エッセイとか日記とか色々。

眠る乃符時個

第1話ブレード・ランナー2049とわたしを離さないでのネタバレと感想。

いやー、めっちゃ面白かったです。考えをまとめるために感想を書こうと思います。

まず、今回は記憶というものが重要なピースとして存在していると思います。そういった部分でカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』という作品と似ており、この作品(わたしを離さないで)ではクローン人間である主人公の感情の揺らぎを表しており、静謐で穏やかな自己の内面に光を当ててそれが偽物であってもそれは記憶という観点では確かに存在しているという事を多分描いていると僕は思うのですが、今回のブレード・ランナー2049でもそれは共時していると思います。

それは2049(ブレード・ランナー2049をこう呼びます)焦点を当てられている主人公であるジョーはラスト付近で前作の主人公であるデッカード(本物の人間)とレイチェル(レプリカント)の間の子供ではないと判明します。しかしジョーの記憶のいち部分は本物でありこの二人の間の子供の記憶を植え付けられています(ジョーはこの記憶が一番の宝物だと言っています)。

ラストではデッカードがこの子供に会いに行って物語は終わります。その時、ジョーが死の間際で外では雪が降っており、ガラスで閉ざされた(免疫不全のため隔離されている、或いは秘匿されている)世界の子供がいる場所でもまた同じくホログラムで雪が降っています。これは転生ではないのかと僕は思うのですが(何しろ記憶を受け継いでいるので)、記憶を植え付けられていたレプリカント(偽物)と人間とレプリカントとの間の子供。

元々レプリカントという存在は作られた記憶を自分に植え付けられ生きています。ここでカズオ・イシグロの発言を引用します。「記憶は死に対する部分的な勝利である」(この発言は元々ツイで知ったのですが)。つまり本物の記憶だけが人間が人間である証拠で、『わたしを離さないで』とシンクロする部分はこの記憶という観点がどれだけ重要な重みを持っているかではないでしょうか。それにより人は不死になり、幸福(宝物である記憶)になり、存在している。毎時リセットされながらも継続していくこの記憶の部分に生命を点火させ非常に瑞々しく生き生きとさせたものが人間であるのなら、ジョー(レプリカント)は死んだことによって人間になった唯一の生命体なのではないでしょうか。

繰り返しますがラストでは雪が降っています。この降り積もる雪の中新たな生命が生まれたのです。

雪やこんこんあられやこんこん♫

~完~

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