NIS-中立国際和平継続部門

導優

01

Read:0[雪原の隠密兵]



 


 夜が明けてすぐの空には、まだ微かな月の光が残っていた。


 爽やかで冷たい空気が、長距離行進で火照った筋肉を心地よく冷ましてくれる。


 早朝の出撃は実に気分が良い。


 俺の頭上を飛ぶのは、防弾装甲アーマーに覆われた低空飛行型無人戦闘機コンバットドローン。超小型の機体は、僅か五秒で上空二百メートルまで上昇する。 


 従来の機体よりもより高速で機動させるために、重量のある姿勢補正装置オートバランサーは外されているが、それでも日本製の操作に困難は無かった。


 「…………………」


 眠気覚ましにコーラを飲む。市販のソフトドリンクのような無駄な糖分等は、一切除外されたものだ。強烈な炭酸の刺激が喉を刺し、意識をより鮮明にさせる。


 今回の作戦、まずは低空飛行無人戦闘機コンバットドローンを先行させ索敵、これから通過する警戒地域に障害が無いか、映像を撮影し確認する。


 また、レーダーやカメラでは見落としがちなステルス歩兵は、ドローンに搭載された呼吸形跡発見器ブレスサーチシステムであぶり出す。


 半径七メートル以内のCo2濃度を分析し、呼吸の痕跡を発見しながら、少しづつ場所を変えて飛行。敵の兵士が何処で、どれくらいの規模で呼吸しているのかを調べる。


 敵が頻繁に移動を行えばカメラに写るし、じっとしていても息を吐いている場所を特定される。これが非死角兵器オメガビューと言うものだ。

 見た目こそ小さくて玩具の様な機体は、静かに飛び続ける。


 コントローラーのモニターに撮し出された絶景を、俺は黙って眺めていた。

 そこにあったのは、高い山の物々しい岩肌に群生する木々が雪を重そうに被っているという、幻想的な絶景だ。


 しばらく風景を眺めながら飛ばしていると、美しい針葉樹林の中に、突如小さな湖が現れる。


 イルベスト湖。

 湖の近辺には狩人達の集落が無数に点在する。


 毎年冬のこの季節になると、先住民達は凍った湖にドリルで穴を開け、脂肪の豊富な淡水魚を捕る。


 近年は森林伐採や、外来生物の急激な増殖によって、彼らが主食とする動物の数が減ってしまったそうだ。


 だから今のうちに釣って食糧を蓄えている。だから、不猟でも腹を満たすことができる。


 我々の部隊が後に通過するのは、丁度この湖だ。俺はこの湖の周辺地域の索敵を任され、今朝、森の入り口から三キロメートルほど離れた辺りまでジープに乗せられて来た。


 俺は、イルベスト湖周辺の民族に関する資料の中に、ある興味深い記述を目にした。

 彼らは釣りの最中、ひたすら座り続けるだけの地道な作業を楽しく盛り上げて精神衛生を保つために、毎晩、音楽隊を編成し、大勢で一騒ぎするらしい。


 存分に釣りを楽しみ、そして休憩に酒を飲んで女と踊る。彼らにとっての冬は、賑やかな祭りの季節でもあるのだろう。

 できれば俺もまざりたいが、しかし、上官に止められるだろう。


 いや、女好きの上官は意外と賛同するのだろうか。どちらにせよ、上に大目玉を喰らうのは間違いない。任務に集中しなければ。


 そんな事を考えながら、俺は黙ってドローンを操縦していた。

 

 「………ん?」


 その時、俺は不快な胸騒ぎを感じた。

 異変に気がついた俺はドローンの速度を落とす。


 湖に明かりが一つも無い。


 映像を見る限りだと、イルベスト湖の表面は確実に凍っている。つまり釣りや祭りのシーズンではあるのだ。

 そのはずなのに、何故誰も釣りをしないのか。

 寒さに負けて屋内へ逃げるほど、ここの狩人ハンター達が弱いはずもない。


 「おかしい……なにかあるな………」


 俺はドローンを空中で静止させ、コントローラーを置くと、懐の無線機に手を伸ばした。


 と、俺が無線機に触れるのよりも先に、無線機から音声が響く。


 『……House Next Same……Alone Please Part Live Ellipse……5 4 3 2 1!』


 カウントダウンが終わる瞬間、俺は無線に向かってこう答えた。


「House」


『………よし。初めての暗号通信だったけど、ちゃんと理解できたんだな』


 我々『NIS』の部隊で使われている暗号通信。


 第1次世界対戦中にイギリス空軍の特殊情報伝達機関3・4・3の最高指揮官、オリヴィス・ベッケンが考案し、彼直属の部下達にのみ仕込んでいたものだ。


 これは、彼が本国から緊急非難施設プライベートシェルターへ避難するための飛行機を、半ば陥落しかけた空軍基地まで呼び寄せるために使われるはずだった。


 しかし、残念ながらオリヴィスの考案した非常事態用の暗号は、敵兵に解読されてしまう。

 

