3−2
聡介はさらにもう一日寝込み、次の朝。
いつもより早く起きた聡介は、ソファーで眠りこけているヒトミを起こした。
「早いな、聡介。身体はもういいのか」
「ああ。今日から店を開ける。その前に、話がある」
そう言って聡介は床に胡座をかく。白いシャツの袖をまくり上げ、腕をヒトミの前に掲げる。
「これは、なんだ?」
聡介の前腕には赤い輪があった。傷ではない。痛みもなければ、かさぶたもない。五ミリほどの太さの線がくるりと一周している。まるでマーカーで描いたようだ。
「風呂で擦っても落ちない」
「あー、ダメダメ、擦っちゃ! これはね、正義の味方の証。ちょっと待って」
ヒトミはごそごそと小さなバッグの中を探り、銀色のバングルを取り出した。
「ちょっとチクッとするけど我慢してね」
言いながら聡介の腕を掴み、バングルを開いて嵌めようとする。
その内側に針のようなものが見えて、聡介は慌てて振り払おうとした。
「えっ、待っ……何すんだよっ!」
だが遅かった。
バチン、と音がして、針が肌を破る。
「いって! なんだよこれ」
「えっと、変身アイテム的な? この赤い石をスライドさせると変身できるから」
ヒトミは指先で動作を示して見せる。バングルには細い溝があって、一粒嵌まった宝石をスライドさせるギミックがあるようだ。
「いやいやいや! 外せよ、困るから! うちは飲食店なんだ、こんなでっかいアクセサリー着けられない」
「アクセサリーじゃないよ。それに、お店で着ていたシャツは長袖でしょう」
「腕まくりするときもある。それに、半袖が着られないじゃないか。これから暑くなるのに」
「えー。このバングル、ファッション性も高いと思うんだけどー」
「そういうキャラじゃないから!」
ファッションには疎いがTPOは重んじる主義だ。飲食店で大きなアクセサリーを着けるのは好ましくない。それに普段着だって地味だし、こんな目立つバングルなんて絶対合わない。
清潔感があって無難が一番。それが聡介のファッションに対する考えだった。
「風呂とかどうすんだよ」
「もう! 細かい、聡介は細かいよ!」
苛立たしげにヒトミは言うが、こっちだって苛々している。
「細かくない! 俺にとっては大問題だ。外せ」
「外しても聡介の力は失われないよ。力の制御に必要だから、外しちゃダメ」
聡介はため息をつき、がくりと項垂れる。
力の制御? なんだ、その夜中にやっているアニメみたいな設定は。
埒があかない。聡介は話題を切り替えることにした。
「あんたは何者なんだ。どこからきた、何が目的だ」
「ええー。説明するの?」
面倒そうに口を尖らせるヒトミだったが、聡介が睨むと、仕方ないといった様子出方を竦める。
「わたしはリベラという国からきたの。夫はその国の王様。息子を救うためにこの町にきた。これでわかった?」
「わかんねぇ……」
「だからぁ! この町が侵略されそうだから、正義の味方を探しにきたのよ」
聡介は頭を抱える。
話が下手なのか。それとも、何かはぐらかそうとしているのか。
忍耐力を総動員し、聡介は根気よくヒトミに質問をした結果、話を整理するとこうだ。
ヒトミは別次元の世界からやってきた。そこはいくつかの小国で成り立っていて、彼女の夫はそのうちの一国、リベラの王だ。
王とヒトミの間には幼い息子がいるが、戦士として育てるために生まれてすぐ取り上げられた。
リベラでは侵略計画が進んでいる。その足がかりとしてこの町がターゲットにされた。
この町が陥落すれば計画はさらに進む。ヒトミはそれを阻止したい。息子を戦線に駆り出させないように。
「本当はわたしが戦えればいいんだけど、向いてないんだよねぇ。わたしって頭脳派じゃない?」
知らねーよ。そう口を突いて出そうになるが、なんとか堪えた。
「だから、こっちの世界で戦える人がいればいいなって」
