サマータイム

たっくん

第一章

第一話


 目が覚めると見たこともない景色が広がっていた。


 衝動的に電車に乗り込んでから数時間、気づくと眠ってしまっていたようだ。窓から見える景色は新鮮なもので、都会の街並みとは打って変わって多くの木々が連なっている。


 窓から差し込む強烈な光が、本格的な夏だということを知らせていた。


 今日は八月四日。天候は快晴。


 俺の名前は春風秋哉。どこにでもいる平凡な十七歳だ。特に優れていることは何一つない。普通の高校二年生。


「次は宵浜〜宵浜〜」


 目的地なく電車に乗り込んだことには理由がある。


 テストで赤点を取ってしまったからだとか好きな人に振られてしまったからだとかではない。


 ただ一言で表すと生きることに疲れたからだ。


 別に遠く名の知らない街でこれから自殺をしようと考えているわけではない。あいにくそんな勇気はどこにもないし、どれだけそのことが家族や他人に迷惑をかけることか重々理解している。


 単純にこの夏休みの間だけ名前も知らない街、そして誰も自分のことを知らない環境で過ごしたいと思った。


 そう思った理由は俺の病気に関係している。病気というよりは奇妙な症状だ。


 信じられない話かもしれないが俺は一月に一度記憶を失う。


 どうしてこういった症状に陥っているのか俺自身、そして医者にもわかっていない。ある日を境にこういった症状に陥ってしまった。しかし不思議なことに朝起きることや食事の仕方、勉強で学んだことなど日常的なことは忘れない。忘れているのは自分以外の人間関係と思い出だけだ。


 初めの頃は日記を細かくつけ、忘れても大丈夫なようにしていた。そうすることが正解だと思っていたし、最善の手だとも思っていた。


 しかしそれは長くは続かない。


 どうしたって書ききれないことが出てくる。あの頃の君はこうだったとか、それって昔にもあったよなとか、自分が覚えていないことを他人から言われるのがたまらなく嫌になった。


 今の自分とは違う自分が存在していたと考えると気が気でなかった。


 だから俺は人と接することを辞め、周りと距離を置くようになった。人に干渉することもなければされることもない。


「そろそろ降りるか……」


 そう思い俺は席を立つ。電車のモニターには【宵浜】と書かれている。一体どんな街なんだろうか。


「ちょっとあんた今私のこと撮ったでしょ!」


 前の席に座っていた同じ年くらいの女の子がいきなり声を上げる。肩くらいまである綺麗な髪にパッチリ二重の整った顔をしている。今まで同じ車両に乗っていたことに気がつかないのがおかしいくらいの美少女がいた。一瞬俺のことを言っているのかと思ったけれど、その目線は俺の隣に座っていた中年男性を捉えている。


「撮っていない誤解だ!」

「絶対嘘だ! 今あんたのそのかばんからフラッシュの光が見えたもん」


 おたおたしている中年を尻目に俺は扉の前まで移動する。撮っていなかったとしても疑われた時点で分が悪い。災難だな、あの人。


「本当に撮っていないんだよ!」

「じゃあ携帯を見せなさいよ。撮っていなかったらすんなり渡せるはずでしょ?」

「それはちょっと……き、君にはフラッシュの光は見えなかったよね?」

「え?」


 突然中年男性が俺の側に駆け寄り助けを求めてくる。


「何あんた。こいつの仲間?」

「違う! 俺はこんな人を知らない!」


 おいおいなんで俺まで巻き込まれているんだ。

「怪しいな……とにかく次の駅で私は降りる予定だから二人とも車掌さんに突き出してやるわ」


 目の前の女の子がそう言った時、丁度電車は駅に到着した。扉が開いた瞬間、中年男性は急いで駆け出し俺たち二人を置き去りにする。


「あ! こら待ちなさい!」


 駅が小さいため、すぐに改札を飛び出し外に出る。遅れを取った女の子が慌てて中年男性を追いかける。しかし、懸命に追いかけてはいるものの差は縮まることなくどんどん離されていった。


 このままこの場を後にしても良かったのだけれど、なんとなく気が引けたため俺も改札を出て女の子の元へ駆け寄った。


「何よ……あの中年男性……足早すぎるでしょ」


 追いかけることを諦めた女の子が肩で息をしながら立ち止まっていた。


「ねえ、あんたは本当に盗撮していないの?」

「していないよ。なんなら証拠を見せるけど?」


 そう言い俺はポケットから携帯を取り出し彼女に渡そうとする。


「いい。あんたがもし本当に盗撮していたのなら、あの中年男性のように逃げると思うから」


 意外と物分かりがいいんだな。女の子の表情が柔和になり、もう怒りは収まっているみたいだ。疑いが晴れたのなら本当に良かった。


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