第30話 狙撃、姉川、本願寺……

「山田、無事でなによりである!」


 京の都に戻った俺は、信長にねぎらいを受けた。


「徳川どの、巻き込んでしまい済まなんだ。そして藤吉郎もよくぞ山田を連れ帰った。大義である。こたびの功績、一番槍十度にも匹敵する!」


「ありがたき幸せ!」


 藤吉郎は平伏した。

 今回の金ヶ崎の戦いにおいて、織田軍の殿軍を承ったのは、池田勝正であった。しかし信長は、俺を救出し、かつ金ヶ崎砦で奮戦した藤吉郎を手柄一番と認めたのだ。


「また、明智十兵衛。そちも山田救出に功績があったと聞く。見事である。これよりそちを部将に任命し、一軍を預ける」


「はっ」


「今後も、織田家のためにより尽くすがよい」


「ははぁっ」


 明智光秀もまた、平伏した。

 彼もまた、少しずつ世に出始めたのか。

 のちの歴史を知っている俺としては、やや複雑な気持ちだが……。


「しかし織田どの。武田信玄がこれほど遠い越前にまで、謀略の手を伸ばしてくるとは思いませなんだな」


 徳川家康が言った。

 すると信長はうなずいて、


「あの悪辣入道ならやりかねぬ。……余としてはただちに、甲斐に向けて兵を出したいところだが、そうもいくまい」


「その通りでござるな。浅井朝倉が敵に回った以上、織田どのは西を向いておいたほうがよろしゅうござる。武田は、この次郎三郎(家康)にお任せあれ」


「頼む、徳川どの」


 信長は家康の手を取って、拝むようにして頼んだ。家康はうなずいた。


 織田家と武田家は、表面的にはまだ友好関係を結んでいる。ハラワタがいかに煮えくり返っていようと、いまの織田家の状況を考えれば、武田家と全面戦争になるのは避けたいところなのだ。……これが戦略というものだ。


「山田」


 信長が、俺を見た。


「はっ」


「そちはこれより、まずは岐阜へ戻れ。織田家は今後、浅井・朝倉と戦うことになる。そのための兵糧や武器、道具の数々を調達するのだ。これを任せられるのは神砲衆より他にない」


「ははっ、ただちに」


「うむ。それと、二度と敵に捕まることがないように、そちの帰りには兵をつけてやろう。くれぐれも身体に気を付けよ」


「はっ。……ありがとうございます!」


 信長の言葉に、俺はちょっとだけ涙ぐんだ。

 このひとにはやはり、天性の優しさが備わっている。

 藤吉郎や徳川家康が惚れ込むわけだ……。


「気を付けて岐阜へ帰還します。……殿様こそ、充分、敵襲にお備えくださいますよう」


 そう言いかける途中で、俺はふと思い出した。


「――特に、鉄砲による狙い撃ちにお気をつけください。杉谷善住坊すぎたにぜんじゅぼうなる鉄砲の名手が、殿様を狙っていることをつい先ほど、耳に致しました。殿様もいずれ岐阜に戻られることかと存じますが、くれぐれも周囲にお気を配りくださいませ」


 この年の5月、つまり来月だが、杉谷善住坊すぎたにぜんじゅぼうが京都から岐阜に戻る途中の信長を狙撃するのは歴史的事実だ。俺はそれを言ったのだ。信長は「あいわかった、気を付けよう」と首肯した。


 これでいい。いかに歴史の大筋を、どう頑張っても変えられそうにないとはいえ、できることは最大限しないといけない。それが俺の、転生者の役目だからな。




「俊明!」


「弥五郎っ! あんた、無事やったとねっ!」


「伊与、カンナ。……ただいま」


 岐阜に戻った俺を、伊与とカンナが出迎えてくれた。


「ふたりのおかげで、俺も織田家も助かったよ。ありがとう」


「なんば言いよるとね、当たり前のことばしただけたい。それよりもあんたが無事で本当によかった……」


「すまないな。うちがついていながら、敵に捕まっちまって」


 五右衛門が、暗い顔をして言ったが、そんな彼女の肩を伊与はぽんと叩いた。


「気にするな。敵がずる賢すぎたのだ。話は聞いているが、そこにいたのが私であっても、おそらく武田の魔の手からは逃れられなかった」


「ありがとな。そう言ってもらえると助かるよ」


 五右衛門は、はにかんだ。




 その日の夜。


 岐阜にある神砲衆の屋敷の中の一室で、俺と伊与とカンナ――それと部屋の隅っこで眠っている樹もいるが――ひとまず俺たち3人は、顔を突きつけ合わせて、渋い顔をしていたのだ。


「けっきょく、歴史は変えられなかった」


 俺は、嘆息混じりに言った。


「浅井は裏切った。武田信玄もおそらく敵になる。すべては俺の知っている歴史の通りだ。俺が動いても、むしろ動いたからこそ歴史が俺の知っている通りになる。……どういうことなんだか」


「ねえ弥五郎、あたし思うっちゃけど。……もしかして弥五郎がいまの時代にやってきたのは、本来、あるべきことやったんやないの?」


「なに? ……なんだと? どういうことだ?」


「やけん。……ずっと遠い未来におった山田俊明が、この時代の弥五郎になるのは、それ自体、最初から起こる予定やったことやないかって、そういうこと。……弥五郎がこの時代で活躍するのは、それ自体が本来の歴史なんよ、きっと」


