第39話 三方ヶ原の戦い

「ここに集めたのは、織田家の中でも腕利きの者たちばかりだが」


 信長は、声を低くして言った。


「それだけが理由の人選ではない。特に山田と藤吉郎、そちたちは、な」


「と、申しますと……?」


 俺が尋ねると、


「そちたちふたりは、川中島で信玄を見ておる。ゆえに、信玄を討つにはそちたちを抜擢したのだ」


「……それはもう、ずいぶん古い話でございます。それに信玄と間近に接したわけではありません」


「それでも、だ。――信玄ほどのものとなれば、影武者も多くいるだろうが、本物はやはり殺気が違う。……その気配を感じ取るには、本物を一度でも見たことがある人間でなければならぬ」


 信長の言葉には、奇妙な説得力があった。

 確かに川中島に向かったとき、俺と藤吉郎は武田信玄の背中を目撃した。

 動かざること山の如し。……風林火山の迫力を、当時の俺たちは確かに感じたものだったが。


「――むろんそれだけではないぞ。そちたちは三河や遠江の地理にも詳しいし、徳川どのや石川与七郎(数正)とも交流がある。そっちの石川五右衛門に至っては遠江や駿河をかつて根城にしていたとも聞く。そして――こちらの松下嘉兵衛とも親しいそうではないか」


 そこで、松下さんがうなずいた。


「信玄討伐の策は、徳川さまと織田さまが話し合い決めたことさ。……それがしも武田家にいくらか知り合いがいる。ゆえに、今回の策には適任とされて、参加することになった」


「山田、藤吉郎、それに松下嘉兵衛を中心として、遠江に向かい、進軍中の信玄を殺すのだ。……いまの余と徳川どのにはそれしか策がない」


 その顔は、暗かった。


「どんなやり方でもよい。……そう、かつて、あの杉谷善住坊とやらが余を狙い撃ちにしたように――鉄砲で撃ち殺してもよい。信玄を討て。なんとしても。そうしなければ、――尾張も美濃もおしまいよ」


 これほど弱気な信長の顔も、なかなか見たことがなかった。


「――なぁに、これだけの面子が揃えば、鬼だって泣いて逃げ出しますわ。なあ、てめえら。……やってやろうぜ!」


 前田利家が、やけに明るい声を出す。

 すると藤吉郎も、


「おおとも。わしらの手であの信玄を討ってやろう。わしらならできる。のう、弥五郎!」


 ハキハキとした声で叫ぶ。

 ふたりの明るさがいまは救いだった。

 信玄を討つ。討たねばおしまい、か。


 なるほど。

 この世界は、俺が動かねば史実通りにならない世界だったな。




 ――徳川には、佐久間信盛を中心として3000人の援軍を送った。……しかし信玄には勝てまい。


 俺たちが岐阜を発つとき、信長は言った。


 ――徳川は、おそらくもって3ヶ月。……その間になんとしても信玄を殺すのだ。頼むぞ。


 こうして俺たちは遠江へ向かう。

 メンバーを改めて見回す。


・山田弥五郎

・堤伊与

・石川五右衛門

・木下藤吉郎

・木下小一郎

・竹中半兵衛

・蜂須賀小六

・滝川一益

・前田利家

・佐々成政

・明智光秀

・松下嘉兵衛


 そうそうたる顔ぶれだ。

 本来、横山城にいるはずの藤吉郎や、坂本にいるはずの明智光秀のところには、それぞれ影武者を配置し、さらに柴田勝家、丹羽長秀、林秀貞といった面々がそれぞれの仕事を引き継いだらしい。


 藤吉郎や明智光秀まで動員するあたり、今回の作戦がいかに大事かが分かる。

 

