第36話 朝廷財政再建作戦

「疲れた」


 信長は、室内に入ってくると、その場でどっかと横にぶっ倒れた。

 いきなりの展開に、俺も伊与もカンナも五右衛門も、唖然としていたのだが、そのとき部屋に又左が――そう、前田利家がひょいっと入ってきて、


「よう、悪いな、邪魔するぜ」


「又左。お前まで!」


「あんまり硬くなるな。オレっちも殿様も内密しのびさ。……ご覧の通り、殿様もたいそうくたびれていてな。人目につかないここで気がねなく横になりたかったのさ」


「そういうことだ。山田、許せ」


「は、はあ。……いや、許すもなにも……いつまでも、どうぞ。……五右衛門。菓子くらい台所から持ってきて――」


「お、おお。へぼ五平があったはずだ。それを持ってくるよ!」


 五右衛門はただちに部屋を出て、台所へと向かった。

 信長はなにも言わず、両手を枕にして身体を横たえ、目をじっとつぶっている。

 そうだよな、さすがに疲れるよな。ここ最近、ひたすら戦、戦の連発だし……。


 やがて五右衛門が、あかりと共にやってきた。

 白湯とへぼ五平を、盆の上に乗っけている。

 しかし運ばれてきたそれらの菓子に、手を付ける者はいなかった。

 信長が、寝転んだままだからだ。――俺たちはただ、下座にて信長の次の動きを待つ……。


「信玄入道には手を焼く」


 信長は、目をつぶったまま言った。

 情報戦で上をいかれたことを言っているのだ。


「相模の北条氏康の体調が良くないと聞く。そのためか信玄め、ずいぶんはしゃぎ回っておるわ。我が領内のそちこちに、武田の忍びが動き回っておる」


 事実だった。

 相模国を支配している戦国大名、北条氏康は体調を崩している。

 そのため、武田信玄はより活発に、表で裏で動き回っている。――なお北条氏康は、これから間もなく死ぬ。信玄の勢いはますます盛んになる。


「武田の忍びどもは、延暦寺の焼き討ちを過大に触れ回っておるわ。……世の中は、声が大きいものが得をする。例え嘘であっても、なんべんでも怒鳴り声で聞かされてはそれが真実だと思われてしまう」


「むろん殿様も、手をこまねいているわけじゃないぜ。こっちだって忍びを使って、延暦寺の焼き討ちには正義があった、そもそも無抵抗の者まで殺しまわってはいない、と触れ回っている。……だが民百姓は、なかなかそれを信じてくれねえ」


「良い話と悪い話では、悪い話のほうに世の中の真実があると思いこむ。……人間とはそういうものよ」


 信長は、諦めかけたような声で言った。

 その言葉には一理ある。うわさとは悪いもののほうが、得てして広まりやすいし、本当のことだと思われやすい。それは遠い21世紀でも変わらない。


 しかし……。

 この状況は、確かにマズいな。

 だが情報戦となると、負け戦からどう挽回したらいいものか?


 少し考えて――

 俺は言った。


「朝廷の財政を援助するのは、いかがでしょう」


「……なに? ……どういうことだ?」


 信長は寝ころんだまま、目を見開いた。


「延暦寺に勝る権威といえば、朝廷です。その朝廷を、完全にこちらの味方につけるために、財政を援助するのです。


 長引く戦乱で、みかどは日々の暮らしにも困窮していらっしゃいます。その生活を殿様がお助けする。


 そうすることで、織田弾正忠は朝廷に忠義を尽くす正義の大名である、延暦寺を焼き討ちしたことにも大義があるということを諸国に触れ回れば――信玄入道のたてたうわさにも、対処できることと存じます」


主上しゅじょうを味方につけて、諸国に我が大義を喧伝するというのか。……それは面白い。そういえば我が父、信秀も皇室を敬うこと多大であった」


 それは事実だった。

 信長の父の織田信秀は、1540年代の時点で朝廷に3000貫とも4000貫ともいわれる多額の献金を行っている。心からの忠節だったとも言われるし、朝廷の権威を利用しようとしたとも言われるが――