「しかし、私たちの名前は俊明の時代に伝わっていないのだぞ?」


 伊与が、そうだろう? と言わんばかりのまなざしを俺に送ってきた。


「……ああ。堤伊与の名前が『信長公記』にちょっと登場したり、石川五右衛門の伝説が伝わっているくらいで、山田俊明、蜂楽屋カンナ、さらに神砲衆の名前は、俺のいた21世紀にはまったく伝わっていない」


 だから俺が戦国時代に転生した時点で、歴史は枝分かれしたのだ。

 俺は、そう思っているのだが……。


「俊明の活躍は大したものだ。神砲衆も、もはや織田家になくてはならない存在だ。これだけやっておいて、後世にほとんど名前が残らないなど、ありえない。やはり俊明がこの時代にやってきた時点で、歴史は多少なりとも変わった、と考えるのが自然だ」


「やけどねえ、弥五郎がおらんと、弾正忠さまや藤吉郎さんが危なかったときも多かったよ? これは、どげん説明するとね? もちろん逆に、弥五郎がおったからこそ織田家が窮地に陥ったこともあるんやけれど……」


「………………」


 伊与とカンナの議論を聞きながら、俺は考え込む。

 しかし結論は出なかった。俺の転生は予定通りなのか、それとも……。

 ただひとつ言えることは、もはや賽は投げられているということだ。俺はもう、歴史の表舞台から降りることは許されない。自分のため伊与のため、カンナのため樹のため、藤吉郎や織田家のため――ここまできたら、俺は俺のするべきことを全力でしなければならない。そうしなければ、これまで俺が葬ってきた数々の敵たちだって、浮かばれまい。




 歴史は流れる。

 戦いは続く。



 元亀元年(1570年)、6月4日。

 六角義賢、義治父子が蜂起。柴田勝家と佐久間信盛の軍と戦う。柴田側の勝利。




 同年、6月21日。

 織田信長、小谷城を攻める。落とせず。




 同年、6月28日。

 織田徳川連合軍、姉川において浅井朝倉連合軍を破る。いわゆる姉川の戦い。




 この間、俺は兵站業務にいそしんだ。

 織田家に、徳川家に、兵糧や武器を準備し続けた。

 しかし連続する戦争に、織田家の経済力は疲弊した。


 神砲衆の交易をもってしても、銭の供給は追いつかなかった。

 ひとつには、カンナが妊娠しており、彼女はいよいよ仕事ができる状態ではなくなったため、神砲衆の交易能力が半減していたこともある。俺自身も武器製造や兵站業務に励んでいたため、交易にまでなかなか手が回らなかったのだ。


 とにかく。

 織田家は困った。


「本願寺に銭を求める」


 信長はそう決断した。

 俺はやめろ、と言いたかった。

 この信長の要求こそが本願寺と織田家の対立に繋がるからだ。しかし現実に金はなかった。


 信長は本願寺に軍事費を要求。

 その結果、本願寺は怒り、この年の9月12日に蜂起。

 摂津国にあった信長の陣所に鉄砲を撃ちかけたのだ。


 姉川の戦い以降、勢力を弱めていた浅井家と朝倉家も、本願寺に呼応して立ち上がる。9月20日、浅井朝倉連合軍が信長方の宇佐山城を攻撃――


 信長側は常に窮地だった。

 俺も、毎日が四苦八苦であった。

 だが、逃げることは許されない。なぜなら、




「あああああああン……えぇえええええン……」


「産まれたっ!」


 岐阜の屋敷の一室において、なお仕事をし続けていた俺だったが、しかし元気な赤ちゃんの声が聞こえてきたので顔を上げた。


 俺とカンナの間にできていた子が、産まれたのだ。俺は部屋を出て、カンナのところへ行こうとしたら、津島からカンナのお産を手伝うためにやってきていたあかりが現れた。


「山田さん。無事に生まれましたよ。元気な男の子です」


「男かあ」


 娘に続いて男の子が生まれた。

 俺は幸せだ。元気な子供、ふたりに恵まれて……!


「カンナは無事か? カンナに会いたいな!」


「落ち着いてください。まだ産んだばかりなんですから、おしゃべりは無理ですよ。……カンナさんと赤ちゃんのことは、わたしたちに任せておいてください。……山田さんは、樹ちゃんと遊んであげたほうがいいんじゃないですか。……彼女、ただでさえ最近、みんなに構ってもらえてないからって、すねていますから」


「あ、ああ、そうか……そうだな」


 戦い続きで、樹のフォローができていないのは確かだ。

 伊与も五右衛門も、戦場に行くことが増えてきたからな。

 できるなら、伊与には特に、岐阜にいてほしいんだが……。

 藤吉郎が援軍として求めているんだから、仕方がない。


「男の子、か」


 さて、息子の名前はなんにしようと考えつつ、しかしいっそう努力し、家族の幸せを守らなければならない。俺はそう思った。だから言うのだ。逃げることは許されない、と――




 徳川家康が、越後の上杉謙信と手を結び、武田信玄と関係を絶交するのは、この年の10月8日のことだった。

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