第17話 イスパニア商人と千宗易

 1584年(天正12年)6月28日、平戸にイスパニア船が来航――


 これより前にも、イスパニア人は明国や日本の船で来日したことはあったが、イスパニア国籍の船が日本にやってきたのは、実にこれが初めてのことである。


 理由があっての来日ではない。

 ルソン(フィリピン)を出たイスパニア船は、ポルトガル支配下のマカオに向かっている途中、ポルトガル船と遭遇。


「ポルトガル船が行く先には、なにかあるかもしれん」


 と、イスパニア船はポルトガル船を追いかけていった。

 その結果、偶然にも平戸にやってきてしまったのだ。


 船は2ヶ月停泊し、フランシスコ会の宣教師2人が上陸。

 また船長と、同乗していた商人も来日。


 このときの平戸の領主、松浦鎮信まつらしげのぶは船を歓迎した。

 かつては平戸は、外国と国際交易の主力の場であった。だが、いまではその交易の場は長崎に移ってしまっており(分かりにくいが、21世紀の地理で言えば長崎県平戸市から長崎県長崎市のほうに移行している)、平戸は衰退している。


「ぜひ、交易をしたい」


 松浦氏はそう言ったが、やってきたイスパニア船は、平戸が交易の場としてふさわしいか、まだ判断できず、ただ友好を深めるだけに終わった。イスパニア船は8月末に平戸を去った。




「――と、これは表向きの話」


 大坂である。

 秀吉は、余裕そうな笑みを浮かべて、


「実際のところ、何人かのイスパニア商人が、ひそかに九州、そして堺のほうにやってきておるとのことじゃ」


「初耳だな」


 俺の知識では、このときやってきたイスパニア船は布教も交易もせずに去っていったはずだったが、


「わしは各地に忍びを放っておるからのう、細かい情報まで入るのよ。……それでよ、弥五郎。汝、堺に行ってくれんか。千宗易がイスパニア商人を捕まえて、歓待しておる。ここに汝も行けば完璧よ」


「宗易さんが……。分かった、行こう。しかしイスパニア商人と結びつく理由は?」


「そこは、わしにもまだ分からん。しかし南蛮人なら、なにかあるじゃろう。最低でも他の国の知識を得ることができる。信長公がそうであったように、わしも地球の中の日ノ本を考えねばならん立場じゃからの」


「違いない」


 国際的な視野に立って、いまの日本を考えることができる人間は、果たして戦国乱世の中にも何人いただろうか。この一点だけを見ても、俺はやはり秀吉こそ天下人にふさわしいと思うのだ。織田信雄は信長公の息子だが、果たして世界をどれくらい知っているのか。また知ろうとしていたのか。


 信長公や秀吉と比較するのは酷かもしれんがな。

 と思いつつ俺は、秀吉の頼みを引き受けて堺へ向かった。

 伊与とカンナも一緒である。




 堺にある、千宗易の屋敷にて。

 ファロと名乗ったイスパニア人と俺たちは出会った。


「オオっ、よ、ヨーロッパの女性……?」


 ファロはカンナの姿を見てまず驚いた。金髪の女性が、日本の衣服を着て現れたことが驚きなのだ。こういうのは初めてではないので、俺もカンナも慣れている。俺たちは微笑を浮かべながらファロと話した。


 なお、会話は千宗易が雇った明国人の通訳による。彼は日本語とイスパニア語をかなり使うことができた。……ついでながら、カンナがほとんどイスパニア語を解さないことを、ファロはかなり不思議がっているようだった。


 さて、ファロとの交渉である。

 ファロは俺のことを、千宗易から『日本王羽柴秀吉の親友にして大富豪』と紹介されていたようで、目を輝かせて、


「日本の品が明やルソン、シャムなどで取引されている。刀や槍、茶碗や掛け軸などの芸術品が良い」


 と言ってきた。

 俺はその願いを引き受けたと言ったうえで、


「そちらからは、なにを我々にくれるのか」


「ルソンで作られたロウソクや、ジャコウ(香料)などがある。またルソンで使われている壺はいかがでしょうか。珍物としてイスパニアでも好かれている」


「値段にもよるけれど、ロウソクなら確実に国内でも商えるし、仕入れても損にはならんよ」


 カンナが俺に日本語で言った(つまりファロには分からない)。


「ジャコウやルソン壺も藤吉郎さんへの献上品としては素晴らしいと思うし、明やポルトガル商人に高く転売することもできるばい」


「ルソンの壺とは、どういうものだろう。一度、見てみたい、触ってみたい……むうう……」


 伊与が独り言を出す。

 忘れがちだが、彼女は珍品コレクターである。

 年を重ねたので最近はおとなしいが、昔は屋敷の中によく妙なものを集めたり並べたりしていたな……。


「……よし、分かった。ではそちらの保有している品を見せてくれ。値段さえまともなら購入しよう」


「ありがとうござりまする」


「ところで、イスパニアの船は日本近海によくいるのかな?」


「すべては知りませんが……」


 ファロは、ちょっと困った顔をしたうえで、


「ポルトガル領のマカオに、いろんな国の人間がおります。日本人もおります。商いも大変盛んです。ですから、ものを運んだり売ったりするためにイスパニア船もよく、このあたり、通っていると聞きましたね、はい」