 その、彼を騙して偽の専用機まで誘導し、飛び立った機体をアーベル海域上空にて撃墜したのが、我がNIS部隊の初代最高司令、カースレイ・イーベリキトスだ。


 モールス信号バージョンもあって、当時カースレイが解読したのはそれだ。


 現在は暗号通信の入門スキルとして扱われていて、初出撃でも落ち着いて受け答えができれば上々と言う。緊張で呂律が回らなかったり、混乱して見当違いな応答をすれば、再び基礎教育からやり直させられる。


 ちなみにこの暗号通信基礎オリヴィスコードは本格的な作戦を行う上級隊員は使用しない。


 

 

 「House/Next/Same」のうち、ひとつの単語だけ他の単語よりも一文字多くて、それを言えばクリアとなる。そして更に「Alone/Please/Part/Live/Ellipse」を付け加える。

 これにより、敵はイニシャルを意識して「APPLE」と応答するのが正解だと誤認したり、文字数に意味が無いと思わせる効果もある。

 

 無事に暗号を解読できた俺は、無線機の向こうの上官に現状を報告する。


 「大尉、この資料によると、イルベスト湖は今、狩人達は祭りの最中って事になりますが……」


 『あぁ、そうだな。僕もいつか前に寄ってみたけど、あそこは良い女がたくさ……… 』


 「…………………………」


 俺は無言の圧力で、上官を叱りつける。

 口を滑らせたのが気にくわなかったのか、上官は強い口調で言った。


 『資料の不明点なら、ITSのブス女に言えよ。僕は徹夜でお前のドローンをメンテナンスして、今はリラックスタイムなんだって』


 『ITS(Information Transfer Section)』


 確かに、作戦中に扱うデータは、よっぽどの機密事項でない限りはそこが管理していて、支給された端末でアクセスすれば、女性スタッフのスリーサイズまで簡単に見ることが可能(銃殺刑)だ。


 しかし、今俺が欲しいのはウィキに載ってそうな基本的情報フリーデータじゃない。戦場に生きた先人からの、生のアドバイスだ。


 俺が先程感じた違和感について、上官に相談を持ちかける。


 「大尉。今、ドローンをフルモードで飛ばしてたんですが、湖に人が一切居ないんです」


 上官お気に入り、ピータースティーラーのベストアルバムの音量が下がる。


『なに?まさか……集落皆殺しなんて、無いだろうけど。もしそうなら上が騒ぐだろうし………うーん……』


 「どうしたらいいでしょうか。こういう場合は……」


 『……生体反応は?それによる』


 「ブレスサーチ、反応ありません」


 上官は少し考えてから、


 『そう、か。じゃあ、適当に近くの村行って、様子を確かめてこい!玄関ノックして、何かあったのか?って』


 「了解です。念のため交戦許可をお願いします」


 我々の部隊は無益な破壊、殺人を極力避けるため、戦闘を展開する許可を自分の上官に申請する必要がある。

 それも全ての上官で良い訳ではなく、特定の権限を持った人物でないと駄目だ。


 『音声記録レコード。ロック指揮権兵よりレジン実戦訓練兵へ、索敵任務中の交戦を自衛アクションまで認める。殺害アクションは禁止だからな。軽く気絶させて離脱しろよ』


 「交戦許可確認……! 音声記録レコード完了」


 実戦投入されたとは言え、俺はまだ訓練兵として扱われている。万が一戦闘を起こし、それによって問題が発生した場合は、上官からの許可を音声記録レコードにして提示しなければならない。


 相手は同じ人間、そしてこれは戦争だ。その場における一つ一つの判断を誤れば、人が死ぬ。

 俺の成功で救える命、俺の失敗で崩れる作戦、それらは山ほどある。

 NISは、非常に精密でデリケートな組織だ。勿論、乱雑に責任感を放棄しても良い仕事なんて無い。

 だが、ここは人一人の肩に乗っている負担が大き過ぎる。


 責任を負担と感じてしまう所が、俺の甘さなのだろう。


 俺の手は、俺だけのものじゃないんだ。


 落ち着かない気持ちを察したのか、上官は静かな口調で言う。


 『人を殺す時はこう思うんだ。俺は本当は悪魔なんだって。普段は人間の体に化けていて、今はそれを解放しているんだってな。初討ちでゲロる奴がいるんだが、敵にDNAをくれてやる事もない、吐くなよ』


 「……わかりました。行ってきます」


 『ヤバくなったらヘルプ出せよ?応援は……十分くらいで着くから。それと、交戦許可って言っても、お前は逃げとけ。新兵があんまり死ぬと、次が入って来ないから』


 それで無線は切れた。

 嫌な言い方だ。

 気遣いってものを覚えれば、もっと女とも遊べただろうに、この上官は、気安く言い過ぎる。


 絶対に生きて帰って、文句を言ってやろう。そう思わせようって企みなのだろうか。

 こんなさりげない励まし方が、上官らしいと思った。


 俺はコーラを飲み干すと、無線をバックパックにしまって歩き始めた。


 目の前に広がるすべての世界が、俺にとっての武器で、死因で、戦場だ。


 そう思うと、震えが止まらなかった。


 だが、それは恐怖からの震えではなく、好奇心に急かされ、焦るような気持ちによるものだった。


 殺す。殺さない。


 奪い、奪われる。


 壊せ。そしてその破壊を、未来の礎としろ。


 これが、俺の世界だ。


 

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