君には猫耳が似合うと思うんだけど、なんで君はつけてくれないんだろう

遠藤孝祐

ダンボールから大人を拾った日

「猫耳、つけてみないかい?」


 僕がそういった意味を理解してか、カオルは目を丸くした。まん丸具合が更に猫のようではあるけれど、乗り気ではなさそうだ。

 カオルは困惑気味に瞳を泳がせていて、僕は僕で次の言葉を見つけられないでいた。

 沈黙が訪れる。しまった。このような提案をするのは、まだ出会って一週間の僕たちには、早すぎたのかも。


「えっと……どうしてかな?」

「そりゃ、似合うと思って」

「猫耳が似合うっていわれても、嬉しいって素直に思えないよ。というか、なんで猫耳?」

「妹がコスプレっていうのやってて、悔しいことに可愛かったからさ。なんとなく」

「なんとなくで、猫耳なんだね。それは……ちょっと……」


 カオルははっきりとは否定しなかったけど、言葉尻は弱々しく、猫耳を歓迎している様子は微塵もなかった。

 まだ一週間しか共に暮らしてはいないけれど、カオルの喋り方はこうなのだと慣れるまでには、交流を重ねてきたつもりだ。

 全てを曖昧にして、はっきりとしたことをいわない。そんなまどろっこしい喋り方。

 それがカオルの個性ではあるけど、慣れたら慣れたで、わずかに感情が刺激される。まあまだ無視できるレベルか。


「まあいいや。猫耳はまた今度にするとして」

「また今度……」


 未来の可能性に恐怖を感じたのか、語尾が下がっていた。そんな君をちょっといじめたくなる僕は、ひどい奴なんだろうか。

 冷蔵庫からお茶を取り出し、マイコップに注ぐ。コップが満たされていくのを、カオルはソファの上からじっと眺めていた。

「欲しいの?」

「できれば」

「ここでダメっていったら、私はどんだけ鬼畜なんだ」

「ユウは優しいよ。多分」

「そこは自信をもて」

 頼むから言いきってくれ。まるで僕が優しくないみたいじゃないか。


 来客用のコップに並々とお茶を注いだ。ここ一週間、来客用のくせに働きすぎている。そろそろ来客用ではなく、カオル専用の物を買うべきかと考えている。

 でもなあ、と僕は悩む。カオルの私物を置くということは、カオルと生活することを受け入れるという選択をとったことになる。そうなると、もう返品はきかないのだろう。

 僕も軽率な行動だったとは思うが、道端で拾った猫を返すなら、早いうちがいいに決まっている。

 責任を持てないのにペットを飼うことは、何よりも飼われる方が不幸になる。

 や、カオルはペットではないけれど。


「ほらっ」

「ありがと」


 僕が手渡したコップを、カオルは両手で受け取る。喉を鳴らしてお茶を流し込んでいる。コクコクと。

 一週間。カオルがうちに来てからの時間で、カオルがうちにいることを受け入れた期間だ。長くなればなるほど、情が移ってくることを止められない。カオルの存在が、どんどん当たり前になっていく。


 どうしたもんかと、一人回想する。先週の土曜日は、出かけることが億劫には思うけど、中止するまでには至らない程度の雨が降っていた。

 そんな日に抱き枕を衝動買いしたものだから、持って帰るのは大変だった。右手は抱き枕、左手は傘でうまっていため、いつもより帰路までの足取りは重かった。なので、家とホームセンターの中間地点にある公園で、少し休憩をすることにしたのだ。


 雨にまとわれた公園のベンチを、巨大なダンボールが占拠していた。

 正確にいうならば、屋根に覆われたベンチの脇に、大型家電でも収納できそうなダンボールの中に、人が入っているようなのだ。なんか変な声が聞こえたし。

 よほどの変態か生粋の変人か。どちらであってもロクでもない人種だと予測して立ち去ろうとしたのだが、雨足は激しさを増してドラムのように地面を叩いていた。さすがに雨足が弱まるまでは待ちたい。

 覚悟を決めて、休憩していくことを選んだ。もし変態であっても、草食系変態であることに望みをかけ、ダンボールの鎮座する真反対のベンチに腰をかけた。

 雨はなおも降り続いていた。リズムが時折変化して、まるで人が直接演奏をしているようだった。メタルからポップへ。そしてジャズへ。けれども、都合よく弱まる気配は薄かった。

 手持ち無沙汰になり、ダンボールを見つめていると、時折身動ぎを見せ、弱々しい唸り声をあげていた。どうやら泣いている声のようだった。

 少しだけ、そのダンボールに興味を抱いた。もし中身が全裸だったら、有無を言わずに通報しよう。そうしよう。


「ううぅ。ひっぐ。ぐえええ、ひっ」


 入っていたのは変態ではなさそうだった。だとすれば、変人の方か。

 長い髪に覆われていて表情はわからない。体は小さめではあるが、子供というには違和感のある大きさをした人間が、体を丸めてダンボールの中で泣きじゃくっていた。可愛い泣き方なんかじゃなくて、嗚咽まじりの、聞いていて心地よくないやつだ。

 このままそっと無視出来るような奴であればもっと楽に生きられるのかもしれないけれど、声を掛けずにはいられなかった。

 この気持ちは、正義感なんかではなくって、きっと僕は、少しだけ寂しかったんだと思う。


「どうかしたの?」

「ひっ。ど、どなたでしゅか?」

「それは噛んだの? それともガチなの? まあいいや。少なくともとって食おうってわけじゃないからさ」

「噛んだ、だけです。知らない人といきなり話をするのは危険だって、ママが」

「ママの言いつけを守って偉いでちゅねー。君はいくつになったのかな?」

「……二十歳だけど」


 驚愕に頭がクラっと揺れる。僕と三つしか違わないだけなのに、律儀にもママの言いつけを守りつつ、ダンボールに包まって一人泣いているとは、こりゃ世も末ってもんだ。

 色々なことが心配になる。親の教育だとか、日本の将来とか。


「……その大好きなママのところに帰らなくていいの?」

「……」


 返答は沈黙だった。何も語らないことで、多くを語ってしまっている。

 なるほど、そういった絡みの可能性か。

 夫婦喧嘩は犬も食わないのなら、親子喧嘩なんて誰も食えないだろう。食いたいとも思わない。

 二十歳を超えているのなら、自分の責任で生きていくべきだとは思う。けれども、雨に冷やされた心が、ちょっとした失敗で弱気に染められた心が、孤独でいることを許してくれそうになかった。

 僕は、後に後悔を抱えることを確信しながらも、いった。


「えー、とりあえず、うちくる? 一応三食屋根付きだけど。体で払うのなら宿泊も可」


 ダンボール星人と初めて目が合った。光の粒子が涙のプリズムで反射し、不覚にも綺麗だと思った。

 ダンボール星人は、カオルと名乗った。名前を呼ぶと、照れ臭そうに顔を伏せる様子から、自分の名前に思うところがあるのかもしれない。

 ともかく、これがカオルとの出会いだ。ちょっとした弱気から出来ちまった縁は、一週間経っても、繋がってしまっていた。

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