第29話 金ヶ崎の退き口(後編)

 朝倉の軍が、その一部である5000の兵を、金ヶ崎の砦へと向けてきたのは、俺が砦に入って丸1日後のことだった。


「来よる、来よる。敵どもがわいわいと……」


 砦の中に建てられた、物見櫓の中から、藤吉郎はうめくように言った。

 こちらの数は700。敵の7分の1に過ぎないこの数で敵を打倒しなければならない。とにもかくにも一戦交えてこれに勝利し、それによって敵兵が退いたところを全員で脱出して京の都へと退却するべしというのが、全員の一致した意見であった。


「弥五郎よ、もはや、汝の作った武器のみが頼りだぞ」


 藤吉郎の言葉に、俺は小さくうなずいた。

 昨日から1日かけて、俺は部下の兵を使ってある武器を作り上げた。

 兵の中から手先が器用なものばかり集めてから、俺は彼らにその武器の作り方を教えたのだ。


 その武器を使えば、恐らく敵兵に打撃を与えられる。そう信じていた。


「藤吉郎、そろそろ準備だ。ありったけの火縄銃と、鉄砲の扱いに長けたものを集めてくれ」


「うむ、任せておけ」




 そのころ、金ヶ崎砦に迫る朝倉軍は、


「金ヶ崎の砦には、少数の兵しかおらぬはずだ。これを踏み潰してから、浅井の兵と合流し、そのまま京の都へと逃げる織田本軍を追撃する」


 そのような思惑をもって、いくさの用意を進めていた。

 忍びを放ち、金ヶ崎砦の兵の数は把握していた。およそ700。ものの数ではない。まして金ヶ崎砦は小さい。戦上手で知られる徳川家康や、美濃の麒麟児として名高い竹中半兵衛などが砦内部にいるとは聞くが、しかし普通にやれば砦は1日か2日で落ちると誰もが確信していた。


 そして朝倉軍は、いよいよ砦に取り付いた。


「よし、一気にもみ潰すぞ。かかれ、者ども!」


 わあっ――

 多勢におごった朝倉軍は、砦を落とそうと勇んで迫る。


 すると、――にゅっ。

 砦の外構えの柵の間から、火縄銃の先端が、50丁ばかり飛び出てきた。


「鉄砲じゃ!」


「慌てるな、竹束を構えて弾を防げ。弾丸を防いだのち、改めて砦に取りつくのだ!」


 朝倉の兵たちは、竹の束を掲げて盾にした。

 火縄銃の弾丸程度ならば、それで充分に防げる。

 ただでさえ、敵は少数なのだから。そう思った。だが――




 パラパラ、パラパラ、パラパラッ!

 パラパラ、パラパラ、パラパラッ!!




 弾丸は、やけに多かった。

 一発一発はたいした威力ではない。

 だが、雨あられのごとく降り注いでくる。大量に、まるで霧雨のごとく!


「なんだ、こりゃあ! 妖術かっ!」


「普通の鉄砲じゃねえぞッ!」


「逃げろ! こりゃなんか、おかしいぞ!」


「こら! 者ども! 逃げるな、逃げるな――」


 兵たちは、さすがに慌てはじめた。

 弾丸はやがて竹の束のスキマから入り込み、兵たちの肉体を傷付ける。朝倉家の兵たちは、見たこともない弾丸の攻撃に傷付き、怯える。竹束はやがて放り出され、雑兵たちは恐れおののき、侍大将は必死で家来たちを鼓舞するのだ。そこへ――


「敵が新しい武器を出してきたんだッ!」


 浮足立っている兵の中に、雄叫びが響いた。


「金ヶ崎には、神砲衆の山田弥五郎がいる! 新しい武器を作ることにかけちゃあ天才的なやつだ! やつがこの弾丸を作りやがったんだ!」


 誰が叫んだのか。

 それは分からないが、とにかく朝倉家の雑兵たちはそれでなおのこと逃げ腰になり、


「おい、いったん逃げようや!」


「命あっての物種だ!」


「おい、ひとりだけ逃げるな! おれも連れていってくれ!」


 士気を失いはじめる。

 朝倉家の侍大将たちは、いよいよ焦り、


「逃げるな! 逃げる者は斬るぞ!」


「敵は少数ではないか、なにを慌てる! 冷静にならんか!」


「よし、ここから逆に、攻め込んだものには褒美を与えるぞ! 者ども、金子きんすが欲しければなおのこと励め――」


 おのおの、兵たちを励ます。そこへ――




 っだぁん!




