Read:1[影の無い兵士]

 入学式が終わって一月。

 学校からの帰り道には上り坂がいくつかあって、自宅から最も近い高台の所から望む街の風景はとびきり綺麗だった。

 今日も昨日のように、俺はそこで沈んでゆく夕日を眺めて感動してみたり、友達と喋ったり、新しくダウンロードした音楽を聴いてくつろぐ予定だ。


 長かった一日の授業は終わる。俺は脱力して、机に突っ伏して横を見ていた。

 窓から差し込む夕日が隣の机を照らし、眩しく感じる。


 教室の後ろのロッカーに座っていた連中も帰り、掃除をしていた連中も帰り、俺もそろそろ帰ろうかなと思った所で、ショウは俺の机までやって来た。


 「帰ろうよ。暗くなると親がうっさいから」


 俺が鞄からヘッドホンを取り出そうと覗き込んでいる所に、ショウはそう言いながらパンチを入れてくる。


 「彼氏と帰れよ。今ごろ校門の前にスポーツカー止めて待ってるよ」


 俺は冗談のつもりでそう言ってやったのだが、ショウは本気にしたらしく、


 「はぁっ? どんな彼氏だよ目立ちたがり屋さんすぎでしょそれ。もーうはやくしてー」


 俺はコードの絡まったヘッドホンを首にかけ、念のため破損が無いかチェックする。しショウの一撃を受けても傷一つ無い所を見ると、さすがは五千円クオリティだ。


 と思ったら、耳にあてる遮音パーツの留め具のプラスチックが割れていた。

 

 「あーショウ……これ弁償ね」


 そう言って顔を上げた時、そこには彼女の姿は無かった。

 廊下の遥か遠くに、床に打ち付けられる上履きの、甲高い足音が響いていた。

 走り去る友人を追うように、俺は勢い良く立ち上がる。






 校門を出て少しの所。葉桜の下で、俺は彼女に追い付いた。走ったせいか、俺も彼女も少し息が荒かった。ショウは少しにやにやしている。

 腹が立った俺は、語勢を強くして文句を言った。


 「マジでこれ高かったのに、なに壊してくれてんだよ。今日新しい曲聴こうと思ってたのに、駄目じゃん」


 俺の言葉をしっかりと聞き取ったショウは、静かに言う。


 「………ごめん」


 二人の帰り道。緩やかな上り坂に響くショウのか細い声に、俺はあっけにとられた。いつもは憎たらしく言い訳ばかり叫ぶ彼女が、意外にも反省した様子を見せたからだ。

 こんなのはいつものショウじゃない。


 「なんて言うと思った?」


 彼女はそう言うと嬉しそうな笑みを取り戻し、一人で勝手に笑いはじめた。

 いつものショウだった。


 俺達は長い坂の半ばくらいまで歩いて来た。ショウは唐突に俺の方を振り返ると、「高かったって……いくらくらい? 」と、罪悪感なんて、微塵も無さげな声色で訪ねてきた。俺が五千円と伝えると、ショウは「やすっ」と言ってから少し引きつった微笑を作り、素早く前を向く。



 「……うーん。たりんなぁ……… 」


 ショウの一人言は決して珍しくないが、今の一言は特別にはっきりと聴き取れた。

 彼女がさりげなく自分の財布の中身を見ているのが、こそこそと怪しく動く後ろ姿で解った。

 俺はその健気な様子に思わず吹き出しそうになったが、彼女のプライドを守るために必死に我慢する。


 それから俺達はたいして喋る事もなく歩いていった。毎日通っているこの道を。

 会話は少ないけど、別に話題が無いとか、愛想が尽きたとか、そういった理由は無い。


 俺は彼女との会話が無くても不快ではない。彼女が何か話題を欲しているなら申し訳ないが、俺はあまり彼女と話す事が得意ではなかった。

 ショウは俺の発言をふざけた態度でしか聴かないからだ。


 それに俺だって女子高校生の好む話題なら多少は知っているが、ショウは特別人の話を聴かないのだ。いつもふざけた事を言って、俺の言う事を理解しようとも、共感しようともしない。いや、しているのかも知れないが、少なくとも俺にはその誠意が伝わってこなかった。

 いつも楽しそうに笑っているから、俺は放っておいているが、できればもう少し真面目に話を聴いてほしい。


 彼女には真剣に伝えたい事があるのだから。


 俺はふと、夕焼けの眩しさに負けて顔を下に向けた。ついでに腕時計を確認し、今が夕方の五時半ば程であると確かめた。今日は特に外出の予定も無いから、コンビニで菓子でも買って帰ろう。そんな事を思っていた。


 スポーツテスト後の膝にキツかった上り坂の頂上、紅に照らされる東京の街が望める。決して有名ではないが、俺はここよりも美しい展望スポットを知らない。


 小高い丘の斜面はどこも住宅地になっていて、その丘の頂上にあるこの広場は、休日の子供達の遊び場にもなっている。前まで無かった遊具も、数年前に行われた地域設備整備の時に改修され増築されていた。


 ショウは俺を置き去りにしてベンチへ荷物を投げると、丘の頂上から転がり落ちないための低い柵にそっと寄りかかり、いつも通り愚痴をこぼしはじめる。


 保険体育の先生がセクハラだとか、数1の課題が多いだとか、昼休みが短いだとか、親に携帯電話を没収されただとか──ショウのお悩み相談は俺の返答こそ待たないが、きりがなく続く。


 しかしそれでも、ショウの顔に曇りは無い。まともな意見アドバイスなんて返せない俺だけど、ショウが求めているのはそんな大したものじゃ無いんだろう。


 沈み行く日光が徐々に明るみを抜いていくのと反対に、話しに話したショウの肩からは緊張が抜け、さっき教室に居た時よりテンションが高いように見えた。


 「うちらって本当ヒマだよね」


 ショウは気が済んだように言うと、荷物を取りにベンチへ向かう。


 「俺、来月からバイトあるからさ。ほら、駅前のCDショップあんじゃん?募集してたんだよ」


 俺が何気無くそう呟くと、ショウは一瞬歩みを止めたが、それを悟らせたくないかのように、何事も無かったかのように振る舞った。


 わざとらしく軽い足取りでショウはリュックを持ち上げ───────



















 轟音。


 その瞬間。


 いや、瞬きをする暇すら無いくらい短い時間の間に、俺は視力を失った。


 目にうつるものは無く、ただ前が黒い。


 激しく震える空気が全身を煽り、鉄の焼け付く臭いが鼻へ喉へ肺へと広がる。


 頭蓋骨を捻り潰す勢いの痛みが目の間から首筋へと支配し、声もでない。


 熱風の中取り戻した光、甦る視界の中に見つけたのは、現実の全てを極端に否定した理解不可能な地獄。


 ゆっくりと瞼を解放し、瞳でそこに広がる世界を見た。そして───


 燃え上がる芝生の上に飛散した紅黒いゼリー状のソレが元は何であったのか察した時、俺はその場で独り、意識を失った。

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