「しかし山田。いま織田家には金がない」


「はっ」


「知っておろうが。連年のいくさ続きの上、信玄のせいで我が織田家の信用は落ちておる。いまは主上をお助けするほど、当家にも銭がないのだ」


「無論存じております。……しかし、銭がないならば、銭を持って増やせばよいこと……」


 俺の頭を全力で回転していた。

 長い商人生活の上、身に着いた智恵が動き出す。


「畿内の各寺社に1たんあたり1しょうの米を税として納めさせましょう。その上でこの米を、京の都の町衆にそれぞれ貸しつけ、利息をとるのです」


「利息、だと……?」


 そこで信長は、がばっと跳ね起きた。

 俺は構わず続ける。


「いま現在、都の上京には84町、下京には45町が存在しますが、これらに1町あたり5石の米を貸しつけるとします。その利息を3割受け取るとすれば――1ヶ月で1斗2升5合の米を受け取れることになります。それをそのまま朝廷にお納めし、財政の援助とするのです」


「1町あたり、1ヶ月で1斗2升5合。となると、合計の米の量は――」


「毎月13石、1年で156石になりますっ!」


 カンナが明るい声を出した。

 この手の計算では彼女の上をいく者はいない。

 もっとも、礼儀をわきまえなかったことを恥じたのか、カンナはすぐに、


「で、出過ぎました……申し訳ございません……」


 と言って頭を下げる。

 だが、信長は別に気にした様子もなく。


「156石か。さほどの米でもないが、財政支援としては充分か。それに、これ以上の米を利息として取れば町衆も反発しような?」


「左様でございます。いまならば――延暦寺焼き討ちの恐ろしさを世間に知らしめたいまならばこそ、京の町衆も御命令には従うでしょう」


「なるほど、信玄入道が作った余の悪印象を逆手に取って、米を徴収するのか」


 信長は、この日、初めて笑った。


「ふむ、面白い。余のふところは痛まずに、主上をお助けして、織田家は大義を得ることができる。山田、よう考えた」


「ありがとうございます!」


 褒められて、悪い気はしなかった。

 信長はすっくと立ち上がり、


「又左、城に戻るぞ。山田の献言を用いる。――山田、それに女房の蜂楽屋もついて参れ。忙しくなるぞ!」


「「「ははっ!」」」


 俺と又左、そしてカンナは揃って平伏し声をあげた。




 信長は俺の案をただちに実行。

 京の都にいる明智光秀に命令して、朝廷の財政支援を行う手続きを開始。

 事実上の年貢を課税された京の都の寺社や町衆は、反発する者もいたが、しかし朝廷のためという大義名分、京の都を再建した織田信長の命令、さらに延暦寺を焼き討ちした男からの要請というさまざまな事情が絡み合って、露骨に反乱などを起こす者はいなかった。


 この作戦は成功した。

 朝廷は、財政を助けてくれた信長に強く感謝。

 そして朝廷を味方につけた信長は、信玄以上にそのことを諸国に宣伝。


「織田信長は、延暦寺を焼き討ちしたが、恐ろしいだけの男ではない。帝に忠誠心も持っている、立派な大名なのだ」


「そもそも延暦寺は主上に対してなにをした。乱世に対してなにをした。ただ日々を無為に過ごしていただけではないか」


「それに比べて信長は偉い。帝をお助けし将軍家を再興したのだ。大した人物だ」


 これらの噂はどんどん広まる。

 広めるのに、俺たち神砲衆もおおいに活躍したことは、言うまでもない。




 信玄はこれを聞いて、あるいは焦ったか。

 伊勢に忍びを放ち、海賊衆を家来として募集しはじめた。

 このころ、信玄は駿河国を支配していたので、水軍を充実させるための行動だろうが――


 その上、相模国の北条氏康が亡くなったあと、そのあとを継いだ息子の氏政とも同盟した。武田家と北条家は、同盟したり敵対したり複雑な関係だったが、少なくとも現在は味方同士となったのだ。


 武田家はこの同盟によって、東側の敵をなくしたことになる。

 信玄の織田領侵攻は、いよいよ確定的なものとなってきた。

 いや、実際信玄は、いまから1年後に上洛の軍を起こすのだけど……。


 甲斐に向かった和田さんと次郎兵衛はなにをしているのか?

 ふたりからの知らせは、まだない。




 信長が朝廷に忠誠を尽くし、信玄は織田家への敵対姿勢を露骨にしていく。

 世間がこんな状態の中――ひとり、信長に対して、苛立ちを募らせている男がいた。




 将軍、足利義昭である。

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