ヒトと”自分”

カゲトモ

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「あ」

 と一言、言葉を零す。つい、零れたものだ。

視線の先には杖をついた、腰の曲がったお婆さんが居た。俺が来た時は青信号が点滅をしていたので止まったが、お婆さんはどうやら青信号を渡りきれず、一度横断歩道を戻っていたらしかった。道を挟んだ向こう側で、お婆さんが困ったような顔をしていた。

 今度青信号になったら渡りきれるのか?

 この道は片道三車線の大きな道路だ。足元がおぼつかない、杖をついた老婆がこの広い道を渡りきることが出来るだろうか。

 目前を通り過ぎる車は少なくない。もちろん、歩道で待ちぼうけをしている人も。今日は三連休の中日だ。

 それなのに、お婆さんに声を掛ける人は一人もいなかった。

 気づいていないのか、それとも気づかない振りなのか。皆、おしゃべりや小さい画面に興じている。誰も、老婆を見ていない。

 ふと、それなら自分ならどうだろうと思う。お婆さんに声を掛けるだろうか。 

 その答えはすぐに出た。きっとNOだ。お婆さんからSOSを出されれば手を差し伸べるだろう。けれど、こちらから手を差し伸べることはあるだろうか。家まで着いて行けることもなし。それに、

 もしも拒まれたなら。

 そう思うと、自分からアクションを起こさなくてもいいのでは、なんて。世の中を皮肉るくせに俺は偽善者にもなれないなんて。

 でも。

 もしかしたら、本当に助けを求めているのかも。家までなんて着いていけなくても、この横断歩道を渡れるだけでも役に立てるのでは。

 何もしない事は簡単だ。

 でも、チャンスが必ず回って来るとも限らない。自分を成長させるチャンスは今だ。

「よし」

 信号が青に変わった。一斉に待ちぼうけしていた人たちが両端から動き出す。

 俺は早歩きでお婆さんのもとへ歩いた。お婆さんのところへ行って、無事横断歩道を渡りきってから、もう一度渡ればいい。幸い、時間はまだある。

 人ごみを掻き分けるようにして腰の曲がった小さな影へ近づく。すると

「悪いわねぇ」

 そんな声が聞こえた。「え」と思って視線を送ると、「いいえ」と優しげな声が続いた。

「お美しいご婦人の御手に触れられて光栄です」

 人影の向こうに現れたのはお婆さんとスーツを纏った長身の男性。

「あらあら、恥ずかしいわ」

「はにかむお顔も素敵ですね」

「ふふふ」

 男性がエスコートして、俺の隣を通り過ぎた。

「っ」

 何となく悔しい気持ちになりながら、その姿を目の端で追って小走りに横断歩道を抜けた。

 お婆さんの手を引いていたのは、俺の良く知っている人だった。

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