第36話:学院と学会

第36話:学院と学会



 基本的に豆腐ハウスの朝は遅い。

 主であるトワが自称低血圧で朝が弱いからである。しかも、ここには目覚まし時計てきはないときている。

 天国と言うには、全てが足りている訳ではないが。まぁ、それもよし。向こうちきゅうになかったものもこちらにはあったりする。

 例えば、眠気半分でまどろんだ状態のトワを無理矢理目を覚まさせたりせず、甘やかしてくれる恋人アレクとか。まぁ、あっちはあっちでトワの抱き心地を堪能したり、あちこち触れたりまさぐったりと、好き勝手していたのだが。




 朝が遅い理由その2にバスルームの存在がある。朝風呂である。

 トワがアレクから聞いた情報によると、基本的にこの世界――神話からの引用でテンパランスと呼ばれている――では、水浴びが基本であり、大きな街には公衆浴場はあるが、ある程度の収入のある貴族未満の市民が毎日一回、通常の市民にとってはたまの贅沢といった状況のようだ。

 アレクは貴族でこそないが、固有能力者ギフターとしてほぼ貴族レベルの扱いを受けていた為、彼らきぞくの暮らしぶりを知っていたのだが、豆腐ハウスのバスルームは貴族の豪邸内にあるような浴室よりも快適と断言している。

 まぁ、浴槽は勝手にお湯が張り、シャワー付き、お湯も水も使い放題。おまけにバスルームを出れば体を拭かなくとも水気が消えるときては、確かに貴族も真似出来ないだろう。

 足りないのはせいぜい香料や石鹸などだが、それも時間の問題だろう。


 トワのバスルームの不満点は、アレクが泊る日は交代で入る事になる事だ。さすがに二人用の浴槽は配置図レシピ集にはなかった。が、やろうと思えば浴槽から無限に湯を呼び出す事自体は可能なので、浴槽を湯元として建材ブロックで擬似的な大型浴槽――サンドボックス系ゲーム的には正攻法だが――をトワは計画中である。






「おまたせしました」


 アレクが朝風呂を終え一階に下りる頃には朝食の準備は整っていた。

 と言っても、先に朝風呂を終えたトワが作りおきの料理を歓談用兼ダイニングテーブルに並べたに過ぎないが。

 何せ、普通につくろうにもトワには料理経験が皆無。カップラーメンがせいぜいで、それもどん兵衛を3分でフタをとってしまうのだ。ちゃんと5分待て。


 朝食に限らず、トワの基本的な食事はカマド付き料理台で創造クラフトしたものを、豆腐ハウス内の所持品保管箱ストレージボックスに入れたものだ。作った料理は所持品インベントリ保管ストレージ類から出さない限りは冷めないし、腐らないので、レンジでチンする必要すらなく、いつでも新鮮で暖かい料理が食べられるのだ。



 今日のメニューは芋パンにサラダにフルーツ盛り、ブドウジュース。そして、ムササビ肉のソテー。ただし、最後はアレク用だ。実は彼女はかなりの健啖家だったりする。まぁ、鍛えているのでその分筋肉維持の為のエネルギー消費も激しいのだろうが、夕食は朝の比ではない。


 ああ、だからベッドではあんなに長丁場なのか。


「どうかしましたか?」

「な、なんでもない」


 昨晩の事を思い返しかけて、火照りそうなトワの様子を見て席についたアレクが首をかしげる。


「わざわざ待ってなくて、先に食べてれば良いですのに」

「ただでさえ食べる量の少ない私が先に食べたら、アレクが一人で食べるだけになるやん」

「別にかまいませんよ」

「私がかまうのっ! パートナーこいびとなんやろ、私は!!」


 言って恥ずかしくなったのか、トワは頬を染めて視線をそらす。

 アレクと肌を重ねる間柄になったとはいえ、トワの性的嗜好セクシャリティが変わった訳ではない。だが、それでも遠いと思っていた恋だの愛だのといった世界が現実になり、相手は性癖しゅみはともかく人柄は申し分もないのである。少しぐらいは浮かれても致し方なしだろう。恋愛経験がなかった事も、アレクを抵抗なく受け入れられた理由でもあるだろう。――見方によっては、それは良い事なのか人によって意見が分かれるだろうが。



