する態度!? 客商売なめんじゃないわよ!」

「おまえを客とは思ってない」

「なっ!」

 平然と返してくる店番に、美心はカッと頭に血が登るのを感じた。

「客よ! 買いに来たの! 人形を! こんな寂れたお店に、はるばる山を超えて! 見て! ここ、もう踵が真っ赤!」

「いい運動になっただろ」

「そんな話してないでしょ! もっと感謝しなさい、って言ってんの!」

「自分で言うとは徳のない奴だ」

「あんたが言わないからでしょ!」

 ぜぇぜぇと肩で息をして、美心はつい声を荒げてしまった。

 しかしながら、店番はまったく動じることがない。これだけ相手が怒っているというのに眉一つ動かさないとは、この男こそ人形なのではないだろうか。

「もう! 頭きた! SNSに書くからね! この店の評判だだ下がりだからね! 覚悟しておくのね!」

「勝手に書け。そんなものに興味はない」

「本当に書くからね! 謝るなら今の内よ!」

「うるさいな。いいから帰れよ」

「んもぉ!」

 言葉にならない苛立ちの声をあげて、美心は地団駄を踏んだ。

「何だ? 人の言葉もしゃべれなくなったのか?」

「あんた、本当に性格わるい!」

「顔も姿勢も言葉もわるいおまえには言われたくない」

「こ、ん、の、根暗野郎!」

 拳を握り込んだ美心が、ついに物理的手段に出ようかと思い至り始めた、ちょうどそのとき、からんころん、と来訪者を告げる鐘が鳴った。

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