タソガレイション

稲荷ずし

第1話

 朝日が眩しい教室の窓辺。そして、その周りで談笑を交わす女の子たち。

 春の心地よい暖かさと彼女たちの天使のような声が相まって、ここ2-C組は爽やか雰囲気で満ち溢れていた。

 教室の男子は自分には高嶺の花であると思っているのか、目の前に広がる花園に近づこうとはしなかった。それでも、友人との会話や読書の傍らにチラチラと様子を窺っている。


 花園の中心には退屈そうに伸びをする一人の男がいた。

 特に会話に参加するわけでもなく、陽が反射する机に頬杖をつき、気怠い目をして自分を囲む美少女たちに鬱陶しいと言わんばかりの態度をとっている。


「ふぁぁ……眠い」


 男が欠伸をしながら呟くと周囲にいた女の子の一人がそれに反応する。腰まで伸びた橙色の長い髪をさらっとなびかせ、男の机に手をついた。


「もう、だらしないアクビしてぇ! また、夜更かししてたんでしょう!」


「うるせぇな、別にいいじゃねぇか。昨日は、撮り貯めしてたアニメを消化してたんだよ」


 女の子は男の言い訳が心底くだらないと感じたのか、肩を竦めてそれ以上咎めるようなことはしなかった。


 男はやれやれとそっぽを向いて窓の外の景色を眺めた。教室の窓からは校門から校舎へ続く桜並木が見える。地面はぽつぽつとピンク色に染まっており、その上を校舎へ向かう学生達が歩いていた。


「高校2年生にもなってアニメ? うわぁ……。そういうことしてるから、モテないのよ」


 外の景色を眺めているのも束の間、今度は別の女の子が男に毒を吐く。


「モテなくて結構」


 男は窓に置いた視線をちらっと声の方向へ移すと、両サイドに結った碧色の髪をした女の子が、整った顔を少し歪めて汚物でも見るかのような目つきで睨んでいる。


「本当にそう思っているの? まぁ、なんて寂しい人なのかしら」


 女の子は腰に手を当てながら、まくし立てるように毒を吐き捨ててくる。

寂しくねーよ、と言いたいところだがこれ以上は売り言葉に買い言葉だ。

 男は無視を決め込むことにした。


「そ、そんな……。藤宮ふじみやさんはモ、モテてると思います」


 別の女の子が藤宮と呼ばれる男のフォローに入ったが、当の藤宮にはそのフォローが届いていなかったようで、何か言った? と聞き返されてしまった。

 女の子は気まずそうに何でもないですと下を向いて、艶のある黒髪で紅潮する顔を隠した。


その後も、藤宮を囲んだ女の子たちの会話が止むことはなかった。昨日のつけがまわってきたのだろう、藤宮は重い瞼をぎりぎりのところで持ちこたえながら自分にとってどうでもいい会話を受け流していく。今すぐにでも机に突っ伏し、瞼の重みから解放されたいが女の子たちはそうはさせてくれない。

 結局、授業が始まる前に少しだけ寝たいという藤宮のささやかな願いが叶うことはなかった。



 藤宮と女の子達のやりとりを面白そうに見つめる男がいた。彼女たちから離れた席に座って、机に頬杖をついて身体ごと教室の窓辺へ向けている。他の男子も女の子達に興味はあるが、ここまで露骨に傍観する者はいない。


 彼の名は、石塚賢治いしづかけんじ――――。


 表向きは2年生からこの夕陽坂学園に来た転入生ということになっているが、実際はこの世界とは別の世界からきた26歳社会人。人によってはおっさんに分類される年頃である。


「アイツ、モテモテだな。毎朝、この調子だよ。これじゃぁ、俺、狙えないじゃん」


 賢治は冗談交じりに呟いた。すると、後ろから若い男の声が聞こえた。


「賢治は誰押しなの? ていうか、興味あるんだ」


 振り返ると、茶髪の男が背もたれを前にして座っているのが目に入った。


 目元まである前髪を指でクネクネいじりながら、賢治と目が合うとニッと笑って見せた。


石田弘大いしだこうた、彼もまた賢治と同じ境遇でこの世界へ来た人間である。


「そうだなぁ、あの大人しそうな子」


 賢治はなんとなく、藤宮の周りでぽつんと下を向いて立っている黒髪の女の子に指を指した。


「良いセンスだ! 賢治! 海音あまねちゃんを選ぶとはお目が高い!」


 弘大はがたっと席を立ち、賢治の肩をバシバシと叩いた。


「俺も大好きなんだぁ。さっきも藤宮にスルーされてたでしょ? 可愛い」


「可愛いっつうか可哀想の間違いだろ?」


「可愛いだよ!合ってるよ! 何? って聞き返された時のあの慌てた表情! あぁ、これは国宝級だよ。海音ちゃんを産んだ両親に国民栄誉賞を!」 


「マジか……。お前……」


 賢治は彼の感性についていけないが、周りの男子生徒の一部は弘大の熱弁を聞いて小さく頷いている。


 ウソだろ?これが年の差か? 


 賢治は自分がもう若者とは違う生き物になっているのではと若干不安になった。


 弘大は21歳大学生だ。賢治との年の差は5歳、この数字がどこまで影響するのか。


 俺はもう完全におっさんなのか?


いやいや、と賢治は頭の中のマイナスな考えをもみ消し、こいつはただのチャラ男、バカなんだという結論を導き出した。世の20代前半が全員、弘大のような感性を持つ人間であるはずがない。ついでに、小さく頷いてた輩も例外中の例外だ。


「ちょっと! 今、寝てたでしょう! 話聞いてるの?」


「寝てねぇよ! 眠いけど」


 橙色の髪の女の子が藤宮の机をトントンと叩いている。それを見ていた賢治は苦笑いで、アイツって藤宮のオカン? と隣に立つ弘大に尋ねた。


「ふふん、あの子はねぇ、瀬川春奈せがわはるなちゃんて言ってねぇ」


 弘大は賢治の質問にニヤニヤしながら答える。


「藤宮の幼馴染なんだよ」


「オカンじゃないのか」


「違うよ! 冗談でも言っていいことと悪いことがあるよ!」


「言っていい冗談だろ! 今の!」


 弘大はあからさまに大きなため息を吐いて見せた。


「いいなぁ、俺もあんな幼馴染欲しいなぁ」


「オカンみたいな?」


「オカン言うな!」


 あれだけ毎日、説教じみたことを言われ続けるのはさすがに嫌じゃないかと賢治は思う。実際、瀬川に何か指摘されるたびに、藤宮は鬱陶しそうに適当な相槌で受け流しているし。


「俺も毎日、美少女たちとイチャイチャしてみたいよ」


 羨ましいそうに藤宮を見つめる弘大に賢治は、なら代ってもらえよと提案してみたが、弘大は首を横に振った。


 弘大は自分が藤宮の代わりになれないことを痛いほど理解している。なぜなら、ここが弘大が前の世界で観ていたハーレムアニメの世界だからだ。

 そして藤宮隼人ふじみやはやとこそ、この世界の主人公なのだ。既に彼の虜である女の子の相手をするなんて、別の世界からやってきた脇役以下のモブキャラクターに務まるはずがない。


しかし、弘大は理解はしているが決して、諦めているわけではなかった。


「今は、藤宮のターンだよ」


 弘大はウィンクとともにありったけのドヤ顔を賢治にお見舞いした。

 賢治はおう、そうかと一言だけ返した。


「もうちょっと、反応してよ! これじゃぁ、俺がナルシストみたいじゃん」


「ナルシストだよ! お前は!」 

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