こうしていま私は
こうしていま私は私についてなにごとかを語りだしたわけだが、にもかかわらずその語りの先に私はない。私が私と言うことによって、この言われた私は私の代わりに私をひき受ける。私という語句はそれ自体が私の代理であり、私の名指しそのものを指している。それは私によく似ているが私では決してなく、この名指しの対象からも私はこぼれ落ちる。私は余剰であり、名指しえず、名指すには名指さないことを、あるいはすべてを名指したその余剰をもってあたるよりほかない。
もっともいつでもこう考えることはできる――それはたんにまだ見いだされていないだけのことかもしれない。もし私たちがあらゆる対象を見いだすことができ、あらゆるものを言葉によって名指すことができるなら、そうしたことはたしかに期待しうる。けれども私にとってそんな期待などいったいなんになるだろう。もし私が見いだされうるのならすでに見いだされていなければならない。なぜならそのような側面において私が本質的変化を蒙ることはもはや見込めないからだ。私の生存時間は十分に経過しており、私に起こるべきことはすでになんらかのかたちで起きているし、残されているのはせいぜいのところこれまでの二倍程度の時間にすぎない。
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