「世界の中に日ノ本、というわけですな」


 そのとき、千宗易が口を開いた。


「山田どのは常々、地球を視野に入れて交易をしようともくろんでおられますが、イスパニアやポルトガルもそのように考えておるようで。ほほっ、我々としてもじつに面白い。


 実は山田どのがここに来られる前、私は私でファロどのに、茶碗や花入を売る話をまとめておりました」


「ハイ。……その通り。宗易さんは日本でも有名な茶人と聞きました。そのうわさは平戸でも聞きましたよ。その茶人さんが認めた茶碗ならば、うふふ、高く商えます。この通り……」


 ファロが、笑みを浮かべながら茶碗を掲げる。

 俺は(ん)と眉をひそめた。千宗易は涼しい顔である。


 ……大した茶碗には見えない。

 俺は茶の湯については、かじった程度というか、恥をかかないレベルにしか知らないが、それでも茶碗を商ったことだって何度かある。その俺の目利きによると、いまファロが抱えた茶碗は――


「では、山田さま。こちらが持っている商品は、いまから目録を作りますので、明日、また話し合いができますか?」


「あ、ああ。では、よろしく頼みます」


 ファロは、俺たちの前から去っていった。

 こっちはこれでいい。イスパニア船の情報や、商売の話ができた。

 明日はもっと、話をしてみよう。……これはこれでいいのだが……


「宗易どの」


 俺ではなく伊与が、口を開いた。


「いま、ファロどのが持っていた茶碗は、お世辞にも良いものとは思えなかった。町民が使っているような質素なものにしか……それをあなたは、いくらで商ったのだ?」


「ほほっ。……堤どの。庶民が使うものであろうと、良い茶碗はありますぞ。この私は間違いなく、あの茶碗を一流の品として、銀50粒で売ったのです」


「ぎ、銀50? あんなボロッ……質素な茶碗が? あんなもん、せいぜいビタ銭10枚……」


 カンナが唖然とする。

 宗易は、堂々としたもので、


「それでも私は、たいした茶碗だと思った。……そう思ってファロどのに見せたら、銀50だと彼は言った。彼だけではない、近くの明国人も、日本人も、銀50が妥当だと言った。私ではない、世間様が決めた。それに」


 宗易は、しっかりとした声で、


「……あの茶碗は、本当に良いものだと私は思ったのです。……良いものは良いのです。……例え世間で絶賛された名物であっても、私にとってはびた一文にもならぬ茶碗もありますぞ」


「…………」


 ある意味では、ひどく清らかな答えとも言える。

 世間の価値などくそ食らえ。自分が良いと思ったものが良い。

 これほどまっすぐな価値観もないと言える。


「それに、山田どのも同じではないかな?」


「なに?」


「山田弥五郎どのが作ったり、手を入れた鉄砲や道具ならば、高く売れる。仮に質が他と同じものであっても、高い値がつく。それと本質的には変わらんのではないですかな?」


「それにしても、あの茶碗は……」


「穴が空いた茶碗を売ったわけではありませんからな。……あとはどこに価値を見いだすかは、人それぞれ。……はっはっは、堤どの、私はそう思うのだが、あなたはいかがかな」


「……どうも、ごまかされているようだ。……宗易どの! 私は……!」


「もういい、伊与。……宗易どのの言うことも一理ある……」


 宗易ブランドとでもいうか。

 21世紀においても、ただの鞄が、ブランドをつけるだけで高く売れたりするものだ。

 本質的にはそれと同じ話なのだ。宗易の言うとおりだ。しかし――


「しかし宗易どの。あなたがひとりでその茶碗を使うのは自由ですが、ひとに売るとなると、やはりどうかと――あまりにもその茶碗の相場とかけ離れすぎた商いを続ければ、どこかでひずみが出てくるものですよ」


「その値段を決めるのは世間様だと言ったではないですか。……ふふっ、まあよろしい。宗易は宗易の思う道を歩むのみ。ホッホッ、……では山田どの、所用がありますので、今日はこのあたりで」