「あぐ」


 いっそう鋭い銃弾が響いて、侍大将のひとりがその場にぶっ倒れた。

 おいおいおい、と朝倉の兵たちはなお騒ぎたてる。そこへ、また『だぁん!』と銃声が轟き、またひとり、朝倉家の兜武者がぶっ倒れた。


「ね、狙い撃ちだ」


「金ヶ崎の砦から、大将が狙われておるんじゃ!」


「な、なんて腕だ――」


 兵たちは、いよいよ冷や汗を垂らし始めた。

 そのときである。金ヶ崎の砦の扉が、ぎぃぃ、と開き、


「出番、待ちわびたわ」


 葵の旗が、戦場に翻った。――徳川軍である。

 徳川家康率いる三河武士団。石川数正や松下嘉兵衛も槍を構えていた。家康が、「かかれッ」と短く叫んで采配を振るうと、彼らは一丸となって「お、お、お――」と獣のように吼えまくり、朝倉軍へと飛びかかったのだ。


「これはいけぬ! 逃げよ! 逃げるんじゃ!」


「馬鹿者、逃げるな! 踏みとどまれ! 徳川軍はせいぜい300。落ち着いて戦えば勝てぬ相手では――」




 っだぁん!




「ぐおうっ!?」


 また、侍大将が倒れた。

 そこへ、また、例の雨アラレ弾丸が降り注ぐ。

 かと思えば、徳川軍が斬り込んできた。朝倉軍は指揮系統を失い、さらに士気を喪失させ、いよいよ混乱し――


「ええい、退け退けぇい!」


 かくしていよいよ、退却を開始する。

 その景色を見た家康は、実に見事なタイミングで、再び采配を振るい、、


「よし、旗を掲げろ! それが合図だ! これに乗じて一気に退却するぞ!」


 その言葉に、徳川軍団は「おおう!」と拳を突き上げる。

 そのとき金ヶ崎の砦内からも歓声が沸き上がった。逃げるぞ、逃げるぞ、撤退だ、と、誰もがわずかに愉快そうに吼えたのだ。


 金ヶ崎砦に立てこもっていた織田・徳川連合軍は、朝倉軍が引き下がったのを見計らって、それっとばかりに駆け出した。――撤退開始であった!




「ふう……」


 金ヶ崎から南へと下りながら、俺、山田弥五郎はさすがに息を吐いた。


「お疲れさんじゃ、弥五郎!」


「ああ、そっちこそお疲れだ、藤吉郎。……万事、うまくいったな!」


 俺と藤吉郎は、がっつりと手を握り合った。

 金ヶ崎の退却戦。いわゆる金ヶ崎の退き口は、見事に成功したのだ!


「しかし汝の作ったこいつは、見事に活躍したのう」


 そう言って藤吉郎が、ふところから取り出したのは――

 散弾さんだんであった。


 なつかしい武器だ。20年前、故郷の大樹村が襲われたときに、シガル衆を撃退するために作ったものだ。紙、漆、動物の毛皮、火薬――そして、かつては石や砂を詰めていたが、今回はもちろん鉛や鉄を砕いたものを詰め込んだ。威力を増やした散弾だ。


 今回、俺が提案し、織田・徳川連合軍がとった作戦はこうだった。

 まず、一晩かけて兵全員で作りあげた散弾3000発を、迫ってきた朝倉軍に向けて撃ちかける。散弾は威力そのものは大したことはない。だが相手を混乱させるには効果は大きい。朝倉の兵士たちも、士気を失いかけた。


