#5 『マスター』としての最初の仕事は
二度目の高校一年のゴールデンウィークが明けた頃、同じクラスのコミヤマが相談を持ちかけてきた。
コミヤマも、タカナシと同じく中学の頃からの知り合いだ。そして、彼も中学ではサッカー部に所属していた。高校では確か別の部に入っていたはずだ。
相談というのは、簡単にいうと恋愛相談だった。
思い出した。そういえば、コミヤマは、一年のときに同じクラスの女の子に告白して、あえなく玉砕していたんだ。俺とタカナシもその場にいた。
「で、どう思う?」
放課後、教室の最後列の俺の机に両手とあごを乗せてしゃがみ込み、中途半端な体勢のまま、コミヤマが小声でささやいた。
「正直にいっていいか」
「お、おう」
「お前、ぜったい振られるぞ」
コミヤマはがっくりとうなだれた。ただでさえだらしのない格好が、ますますだらけてしまっている。しゃきっとしろ、といいかけて俺は言葉を飲み込んだ。ふつう、高校生男子は友達にそんなことはいわないだろう。世代間のギャップというものを、俺は既に何度も実感していた。
例えば、このコミヤマの恋愛話にしてもそうだ。
今の俺の感覚からすると考えられないことだが、元の時間線では、コミヤマは好きな女の子に、なんと、電話で告白した。
そして、あえなく振られた。
当たり前だ。
これまでそんなに親しくしていなかった相手にいきなり電話で付き合ってくれといわれて、はい、と答える女の子がどこの世界にいるというのだ。
しかし、メールもチャットもない当時の俺たちには取れる選択肢が限られていたし、そもそも女の子の気持ちを考えるだけの頭はなかったのだ。試しにコミヤマに尋ねてみた。
「お前、どうやって告白するつもりだ」
「どうって……。面と向かっては恥ずかしいから、やっぱ手紙か電話か――」
「だめだ」
「え。だめ?」
「まず、いきなり告白するな。コミヤマ、その――ええと、誰だっけ、相手の子」
数人を除いて、高校時代のクラスメイトなんてすっかり忘れてしまっていたが、この一ヶ月で顔と名前はほぼ覚えることができた。
「ミシマさん」
「そう、その、ミシマさんと話したことあるのか」
「まあ、少しなら」
「少しって、どの程度。ミシマさんのどういうことを知ってる」
「あー、マッチが好きで、トシちゃんはあんまり好きじゃない」
俺はため息をついた。
「いいか。最初にいっておく」
俺はとっさに以前読んだラノベの主人公の口癖を真似ていた。
「とにかくミシマさんと会話をしろ。仲良くなれ。で、相手のことを知るんだ。何が好きなのか。アイドル以外でだぞ。好きな食べ物、好きな色、音楽、映画、何でもいい。同じく、何が嫌いなのか。そういうことを……」
俺の言葉の途中でコミヤマはぶるぶると首を降り始めた。
「そんなの無理だよ。むちゃくちゃ話さなきゃならないじゃん」
「当たり前だ」
「そんなの無理だから、勇気出して告白しようとしてるんじゃん」
俺は頭を抱えた。コミヤマ、それは順序が逆だろ。でも、そういうものなのか、高校生の恋愛というものは。いや、これは恋愛でさえない。とにかく誰かと付き合いたい、それだけだ。まあ、そういうものかもしれない。そして、それでいいのかも。
「わかった。でも、いきなり電話で告白はまずい。ミシマさん、部活は?」
「うーん、確かまだ入ってないはずだけど。あ、でも、友達から文芸部に誘われてるって聞いたことが……」
文芸部の部室はSF研究部の隣だ。
「その友達は」
「あ。あそこで、一緒にいるタバタさん……」
教壇のすぐ前の席あたりで、女子生徒がふたり立ち話をしている。ミシマさんと友達のタバタさんだ。タバタさんは手に本を持っていた。よし、チャンスだ。
「きっかけは作ってやる。ちょっと待ってろ」
俺は自然な感じで二人のそばを通り過ぎようとしてふと立ち止まり、タバタさんに話しかけた。
「あ。ねえ、タバタさんってさ、確か文芸部だよね」
「え? うん、そうだけど」
「実はさ、ちょっと助けてほしいことがあるんだ。友達からおススメの本ないかっていわれたんだけど、思いつかなくて。できればスポーツを題材にした小説で、なんか思い当たるもの、ないかな」
「うーん。そうねぇ」
「あー、友達って、コミヤマなんだけど」
俺は、相変わらず俺の机の脇にぶら下がっているコミヤマに手を振った。
「おーい、コミヤマ、こっち来いよ」
コミヤマは一瞬驚いた顔をしたが、立ち上がってこちらに歩き出した。
「ミシマさんも文芸部だっけ」
「私はまだ。迷ってるの」
「部活はやったほうがいいよ、絶対」
力を込めていった俺の言葉を聞いて、タバタさんが俺に尋ねた。
「そういえば、スグロくんって何部だっけ」
「SF研究部」
「――って確か、うちの隣の?」
「そう」
「あそこって、まだ活動してるの?」
「一応ね。俺以外はほとんど幽霊部員。でも、文芸部はうちと違ってしっかりした部だから、ミシマさん、迷ってるなら入ったほうがいいよ」