「……俊明」


 遠江に向かう途中、伊与が小声で話しかけてきた。


「我々は、信玄に勝てるだろうか?」


「分からん。しかし勝たなきゃ、たぶん織田家と徳川家はおしまいだ」


「本来であれば、武田信玄は病で死ぬと言っていたな?」


「そうだ。そのはずなんだが。――どうも、そうなる気配がない」


 俺たちが殺さねばならないのだ。武田信玄を。


「では信玄を倒すとして、具体的にどうする? 策か、また新しい武器でもあるのか?」


「策はまだ、いまのところ思いつかない。突然の話でもあったしな。……ただ、武器はいくつか準備してある」


 俺は振り返り、馬の背に乗せた包みを眺めた。

 中には、鉄砲が何丁も入っている。

 実はこれは新兵器なのだが――さてこれが信玄相手に通じるかどうか。


「そしてさらに。いま、ひとつだけ、やっておくべきことがある。……五右衛門!」


「ん? なんだい?」


 離れたところにいる五右衛門を呼んだ。


「頼みがある。一足先に浜松城に向かって、徳川さまにお伝えしておいてくれ」


「なにがあろうと生き延びてくれ、と。……生き延びてさえくれたら、あとはこちらがなんとかする、と」


「なんだそりゃ。ずいぶん大雑把おおざっぱな伝言だねえ」


「まだ策が思いつかんのだから、仕方ないだろ。……ただいまは、とにかく徳川さまを生かしたい。なにがなんでも生き延びてほしい。そう思ったんだ」


「ふうん、なるほど。徳川さまってちょっと、短気なところがあるからね。釘を刺しておかないと、ヤケクソで突撃して討ち死にとかやりかねないからねえ。……合点承知、それじゃうち、行ってくるよ」


 五右衛門は、ニヤッと笑った。

 そして駆け出して――かと思うと、彼女はさっと振り向いて、


「『山田弥五郎が、クソ漏らしてもいいから逃げろって言ってた』って、ちゃーんと徳川さまに伝えておくからなっ!」


「クソ――おい、変なこと言うな――」


「あははははっ! それじゃ、またな!」


 五右衛門は、すごい勢いで走り出していった。

 その様子を、藤吉郎たちもキョトンとして眺め、


「なんじゃ、あいつは。……おい弥五郎、五右衛門になんと命じたんじゃ?」


「いや……まあ、徳川さまに無理をするなという伝言を……」


 俺はなんだか、ズキズキと痛むこめかみをさすりながら、――しかし、徳川家康が武田信玄を相手に戦って負けて、糞尿を漏らしながら逃げ出したという謎の逸話を思い出していた。……こんなところで史実通りになってどうする。




 俺たちの軽いノリはともかく。

 現実はどこまでも、圧倒的だった。


 1572年(元亀3年)12月22日。

 徳川家康、遠江の三方が原にて武田信玄と激突。

 織田家の援軍まで含めて戦うが、しかし家康はこれに大敗する。


「逃げろっ! 逃げろ! 逃げまくれっ!!」


 夕方から、夜になり――

 徳川軍は敗走に敗走を重ね、次々と浜松城に逃げ込んでいく。

 そこを武田軍が追撃してきた。このまま武田軍によって、浜松城が攻められたら、城が落ちるのは目に見えていた。城の兵たちは、慌てて城門を閉じようとした。


 だがそこへ、城に逃げ込んできた男がいる。

 家康である。家康は、城に入るなり大声で怒鳴りあげた。


「城門を開けっぱなしにせよ! さらにかがり火をたけ! いいか、絶対に門を閉めるなよ!」


 奇妙な命令だったが、しかしこれには理由があった。

 ひとつはもちろん、まだ逃げ帰っていない味方の兵士を城に入れるため。

 さらにもうひとつは、城門を開けることで、敵に「なにか罠があるのでは」と思わせるためだ。『空城くうじょうの計』と呼ばれる策略だが、この作戦は当たった。武田軍は、門が全開の浜松城を見て、