 そこへ、敵軍の中に忍び込ませていた甲賀の次郎兵衛に叫ばせた。


 ――「敵が新しい武器を出してきたんだッ!」


 ――「金ヶ崎には、神砲衆の山田弥五郎がいる! 新しい武器を作ることにかけちゃあ天才的なやつだ! やつがこの弾丸を作りやがったんだ!」


 これにより、敵はさらに混乱する。

 そこへ、俺のリボルバーで朝倉のカブト首を狙って狙撃した。

 侍大将を失った朝倉軍は、ますます、軍としてのまとまりを失いはじめる。

 そのタイミングを見計らって、屈強の徳川軍が砦から出撃した。いや、あれは実に素晴らしいタイミングだった。あれより30秒早くても遅くても、敵を崩壊させるには至らなかっただろう。この時期の見極め、さすがの徳川家康である。


 そこから、散弾をさらに撃ちかける。侍大将を狙撃する。徳川軍が奮闘する。これらのコンビネーションにより、朝倉軍は撤退したのだ。


 いやまったく、実に危ないところだった。

 今回はさすがにダメかと思った。――だが、なんとか逃げ出せそうだな……。


「弥五郎、藤吉郎」


 声がした。

 顔を上げると、松下嘉兵衛さんだった。


「どうにか逃げ帰ることができそうだね」


「松下さま。……おかげさまで助かりましたで! 徳川さまを救うこともできて、この藤吉郎、ほっとしております! のう、弥五郎!」


「ああ。……藤吉郎にも徳川さまにも、松下さんにも感謝しています。元はと言えば、この山田弥五郎が敵に捕まったのが始まりでした。こんなことになろうとは。弾正忠さまにも、なんとお詫び申し上げればよいか」


 それは俺の本音だった。

 織田と浅井。なんとか戦にならぬようにと気を配っていたのに、こんな結果になるなんて。

 裏に武田信玄が絡んでいたのは驚愕だったが、しかし、やはり大筋でいえば史実通りの流れとなってしまった。


 この世界は――

 やはり、史実通りになるのか。

 俺が、あがこうと。あるいはあがくまいと。

 すべては、歴史の大きな流れのままに……?


「一番悪いのは信玄入道じゃ。やつめ、表では織田家と友好を重ねておきながら、こんなことをしようとは」


「武田信玄。甲斐の虎。かつて今川治部大輔さまさえ恐れていた大名。だがまさか、越前にまで謀略の手を伸ばしてくるなんてね」


 藤吉郎と松下さんは、揃って渋い顔を見せる。


「弥五郎の前に現れた、飯尾家の未来のことも気がかりだ。……あれは、決して悪い少女ではなかったんだが……」


「そりゃ大昔の話でしょうが、松下さま。ひとは変わりますで。特におなごは」


「うん……。……某としては、なるべくあの娘と戦いたくはないが……」


 かつて飯尾家に仕え、あの未来とも当然顔見知りである松下さんは、複雑な気持ちのようだ。


「とにかく、いまは京の都に帰ることに専念しましょう。まだここは、越前からやっと北近江に出たあたり。いつ浅井の息がかかった者に襲われるか分かりません」


 俺が言うと、松下さんはうなずき、藤吉郎も首を縦に振った。

 武田信玄。浅井長政。朝倉義景。……それに、武田の下にいるというあの少女、未来。

 これから敵になるであろう者たちのことを考えると、俺はさすがに大きなため息が出た。


「山田どの、木下どの、松下どの。……こちらにおられたか」


 低い声が聞こえたので顔を上げる。

 そこには――明智光秀がいた。


「徳川さまと池田さまがお呼びだ。お二方は軍の中央におられるゆえ、はよう参られよ」


「そうか。分かったよ」


「よし、ゆくぞ、弥五郎」


「……ああ」


 俺はやってきた明智光秀の、白い顔を見ながら、――今回助けてもらったことは感謝していたのだが、しかし、ひどく複雑な気持ちであった。


 だって。

 この世界が、どうあがいても史実の通りとなるならば。

 彼は――最終的には必ず起こすのだ。あの、大事件を。




 そう、本能寺の変を。




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