第42話:契りの儀式
第42話:契りの儀式
その借家は確かに狭かった。
行商人が各地で仕入れた工芸品と思われるものや、梱包材、野営に使うと思われるバラした
そして、おそらくは傷病者などの非常時用途と思われる簡素なシングルベッドと小机のセットが複数並んでいる。どうやら、借家のものではなく行商人のものらしく、組み立て工具らしきものが床に置かれている。
アレクはベッドのシーツの上に、梱包用の毛布を幾重にもひいてそこにトワを横たえる。そして、その上にも毛布をかぶせる。
「なぁ、アレク。私な――」
「今は体を休めてください」
アレクは暖炉に
暖気が部屋を満たすまでしばらくかかった。
窓の外はすでに夜の闇につつまれていた。
「なぁ、アレク。怒ってない?」
「……? いったい何をいっているのですか?」
トワが何を言っているのか本当にわからず、アレクはきょとんと聞き返した。
「だって私、村に来てもうたやん。それにアレクに抱きついて、――その変な事言うてもうたせいで」
「……トワにとって、あれは変な事だったのですか?」
その返しは予想外だったのか、トワは目を丸くする。
「確かに、まぁ。後戻りできないというか、坂道を転がり続けているというか。明日には皆の私を見る目が変わりそうですが」
「ご、ごめん。でもっ」
「謝らなくていいんです」
アレクは皮鎧を、衣服を脱ぎ始める。
「トワに手を出した時から、
そして、一糸纏わぬ姿となったアレクはトワに手を伸ばそうとするが、彼女は手でそれを制した。
「ん、自分で脱ぐ」
そういって、毛布に包まりながらモゾモゾと蠢く。
「……傷だらけですね」
「んー。まぁ、自業自得?」
「私が
「ええよ。傷なんか痛くない。痛いんは――」
脱いだ服をベッドの脇に落とし、トワはアレクを見上げる。
「なぁ、アレク。お願いや、連れて行って。自分の身は自分で守るから」
「その必要はありません」
拒絶にも聞こえるその言葉は温かかった。
いつの間に用意したのか、小机には一つの金属製のゴブレットとワインと思われる瓶がおかれていた。アレクは酒瓶のコルクを抜き、ゴブレットに赤い液体を満たしていく。
「トワは酒は飲めますか?」
「舐める程度かな?
「では、一口だけでかまいませんので」
アレクは脱いだ衣類と一緒に置いていた小袋から控えめながらも映える装飾の鞘に入った小刀を取り出した。
「それは?」
「トワに護身用に贈るつもりだったものです。渡す前にちょっと使わせてもらいますね」
「え? ちょ!?」
抜いた小刀はトワの想像以上に凶悪な光を放っており、刃物の見識のないトワにもそれが相当な業物であるのは理解出来た。そして、その刃にアレクは手のひらを当てたのだ。
血の雫が次々と、その真下にあったゴブレットへと落ちていく。
そして、アレクの口調が変わる。それはトワに話しかけているわけではなく、何かの口上のようだった。
「杯に我が一部を宿したり。この
そして、一呼吸おいて。
「トワ。一口でよいので、これを飲んでもらえますか?」
「なぁ、アレク。今のってもしかして」
「本来は夫婦の契りの儀式です。お互いに女同士なのは申し訳ありませんが」
「……一緒にいてもええの? 付いていってもええの?」
頬を上気させ、目を潤ませながらトワが問う。
アレクは傷付けた手のひらに布を巻きながら頷いた。
「はい。私もトワがいないとダメなのだと、今更気付きました。不安にさせて申し訳ありませんでした。
でも、覚悟して下さい。私は
とても
しかし、それに対してトワは手を差し出した。
「それ貸して。というか、くれるヤツやんな? それ」
「え? あ、そのつもりですが。なにを?」
「なにって、これってお互いやらなあかんのとちゃうの?」
そう言ってトワはアレクから小刀を奪い取る。アレクは想定外だったので、妨害できなかった。
「ト、トワっ。いいんですっ! これはこの
「うるさい! 自分の想いだけ押し付けんな! 私にもやらせーやっ!」
トワはアレクのように手のひらではなく、指先を小刀の刃にあてた。触れるか否かの感触だったのに、血の筋が刃を伝い、ゴブレットに落ちる。
「杯に我が一部を宿したり。……えーと。あーもう覚えられへんかったから自己流でいくで!
私はこれを口にするものを
後、浮気したら殺して、私もその場で死ぬ。以上!!」
さらに
先にゴブレットに口をつけたのはトワだった。アルコール類を飲みなれていないので若干むせたのはご愛嬌だろう。そして小机に戻されたゴブレットの中身をアレクが一気に飲み干した。
「これで、結婚成立?」
「はい。もう後戻りできませんよ?」
「後戻りも何も。元の世界に帰るあてもないしな。未練も――まぁ、あちこち心配かけてるとは思うけど、どうしようもないし」
そして、トワはベッドの傍に立ったままのアレクの手を引いた。
「帰れたとしても、向こうに
アレクは手を引かれるままに、トワの小さな体を覆うように抱きしめる。
と、その時微かな物音がした。
「え?」
「このタイミングで来るとはな」
小机の上に酒瓶、ゴブレット、そして封書がおかれていた。悠久山安慈のイラストが描かれたシールで封されたあれである。
「とりあえず、ほっとこか」
「え!? いいんですか?」
「かまわん。
そこまで言われてはと、アレクは行為を再開した。
そして、封書放置のまましばらく二人の甘い声で借家内が満たされた。
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