これから語られるものは
これから語られるものは思想ではなく、おそらく思弁でさえない。それは言ってみれば、私という一個人における内的真実のつたない吐露であり、その貧弱な経験のすべてをどうにか要約したものであるにすぎない。私としてはあまり冗談ではなくそれをひとつの真実とみなしているけれども、私でないものたちにとってもそれが同様に真実だと断言することはできない。そのような断言は私には厳格に禁じられており、しばしばそうであると夢想することさえ困難である。にもかかわらず私がこれを語るのは、ひとつはこの身にふりかかるさまざまな出来事を私がいまもってうまく理解し、処理することができないためであり、もうひとつは私の内的真実なるものを語りだすことによって、誰かに私を見いだしてほしいというまったくあてのない願いからきている。
そのようにして私はこれから私のすべてを、それが文字どおり私のすべてであることを厳粛に祈念しながら語るわけだが、それは先にも述べたように同時に要約である。私とは要約可能なまでに乏しいというのは私の真実のひとつの側面だが、この要約可能性はこれから語られるものにあってはその前提である。私のすべてとは文字どおり私のすべてであり、それは私の全存在、全経験、全知識、全歴史、すくなくともそれに匹敵するなにごとかだが、これらの個別具体的な事実関係や社会的文脈がここで語られることはない。なぜなら要約である私それ自体というのは、これらの個別事情の総体とは直接の関係はないのである――もちろん物理法則の具現であるひとつの剛性球体の落下運動がその挙動を支配する法則そのものと決して無関係では済まされないという程度の関係はあるのだが。けれども法則に完全に即してふるまうこの球体落下という瑣末で典型的な事象までもが法則そのものの責任のもとにあるわけではない。ある法則のもとに世界が駆動するとき、世界はたまたまその法則を参照しているにすぎないのであって、たとえまったく別の法則が採用されたとしてもその代替がいみじくも法則としての完全さを持ちあわせているならば、世界はやはり世界としてつつがなく営まれてゆくにちがいない。たしかに法則による世界の拘束とそれによる可能性の貧困とは歴史の厳粛なる前提であるかもしれないが、それでも歴史とはそれ自体が独立したひとつの巨大な営みなのであって最小を旨とする法則そのものとは区別されたものなのである。
私がこれから語ろうとするのは、私のいう私の無関係とはだいたいにおいてそのようなものであり、それによって私のすべては決定づけられているといったことである。すなわちこれは私の要約のようなものであり、そもそも私とは要約のようなものなのだが、私としてはこのような構成の是非や適確さ、意味の有無やその意義について即断せず、まずはこの要約をできるだけ精確に語ることだけを企図したい。なにしろ要約のようなものにすぎない私にはそのような小さな試みさえうまくやりおおせるかどうかおぼつかないのだから。
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