吸血娘の百戦錬磨

関谷光太郎

第1話 闇は歌う

 わたしは、ゆすられている。


 しかも、今日会ったばかりのクラスメイトに。

 

 これってなにかの罰なのか?


来夢らいむちゃん。金貸してくんない?」


 一緒にお茶でもと誘われたファミレスで、彼女は注文したステーキセットをバクバクと頬張りながら言った。

 

 わたしの方は、ホットコーヒーだけ。

 

 なんで自分だけガッツリ食べているんだ!


「なんでわたしなんですか。お金が必要なら親に言えばいいでしょう」


「親なんて当てにならないよ。ほら、よく言うだろ。可愛い子は谷底に叩き落せって」


「それ、言葉が混乱してますよね」


「わたしに語彙を求める方がどうかしているのよ」

 

 がちゃがちゃとナイフとフォークが音をたてる。

 

 本当に汚い食べ方で、せっかくの料理が台無しだった。学生服のブラウスにソースが飛ぶのもお構いなしなのだ。


「もう一度聞きますよ。なんでわたしなんですか?」

 

 奴は食べる手を止めてこちらを見つめて来た。肉汁まみれの唇がやけに赤い。


「美味そうだからだよ」


「はぁ?」


「来夢ちゃんは美味そうな身体をしてると言っている」

 

 思わずわたしは席を立った。


「おいおい、なにを勘違いしている。うちらは女同士だぞ」


「じゃ、どういう意味なんですか?」


「そのまんまの意味だ。来夢ちゃんをこのステーキみたいに喰っちまいたい」


「馬鹿にしないでください! わたし帰ります!」

 

 奴は慌てて立ち上がり、わたしの腕を取った。


「いや、それはマズイ! ここの払いも頼まなきゃいけないんだから」

 

 わたしは口をあんぐりと開けたまま立ち尽くした。


 この転校生は、ヤバイ奴だ。

 

 ◇◇◇


「いやあ、食った、食った!」

 

 わたしが、ファミレスで会計を済ませて表へ出た途端、奴は言った。


「本日初めての飯だから、最高にうまかったわ」


「あの」


「なに?」

 

 わたしはファミレスの領収書を奴に突きつけた。


「これ、あなたの食べた分はキッチリ返してもらいますから」


「おいおい。それはないだろ」


「なに言ってんですか! あくまでも立て替えただけです。そもそも、あなたをおごる義理もお金を貸す義務もありませんから!」


 奴は悪びれることもなく、むしろ胸を張ってわたしを見下ろした。


「知らないってのは怖いよねぇ」


「なんのことです?」


「あたしがこの街に来たのは、あんたを守るためなんだぜ」

 

 また、突拍子のないことを言い始めた。本当はたかることだけが目的のくせに、これ以上の能書きが必要か?


「これまでは、あんたに気づかれないようにやってたようだけど、あたしは違うんだ。ちゃんと宣言してその労力に見合う対価をいただく!」


「あの、一方的な話で意味が分からないんですけど」


「当然だ。あんたは自分の価値も、その役割さえ知らないからな」


「価値? 役割?」

 

 奴の瞳が妖しく揺れる。

 

 なんだかぞっとした。人ならざる者の目。そんな気がした。


晴嵐学園せいらんがくえんをはじめ、この街に吹き荒れる禁忌は半端ねえ。その中心人物があんたなんだよ。ほんと自覚ないだろ?」

 

 わたしは身の危険を感じた。この人は尋常じゃない。


「あんたを怖がらせないように極秘裏に守ってきたけどもう限界だ。最近じゃ周囲からのパワーが恐ろしいほど強まっているからね。こっちも命がけってことなんだ」


「あの……わたしを守るって、なんで?」


 突然、奴が私の腕を取った。


「な、なに?」


「この腕」奴の表情が恍惚感でゆがむ。


「この白い腕に流れる血だよ」


「血?」


「あんたの身体に流れる血は、無限力むげんちからを持っている。この血を体内に吸収した者は更なる力を得て無敵の存在になると言われているんだ。だから、あらゆる魔物たちがその血を求めて現れる」

 

 言いながら奴は、たらりと涎を滴らせた。


「き、汚い!」


 わたしは慌てて腕を引いた。


「なにが汚いだよ!」


 抗議する奴の口が大きく開いた。


 わたしは見逃さなかった。奴の口に光る大きな牙を。


「あ、牙!」

 

 素早く両手で口をふさいだが、もう遅い。


「あのね。いくらお金が目当てだからって、そんな牙のおもちゃまでつけて脅そうなんて通用しないわよ」


「なんだ? 冗談だというの?」


「当然でしょう! こんな与太話、誰が信じるもんですか」

 

 わたしは、奴の顔をひたと見据える。


「血だとか魔物だとか、吸血鬼アニメでも演じてるつもりなの? 中二病ですかあなたは? どうなの、荒屋敷あらやしき なぎさん!」

 

 奴――荒屋敷 凪は右腕を天に掲げた。


「嬉しいじゃない。あたしの名前を憶えてくれていたのね。そのお礼と言ってはなんだけど、現実を見せてあげるね」


 凪の腕が天で円を描く。


「さあ、結界の解除だ!」

 

 その途端、周囲からうめき声が聞こえ始めた。それは地の底から湧きあがる無数の怨念の声だった。


「これは……」


「これは闇に潜む者たちの歌だ」


「……闇……歌?」


「闇は歌うんだよ。新鮮な血を求めてな」

 

 気がつけば、周囲の人々の動きが止まっていた。人々だけではない。街そのものの時間が静止しているのだ。

 

 わたしは完全に混乱していた。こんな漫画かアニメのような現象が目の前で起こっている。どんなに否定をしても、直に体験していることを無視することはできない。


「あっ!」


 足元が揺れた。堅いアスファルトの一角が、液状化するようにぬるぬると渦を巻き始めると、その中心から何者かが現れた。


「覚悟を決めるんだね。これからは知らないでは済まないんだよ、間宮来夢まみやらいむちゃん」


 わたしの体内で、血が騒いだ。

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