「へんなの。よその部に勧誘?」
タバタさんが笑って俺にいった。
「まあ、確かに変かも。でもぜったいそのほうがいいと思うよ」
俺も笑ってミシマさんにいった。
やがてコミヤマが加わり、俺とミシマさん、タバタさんの三人は、コミヤマに勧める小説をああでもない、こうでもないと話し合った。
「山際淳司なんてどうかな」
と言った俺にタバタさんが答えた。
「『スローカーブをもう一球』。定番よね」
うん、さすがは文芸部だ。
「野球でいいの?」
とミシマさんがコミヤマに尋ねた。
「え。ああ、いや何でもいい……みたい?」
コミヤマはしどろもどろになっている。俺に訊いてどうするんだ。
「お前、さっき何でもいいっていってたじゃん。ええと、ほら――」
俺は必死に次の候補を探した。
「村上龍でテニスの話なかったっけ」
という俺の言葉に女の子二人は首をかしげた。
「さあ」
「知らない」
あれ。『テニスボーイの憂鬱』はまだ出ていなのか。しまった。
「ごめん、勘違いかも」
「テニスなら、あれどうかな、宮本輝の……」
とミシマさん。
「ああ。『青が散る』か」
俺の言葉に、タバタさんもうなずく。
「うん。なるほど、いいかもね」
そんな俺たちのやりとりをコミヤマは基本的にふんふんと聞いていた。
コミヤマは当然のことながらこれまで小説なんて読んだことがなく、俺と女の子たちの会話はほとんどちんぷんかんぷんだったはずだが、それでも時おりヘンな突っ込みを入れて、彼女たちから笑いを取っていた。よしよし。
結局、タバタさんとミシマさんがあとで適当に部室からみつくろって、コミヤマに本を紹介することになった。たぶんこのままミシマさんは文芸部に入部することになりそうだ。
「で、スグロ。ここからどうすれば……」
文芸部の部室に向かった彼女たちを見送ったあと、俺たちは昇降口に向かった。
「ミシマさんはたぶん文芸部に入るから、本の話で仲良くなれ。そういえばコミヤマ、お前部活はどうするんだ」
「迷ってる」
「サッカーは」
「タカナシみたいに上手くないからな。うちのサッカー部、結構強いからさ、俺じゃたぶんついていけないよ。お前こそ、てっきりサッカー続けると思ってたぜ。タカナシといい勝負だったじゃん」
「ん。まあ、ちょっと思うところがあって……って、いや、俺の話はいいんだよ。お前、まだクラブ決めてないだったら、文芸部に入れ。それが一番手っ取り早い」
「でも、俺、小説なんて読んだことないし。それに文芸部って、男子はほとんどいないんだぜ」
「男子が少ないなら余計にチャンスじゃないか」
「でもさ、そんなクラブに入ってる男なんて、もてないだろ」
俺は再び頭を抱えた。
「お前はミシマさんと付き合いたいのか、それとも、もてたいのか、どっちなんだ」
「そ、そりゃあ、ミ、ミシマさんと、つ、つ……」
コミヤマはしどろもどろになっている。何てわかりやすいんだ。
「あー、わかった、わかった。じゃあ、文芸部に入るかどうかは別にして、とりあえず本は読め。無理やりにでも読め。意味がわからなくても、理解できなくても、とにかく読め」
「お前さぁ、そんな、人をバカみたいに……」
「ミシマさんのこととは関係なく、本は読んでおいたほうがいいんだよ。特に、お前たち――いや、俺たちみたいな年齢のときにな」
「お前は昔からよく本読んでたもんな。そういえばさ、中学のとき、みんなの読書感想文、お前が一人で代わりに書いてくれたよな」
そうだ。そういえば、そういうこともあった。
「ジュース一本だったっけ」
「うん。ファンタの小瓶な」
「安いな。一リットルにすればよかった」
「どんだけ飲むんだよ」
俺たちは笑いあった。下駄箱から運動靴を取り出しながら、コミヤマはいった。
「わかったよ。文芸部に入部してみる」
「よし。明日、さっそく入部届けを出せ。なんなら、ミシマさんも誘ってみろ。彼女のことは……あとは、まあ頃合いを見て、だな。またアドバイスしてやる。どうした?」
コミヤマがじっと俺の顔を見ている。
「スグロ、お前なんか雰囲気変わったな」
「そうか?」
それはそうだろう。なんせお前の目の前にいるのは四十九歳のおっさんなんだから。
「気のせいだろ」
そんな俺の言葉にあまり納得していない表情のコミヤマと別れて、俺はひとりSF研究部の部室へ向かった。
翌日、コミヤマとミシマさんは一緒に文芸部に入部し、その後の俺のアドバイスが功を奏したのか、ふたりはめでたく付き合うことになった。
かつて俺がいた時間線では付き合わなかったふたりが、この時間線では付き合うようなった。人の生き死にとはいかないまでも、俺はふたりの人間の運命を変えることができた。その事実は、ほんの少しだけ俺をほっとさせた。
そして、これが俺の『マスター』としての最初の仕事となった。
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