侵略を阻止しこの町を守ろうという目的は非常にありがたい話ではあるが。やはり適正を見誤っているのではないか。
確かに変身後の戦闘力は人間とは比べものにならないくらい高かったかもしれない。精神も、戦闘用にシフトしたような感じだった。
だが、変身を解いたあとは普通の人間だ。一度戦っただけでこの体たらくだ。
あいつは出直すと言っていた。寝込んでる間に襲撃されたらひとたまりもない。
「なんでそれが俺なわけ?」
「だって、聡介好きなんでしょう? 正義の味方」
「……なんでそう思うんだよ」
ヒトミは答えずににっこりと笑い、壁面に飾られたフィギュアを見る。
趣味でこんな物を集めている奴くらいいくらでもいる。ここにあるのは有馬の所有物が大半だし、彼の家にはもっとたくさんのフィギュアが並んでいる。
ヒーローへの情熱ならば、有馬のほうが適任ということになる。身体能力がもっと高い者だっているだろう。格闘家のほうが肉体的には向いているだろうし、正義感でいえば、警察官や自衛隊員だっていいはずだ。
どうして、こんな下町の喫茶店のマスターなんかを選んだんだ。
「誤魔化さずに言えよ。なんで俺なんだよ」
声を荒げないように深呼吸し、聡介はさらに問う。ヒトミはしばらく何か考えるように視線を彷徨わせたあと、まっすぐに聡介を見た。
「間違わないと思ったから」
「何を」
「力の使い方を」
「なんだよそれ……」
聡介は自分の手のひらを見る。ぐっと握り締めてみても、あのときのような力は感じない。
力の使い方を間違わない——堅実そうだと評価されたのだろうか?
悪い気はしないが、そもそも堅実な人間は超人的な力など欲しない。
聡介は時計をちらりと見た。開店時間が迫っている。それまでにもう少し具体的な話をしなければならない。そう思い、聡介は話題を変えた。
「あんたはどうするんだ。これから」
「しばらく世話になる」
「ここで?」
聡介が不快を隠せず尖った声で問うと、ヒトミはソファーを降り床に正座をした。そしてどこで覚えたのか、三つ指をついて深々と頭を下げた。
「他に行くところはありません。どうかよろしくお願いします」
神妙な声で言われ、言葉に詰まる。
やっぱり、そうか。予測をしていたからショックはない。ただ、ため息は呑み込めなかった。
「とりあえず、ここにいていい。だけどそれは後任者が決まるまでだ」
「こうにん?」
「俺は変身したくない。戦いたくないんだ。だから、俺より向いている奴を探してくれ」
「そっかぁ、残念」
にっこり笑うヒトミの目には、探す気はないと書いてある。
また、深いため息が漏れた。
「とにかく、ここで暮らすつもりなら、相応の対価を払ってもらう」
「対価? こっちの通貨は持っていないわ」
「じゃあ、どうすればいいか……わかるな」
「わかった」
あっさりとヒトミは頷き、立ち上がる。すらりと長い足が眼前に迫った。
「身体で払えばいいんでしょう?」
挑発的な目で聡介を見下ろす。唇は扇情的にうっすらと開いている。カーテンの隙間から覗く朝日に照らされ描き出された身体のラインに息を呑む。
呼吸で上下する胸元に実る果実に目を奪われた。薄皮のような布を剥ぎ取ってしまいたい衝動に駆られる。
「……そうだ」
聡介も立ち上がる。視線を合わせると、ヒトミの目は微かに怒りを帯びている。
失望したのか。
正義のヒーローだと見込んだ男が、肉体を要求するなんて、と。
だが世の中そう甘くはない。
その美貌で男たちを手玉に取り、何も失わずに思い通りに生きてきたのかもしれないが。
自分には通用しない。
それをこの女に思い知らせてやる。
聡介はヒトミの腕を掴み、引き寄せた。
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