第35話:悔しさと甘い夜

第35話:悔しさと甘い夜



「ぐぅぅぅ」


 深夜。豆腐ハウス二階の寝室で、トワは悔し涙を流していた。比喩ではなくガチ泣きであった。ベッドの上でアレクが優しくその背を抱いている。

 アレクの表情は慈母のごときそれだった。まぁ、方向性はなんであれ愛である事には違いはないのか。


「ちくしょー、あのくそじじぃ」


 自分の師匠タンクをくそじじい呼ばわりされても、アレクはむしろ同意するように頷いている。

 トワが泣いているのは、昼間のタンクとの実戦訓練のせいだからだ。


「トワの気持ちはわかります。私も最初はそうでしたから」

「私を丸裸にしおってからにぃ!」


 誤解を招く発言だが、別にタンクがトワをひん剥いた訳ではない。あの場に変態は一人アレクしかいない。



 だが、たしかにタンクは別の意味でトワを丸裸にした。

 あの時、タンクは素手とはいえ、何の戦闘技術も持たないトワに勝ち目などあるはずもなかった。だから、ただ負けただけなら悔しいも何もなかっただろう。じゃんけんにおいてグーがパーに負けるが如く、当たり前の事として受け止めただろう。


 トワが悔しがっているのは、トワが秘めていた引き出しを次々と勝手に開いていった事だ。


 トワとていつまでも身を守る術を持たない事に危機感を抱かないほど愚かではない。すでに二度も命の危険に身を晒した。

 だからこそ、文字通りの子供だましレベルであるが、対けものには通じるかも知れない程度の手段は考えていた。そして、子供だましレベルだからこそタンクには使うつもりもなかった。



 甘かった。言葉で、視線で、状況で、痛みで、条件反射で、あらゆる手段で、それらを引き出された。さらには、見事な誘導術でそれらはより実戦的に対人レベルにまで引き上げられた。



 ――そして、その上でタンクくそじじぃは進化をとげたトワのきぼうをことごとくすりつぶしたのだ。



 持ち上げるだけ上げて、叩き潰す。ある意味、アレクとは別方面で危険人物である。


「まだ、師匠の指導は初日です。そんな事では身が持ちませんよ」

「わかってるけどな。――ん」


 アレクはトワの涙をバスローブの袖で拭いながら、トワのあごを持ち上げてその唇を己の唇でふさぐ。さらには手がトワのバスローブの内側に侵入していた。

 なんとかトワはアレクから顔を離すが、顔は赤く口の端からどちらのものかわからない唾液が下へと伝っていた。

 トワの手は己の体をまさぐるアレクの手や腕を掴んでいたが、制止するには弱々しく何の障害にもなっていない。


「……スケベやなぁ、アレク。んっ」

「トワがいけないんです。一度、味を知ってしまえば戻れません。今なら、麻薬に墜ちていく者達の気持ちが理解できそうです」


 はだけたトワのバスローブの隙間から見える肌には所々に変色している部分が見られた。アレクはそこに口付ける。


「痣になってますね。師匠も手加減はしたんでしょうけど」

「わかっとる。一種の洗礼みたいなもんやろ。て、そこまだはやっ、んんっ!」

「それでもまだ師匠から戦闘術を習うつもりですか?」


 トワを責め立てならが問うと、トワは息を乱しながらもはっきりと肯定する。


「ふぅっ、今日のタンクさんの汎用能力まほうで確信したからな。いつか必要になるって」


 アレクはさすがに手を止め、トワに思考する余裕を与える。そのトワの視点は焦点があっておらず、別世界を見ているようであった。


隠形ハイド鈍足スロー積立スタック攻撃ペイン治癒ヒール。それにアレクに見せてもろた風刃エアスラッシュ

 たぶん、MMORPGかアクション系のMOBAやな」


 アレクはトワの砂の箱サンドボックスが、トワの故郷のゲームの仕様に酷似している事は聞いている。MMORPG、MOBAが何かはわからなくとも、ゲームの種類をさしているのはわかった。


 MMORPGはネットゲームの中でもメジャー中のメジャーなジャンルだが、説明するとMMOは大規模多人数型オンラインを意味し、要はオンラインにいっぱい人がいる事が可能・・RPロールプレイングゲームの事である。

 重要なのは過疎っててもMMOを名乗る事は許される事だ。過疎は詐欺ではない。運営か仕様に問題があるだけだ。


 MOBAの方は2チームに分かれて争う競技型のジャンルで、仕様やルールは多岐にわたるが、有名なのは2チームの陣地をつなぐ3本の道を、相手側のプレイヤーキャラや防御施設の妨害を乗り越え、相手の陣地の象徴を破壊するというもの。中には味方のメンタルを破壊するのに精を出す輩もいるが。


 両者に共通しているのは、不慣れなプレイヤーが匿名掲示板おもに2chに晒される事がある――ではなく、プレイヤーキャラがスキルを持ち、それらがパーティ戦、チーム戦で機能するものがある事。……MMORPGのソロ専ぼっちは違う世界の住人だから除外しよう。


 トワが特に目をつけたのは治癒ヒール。ダメージを癒す汎用能力まほう

 タンクがトワにそれヒールを使ったのだ。固有能力ギフト劣化ダウングレード版のせいか、完全には傷は治らないようで痣は残ってしまったが。

 トワが注目したのは他人にかけられるという点。

 MMORPGにしろMOBAにしろ、役割分担という形で他のプレイヤーキャラのダメージを回復するクラスが存在する。


 他も名称は違えど、効果そのものはMMORPGでもMOBAでも見かけるものだ。



汎用能力まほう化に成功した固有能力ギフトって多くないんやったな?」

「少なくとも私はそう聞いてますね。……元となった固有能力ギフトの持ち主が耕作者ドラマティストである可能性を?」

「うん。自分がそうやからというのは安直やけど、特定のゲーム寄りに思えるねん。たぶん、アレクやタンクさんが使ってる汎用能力まほうは一人の固有能力者ギフターから分かれたもんやとおもっとる。確証はないんやけどな」

「だとするとかなり強力で多彩な固有能力ギフトですね。まるで――」


 トワはアレクの顔を引き寄せ、言葉を引継いだ。


「まるで私のように? アレクもそう思うならますます耕作者ドラマティストの可能性が高いなぁ」


 そして、自ら唇をアレクに押し付ける。もっとも、攻勢はほぼ一瞬で逆転するが。何せ経験値Hのかいすうが違う。

 トワから手を――正確には口を――出してきたので、止まっていたアレクの手の動きが再開される。


「明日にしませんか? まずはゆっくり休まないと」

「あ、んっ。何がゆっくりや。させてくれんくせに、ぃぃ」


 トワの声の末尾が甘い悲鳴に途切れる。

 夜はまだまだ長い。

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