 俺たちは宗易の屋敷を追い出された。


「俊明。いいのか、あれを放っておいて!」


「弥五郎のことを話に出しよったけれど、ちょっと違うよね。例えるなら弥五郎が、ボロボロの火縄銃とか脇差を、良いものと言って銭100貫で売りよったら、そらさすがにどうかって思うし」


「宗易どのは、ああいうお方だっただろうか。信長公の時代にはもう少しおとなしかった気がするが」


「あれで茶人としては天下一のお方なんだ。それがまた複雑な話になる」


 俺は宗易の屋敷、その門構えを見つめながら、


「誰よりまっすぐにして、純粋なようでもあり、欲望ギトギトで金と権力を求めるようでもあり。……なるほど藤吉郎とウマが合うはずだ」


 宗易は信長公の時代よりも、ずっと権力を増している。

 それは秀吉のお気に入りだからに他ならない。

 大坂城の中に、屋敷や茶室を作るのも、宗易が担当しているはずだ。


「俊明。茶碗の件が、イスパニアと日本の間でもめ事にならねばよいが」


「茶碗ひとつで、どうなるとも思えんが……。気にはかけておこう」


 そして俺は、これから数年後、千宗易が秀吉に殺されることを知っているだけに、どう動くべきかと考え始めていた。




 さて、その後――


 羽柴軍と織田・徳川軍の戦いは、一進一退。

 決着がつかないまま、時だけが過ぎていく。


「弥五郎。なんとかできんか」


 秀吉包囲網を敷かれている秀吉は、いよいよ焦り始めていたが、ここで俺は、カンナから上がってきた報告書に目を落としたうえで、


「織田と徳川も、かなり苦しくなっているようだ。火縄銃の弾や火薬、兵糧などが尽きようとしている」


 俺たちが行った経済制裁が効いてきたようだ。


「本当か、弥五郎」


「ああ、本当だ。だが徳川が屈服するのはまだ時間がかかるな。五右衛門が徳川領で調べてくれたが、家康はずいぶん金や兵糧を城の中に溜め込んでいるらしいぞ」


「あの、けちくされタヌキめ!」


「……まあそういうわけで、徳川はまだ手強い。しかし織田信雄のほうなら、なんとかなると思う。……そこで俺はいまから、美濃の加納に行ってくる。津島や伊勢の商人たちと、顔を合わせる手はずになっているんだ」


 俺がそう言うと、秀吉はもうピンと来たらしい。


「汝、そろそろそういうことを言うと思っておったわ。よし、そっちは任せるぞ」


「任された」




 3日後。

 なつかしの加納、その隅にある寺で、俺は津島衆や伊勢衆に向かって、樽を見せた。

 イスパニアのファロから購入した火薬の樽である。樽にはイスパニア語でなにか書いてある。


「皆々様、これはイスパニア商人から購入した最新の火薬でございます。威力はこれまでよりもずっと高い。この火薬を使えば、織田軍はすぐに木っ端微塵となるでしょう」


「そ、それほどまでに、ですか」


「それほどまでに、です。この山田弥五郎が保証します」


 商人たちがざわついた。

 山田弥五郎の鉄砲と火薬の腕は天下一。

 その評判は日本中に知れ渡っているのだ。我ながら、くすぐったいが。


「織田家が羽柴家と和睦するのであれば、この火薬を皆様に進呈してもいい。羽柴領との取引もすぐに再開いたしましょう。しかし和議をしないとあれば……どかん、でございます」


「お、おお……」


「どうか皆々様におかれましては、一刻も早く織田様と羽柴筑前が仲直りをするような働きを、見せていただきたく……」


 実はこのイスパニア火薬は、別にそれほど凄いものではなく、並の火薬でしかない。

 しかしイスパニア語の樽と(日本人は本質的に外国語に怯える。この時代であっても!)山田弥五郎の太鼓判が功を奏した。


 津島と伊勢の商人たちは、羽柴領との取引を再開するために、そしてイスパニア火薬に怯えたために、織田信雄に対して、和睦を訴えると約束して、加納の町を去っていった。


「これでいい」


 金と暴力の脅し。

 阿漕なことだが、これで織田信雄は戦争をやめざるをえないだろう。

 領内の商人たちからそっぽを向かれては、戦など、とうていできないからだ。


「しかし、この山田弥五郎が保証する、か……」


 イスパニア火薬の一件は、宗易が安物茶碗を保証して高値で売ったのと、似たような話なのだな。


「なるほど。俺と宗易と藤吉郎は、ウマが合うわけだ」


 実に阿漕だ。

 だが、これで戦が無くなってくれたら、いいことだ。

 そう、自分に言い聞かせた。




 信雄からの申し出で、羽柴と織田が和睦することに決まったのは、それからおおよそ一ヶ月後のことだった。

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