ウェブ小説とカクヨムについて考えてみた

千の風

ウェブ小説について

 ウェブ小説ってなんだろう。

 ウェブで公開されている小説が、いわゆるウェブ小説じゃない。インターネットが一般化される前の時代と同じ形式の小説もウェブで公開されている。その価値が上がったわけでも、下がったわけでもない。


 ここで定義する。


 ウェブ小説とは、インターネットを媒体とする小説サイトで特に流行り、定番と認識されるような作品群、もしくはその形式。


 これはひとつの定義であり、絶対ではない。しかしこのページでは、あえてそこから話を始める。

 代表的なものは異世界ファンタジーだ。

 無数の物語が投稿され、それは定番となった。すると奇妙なことが生じる。投稿された無数の作品の共通部分が一般化され、省略される傾向が発生したのだ。

 たとえば、異世界はどうして存在するのか。どうやって異世界に行くのか。異世界に行った人間がどうして活躍できるのか。

 それはほとんど共通の課題であり、ほぼ同じ設定として軽く触れられるか、あるいは無視される。無数の同傾向作品を読んでいる読者の立場からすれば、それはむしろ当然だ。


 このような現象は過去にもあった。

 いわゆるコミケにおける二次創作作品群だ。共通認識として存在する元ネタが世界やキャラクターの設定をすべて満たしているので、作品を手にするものはその先の展開だけを求める。たとえばクライマックスの書き換えや性的描写など。見たい話の続きだけが提供され、それは大きな市場になった。

 

 これには供給する側とされる側のそれぞれの事情が関係している。


 供給する側としては、なによりも作品を作ることがたやすい。魅力的な設定、ストーリー、キャラクターを創造するというもっとも困難な課題を省略することができる。マンガであれば、そこそこの絵が描ければいい。そしてその場合の作品価値は、その作品に感情移入させるまでの導入部分だ。そこさえクリアできれば、後は性的描写やご都合展開などの読者の望むストーリーを用意してやればいい。


 供給される側の利益はとしては、なにより、てっとり早いことがあげられるだろう。共通認識があるのなら、望む描写までの距離は短い方がいい。そして一次創作ではあり得ない、望むがままの安定した展開がそこにはある。


 性的描写と無制限な二次創作が解禁されれば、ウェブ小説もそうなる可能性があった。ただ、それは著作権上の問題と公序良俗の問題、それに何よりも商業的に成功する作品とはなりえないために排除された。


 そこで最初の論点にもどる。


 結果として、マンガの元ネタにあたるものが異世界ファンタジーのテンプレとなった。そこで必要とされるものは、よみやすい文章。これはマンガでいえばある程度の画力に対応している。そして共通なのは、その世界に引っ張っていく導入の巧みさである。


 いわゆるウェブ小説で成功した作品は、少なくともその二つは完全にクリアしている。(もちろん、それ以外の部分も優れた作品は多数存在する)


 だから上記で定義した、いわゆるウェブ小説として成功するために必要な最低条件はその二つだ。特に導入部の新奇さには徹底的にこだわった方がいい。よみやすい文章はそのような作品の必須条件であって、勝負を分けるのは導入部だ。


 そこには冒険の続きを求めている多くの読者がいて、自分をまた、そこに連れていってくれるのを待っている。


 これは、良いことでも悪いことでもない。ひとつの必然だ。だからそれを望む人間も望まない人間も、現状を前提として考えていくべきだと思う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る