 トワの言葉にアレクは微かに微笑んで、軽く頭を下げた。


「すみませんでした、トワ。では、いただきます」


 アレクは朝食を摂る前に、両手を合わせた。当然、この世界テンパランスにはない習慣であり、トワにあわせたのだ。こういった心遣いがトワにはくすぐったくも心地よいのだ。


「お代わりいるんやったら、言ってな」

「はい、遠慮なく」


 二人はしばらくは特に会話もなく食べていたが、トワが思い出したように。


「アレク、食べながらでいいから聞いて欲しいんやけど」

「なんでしょうか?」


 食べながらでかまわないと言われても食べる手を止めたアレクが問い返す。


「研究機関? そこにいる固有能力者ギフターと連絡はとられへんの?」

「トワが言っているのは耕作者ドラマティストかもしれない固有能力者ギフターですよね。二つの理由から難しいと言わざるをえません」


 元よりその事を聞かれる事は予想していたのだろう。アレクは即答し、ジュースで喉を湿らせた。


「まず一つ目ですが。固有能力ギフト研究は機密性セキュリティの為、出入り出来る人員が限られていますし、彼らけんきゅうしゃには固い守秘義務が課せられます。罰則は最悪死罪が適用されます」

「また……、えらいきびしいねんな」

「国が固有能力ギフトの研究と、その成果である汎用能力まほうをそれだけ重要視しているという事です。これは我が国だけでなく、他国も多少の程度の差はあれど同じでしょう」

「アレクでも、無理なん? あんた地位高いやろ? 確か、国境特務員とか」

「国境特務員はあくまで三国停戦条約の範囲内でこそ強権を持つのです。固有能力者ギフターである事もあわせて、国内でもそれなりの扱いを受ける事はできますが、固有能力ギフトの研究は国家レベルで行われている事です。さすがにそれに立ち入る事は無理です。

 それでも、まだ王立学院の方であればわずかでも可能性はあったでしょうが、汎用能力まほう化のような実戦力になるような研究はセラフィ学会で行われています。こちらは完全に外部から隔離された機関で、私では近づく事すら許されません」


 そして、アレクは目を伏せた。


「そして、そのセラフィ学会こそ。もう一つの理由です」

「それは?」

「トワと初めて会った日、国に庇護を求めるのは危険だと言った事を覚えていますか?」

「うん、人体実験の実験台にあるかもしれへんって奴やんな」


 トワは眉を潜める。トワでなくとも愉快な話ではないだろう。


「繰り返しますが、固有能力ギフト汎用能力まほう化はこちらが出自のようです。……そして、研究対象である固有能力者ギフターに非道な行いをしているとの噂もこちらの方がほとんどですね」

そっちセラフィ学会も国の機関とちゃうの?」

「設立こそ国が関わっていますが、表向きは独立した機関となっています」

「……実際は?」

「私の推測でしかありませんが。国の体面を保つ為に分けたのではと思います。表の顔がくいん裏の顔がっかいに」


 トワは深くため息をついて尋ねた。


「アレクの推測でかまわへん。治癒ヒールとかの汎用能力まほうの元になった固有能力者ギフターは生きてると思う?」


 アレクは目を閉じて、静かに首を横に振った。


固有能力ギフト汎用能力まほう化がどのような手段によって可能となっているのかはわかりません。ただ、私や師匠の汎用能力まほうの元であるならば、相当に強力な固有能力者ギフターであったはず。……しかし、私の知る限りそのような固有能力ギフトの持ち主を見聞きした事がありません。今もなおセラフィ学会に監禁されているのでなければ、恐らく……」

「そっか」

「すみません。トワにとって気分の良い話ではないはずです」

「それはアレクもやろ」


 そして、食事を再開しようとばかりにトワは芋パンを一口サイズにちぎる。


「ええよ。そもそもアレクは最初から危険や言うてたんやもんな。気にはなったけど、リスクに釣り合わへんねやったら諦めるわ」


 まだ申し訳なさそうな顔をしているアレクに、トワは意識して明るく笑いかけた。


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