けん玉で世界を1つに

 最近の大人たちはグローバル化に気をかけすぎているように思える。いつからそうなったかは知らないが、まあ別にそれに批判をするつもりは少しもない。日本は二千二十年に東京オリンピックを開催することが決まって以来日本独自の文化の一つともいえる「和」を重視しつつあるように思う。これは正しい判断であると考える。 これは日本という島国の文化を各国にアピールするビックチャンスだ。グローバル化政策にはもってこいのように思える。では次にどのようなものが他国の人間の興味を引くのか。まず一つに「すぐ自分でできる」ものであると僕は考える。オリンピックに出る。日本文化には一切関係のない例えではあるが、それはさておきオリンピックというのは誰でも参加する権利を持っているわけではない。すると人間は自分とは遠い距離にある物であると考えてしまう。それは非常に望ましいことではない。しかし誰でもする権利を持ち、すぐできることならば、自分との距離は縮まり、より身近なもののように感じることができる。そのような理由から日本文化を伝える手段としては身近なものを用いる必要があるように感じる。次に条件としては「やりがいがあり、楽しめる」ものである必要が必要であると思う。人間はやりがいのないことを積極的にしようとする生き物ではないように思える。また、楽しくないことをやりたがる生き物でもないと思う。ならばその反対の条件を付けることで日本文化は伝えやすくなる。この「すぐ自分でできる」、「やりがいがあり、楽しめる」ものが他国に日本文化をアピールするための手段として適しているように僕は考える。では具体的にこの二つの条件を満たすものって何があるだろうと考えた時、君は何を思い浮かべるだろう。きっとそれは「おもちゃ」だ。日本は昔から多くの知恵を働かせて伝統的なおもちゃを作ってきた。では伝統的なおもちゃとは。もうかなり絞られたではないだろうか。「独楽」や「はねつき」、「かるた」。そして「剣玉」だ。独楽は火元本体があればすぐに遊べる。しかし考えてみれば意外と場所が限られるように感じる。つぎにはねつき。これは考えればわかるだろう。二人以上が必要となる上場所はかなり限られる。かるたはとにかく室内でなければならない上日本語が読み書きできなければならない。つまりこの三つは他国の人間にはあまり向かないようだ。では最後に剣玉。これは全てばらけることがなく一つの本体のみを必要とするため一つの部品をなくしてできないなんてことがない。持ち運びも簡単だ。場所。これはまあ言ってしまえばどこでもいいではないか。そして日本語など特有のものを一切必要としない。どんな人でもできてやりがいがある。こんないいもの他にあるだろうか。そう僕は考える。剣玉は今でも日本の伝統的文化を代表する一つだ。また海外でも日本人を超える手の持ち主だっているくらいだ。だんだん世界に剣玉は流出し始めた。一度剣玉を取れば誰でもはまる。努力してできた時の達成感ほど素晴らしいものはない。一人ひとりが自分の技を磨きともに教え合って上達していく。こんな形が世界中にあったらこのグローバル時代、世界を一つにすることができる。日本の伝統的な文化を他国にアピールすることができる上グローバルな世界を作り上げる手段として取り入れることができるこの「剣玉」。全世界の人々が興奮して団結していくことができるもの。これが剣玉であると、僕は考える。

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