「家康め、なにかたくらんでおるな」


 と考えて、城に攻め込まなかった。

 もっとも、これは敵の作戦という者もいた。


「もはや徳川に力は残っておるまい。織田の援軍も合わせて我らは蹴散らしたのだぞ。城門を開けっぱなしにしているのは、罠と見せかけて実はなにもないのだ」


 その言葉には説得力があった。

 武田軍は、城攻めをやるべきだという意見に包まれた。


「このまま一気に浜松城を落とすべし」


「家康を討ち取れば、あとは信長だけじゃ」


「うむ、徳川を徹底的に蹂躙して、遠江と三河を手に入れようぞ」


 武田軍は、ふたたび戦の準備を始めた。

 弓を構え、鉄砲を揃え、槍を、刀を、それぞれ装備し――




 そのときであった。




 ががががが、ががががが、ががががが、がががががン!!




 何十発もの弾丸が、武田軍に降り注いだ。

 なんじゃあ、と武田軍は仰天し、弾が放たれた方角に目を向ける。

 そこには、織田家の旗とたいまつが、何十と翻っていた。


「織田の援軍!」


 武田軍の兵たちは、仰天した。

 彼らは賢い。ゆえに、瞬時に悟った。


 織田家は、もっと援軍をよこしていたのだ。

 そしてその援軍を、浜松城の近くに伏兵として潜めていたのだ。

 そうに違いない。いま降り注いだ弾丸の数を考えても、最低、数百の兵がやってきたのだ!


「いかん、やはり織田と徳川め、罠をしかけておったわ。者ども、いったん退くぞ!」 


 武田軍は、整然と退却した。

 浜松城付近から、武田の旗が消えていく。

 徳川家は助かった。家康は、その景色を城の中から見ていたが、――しかし彼ははてなと思った。あの旗印は織田軍に違いないが、しかし織田家はまた援軍を送ってきたのか?


「ン――いや、あれは」


 よく見ると、夜の闇の中。

 旗もたいまつも、ただ立っているだけで、人間はほとんどいない。

 鉄砲も――構えているのは、たった3人だった。


 ただその鉄砲。

 異様な鉄砲だった。

 銃身がなんと、何十もくっついている。

 その奇妙な銃を見た瞬間、家康はヘッと笑った。


「山田弥五郎か。やつが来たのか」


「だから言ったでしょ? 必ず来るから、それまで生き延びてくれって」


 家康の隣には、五右衛門がいた。




 二十連発斉発銃――

 江戸時代の日本において開発されるはずの、いわば連装銃のパワーアップバージョン。

 銃をいくつもくっつけて、一度に20発の玉を発射できる銃。重すぎて実用には向かないが、使い方次第では面白いこともできる。そう、例えば今回のように、大勢の援軍のふりをする、など……。


 俺はこれをひそかに作っていた。

 本来、和田さんを救うために作っていた武器なのだが。

 前回はけっきょく使わなかったが、今回はきっと役に立つと思って持ってきていたのだ。


「相変わらず妙な鉄砲を作りやがる。なあ、佐々」


「(こくこく)」


「だがおかげで、武田軍を追い散らすことができただろう?」


 二十連発斉発銃を構えた、滝川一益、佐々成政、そして俺。


「兄者、旗とたいまつはもう片付けてよいか?」


「おう。たいまつは人数分だけ残して、あとは火を消せい。旗もしまえ。……半兵衛よ、汝のたいまつ策も見事であったぞ」


「この程度、子供だましのような策でござるが」


 木下小一郎、藤吉郎、そしてたいまつと旗の策を提案した竹中半兵衛がそれぞれ言った。


「よし、とにかく徳川さまと合流しようぜ。話はそれからだ」


「承知した」


 蜂須賀小六、明智光秀の言葉は正しかった。

 こうして俺たち、信玄暗殺隊は遠江入りし、――まずは徳川家康の生命を守ることに成功、そして浜松城入りしたのである。

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