第24話 信長軍、越前を攻める

 俺、五右衛門、次郎兵衛、半兵衛、そして小一郎……。

 俺たち5人は、人気のない森の中のけもの道を進んでいた。


 前後左右は、はざま屋のお鈴が引き連れている忍びたちに囲まれている。

 逃げ出すことは難しかった。――空は、暗く低い雲に覆われている。


「越前に向かっておられるのか」


 半兵衛が問うた。


「貴殿たちは、朝倉家の手の者ではなさそうだが、ならばいったいどこの――」


「黙って歩いてくださいまし」


 お鈴が、冷たい声を出す。

 半兵衛は押し黙った。


 やがて森を抜けると、薄汚い寺が姿をあらわした。

 明らかに廃寺と思われるその建造物に、俺達は案内され、


「お師匠様。しばらくの間ここでこうしていてくださいましね。かゆと漬物くらいはご用意いたしますから」


「そりゃどうも。……ついでに、せめてそちらの正体も教えていただければ助かるんだがな」


「それは無理無理。……まあ安心してくださいませ。命はまだ取りません。お師匠様たちにはまだ利用価値がございますので」


「……遠江かい?」


 そのときだ。

 五右衛門がふいに言った。

 ぴくり、とお鈴の顔がこわばる。


「当たりのようだね。お鈴さん、あんたは遠江の出だろう? 消そう消そうとしているが、わずかになまりを感じるよ。ウチだって、これでも遠江の産まれだからね。……分かるのさ」


「そう言われたら、そっちの忍びたちも、ときどき甲斐なまりを感じるな」


 俺は、言った。

 その言葉を受けて、次郎兵衛がわずかに目を見開く。


「そう言われたらそうッス。なんか聞いたことあるなまりだなと思っていたら、川中島の戦いのときに聞いた甲斐なまりッスよ! さすがアニキ、そこに気が付くとは!」


 次郎兵衛も、俺といっしょに、かつて川中島におもむいて武田家の兵糧問題を解決した男だ。甲斐なまりには覚えがあるようだ。


 お鈴たちは、黙っている。

 周囲の忍びたちも……。


「武田家の手の者か?」


 半兵衛が、鋭い声で問うた。


「なるほど、五右衛門どのや次郎兵衛どのにまで気配を隠す凄腕の忍びたちは、武田忍者だったか。甲斐の武田の忍びは腕がいいと聞くが、貴殿たちがそうか」


「武田……武田信玄の……?」


 俺は、意外な名前の登場に、さすがに多少の驚きと戸惑いをもって、お鈴と半兵衛を見比べた。


「………………」


 お鈴は、沈黙していたが、やがてふうっと重苦しい息を吐き出した。


「さすがですわね。お師匠様はもちろん、美濃の麒麟児と呼ばれた竹中半兵衛に、石川五右衛門の二代目さん。それに甲賀の忍びの次郎兵衛さん。……そこまで見抜かれたのであればもう隠しだてはしませんことよ。……いかにも我々は武田信玄の使いです」


「なぜ信玄が俺達を拉致する? それもどうして越前に連れてゆく?」


 俺は叫ぶようにして問うた。

 しかしお鈴は、ふふ、と皮肉げな笑みをこぼし、


「それについて話すには、少々昔話をしなければなりませんのよ? ……ねえ、お師匠様。あなた様は昔のことを覚えてはおりませんの?」


「昔のこと?」


「そう。遠江に関する遠い過去のこと。まあ、お師匠様は覚えておられないかもしれませんね。……曳馬城の片隅で育てられていた、小さな女の子のこと。飯尾家に連なる血筋のその少女は、時たまやってくる松下家の納戸役に恋をしていたこと」


「松下家……納戸役……!? ……まさか」


「そう」


 彼女はにっこりと、無邪気な笑顔を見せた。

 その笑くぼと、目元の泣きぼくろには覚えがあった。

 俺と藤吉郎が、商人として松下家に入り込み、スパイ行為と並行して商売をやっていた時代。……松下家の主家である飯尾豊前守さんの屋敷に、俺と藤吉郎は何度か出入りした。


 そのとき、確かにその屋敷には小さな女の子がいた。

 年のころはまだみっつかそこらの幼女。口を利いたこともなく、軽く目が合って微笑みを交わした程度の、そんな関係だったが。


 まさか。

 まさかあのときの少女が――


「女の子は小さくても油断のならぬもの。……あのときの少年商人梅五郎に、わたくしはひと目惚れし、その若さで一人立ちしていることに感心し、ひそかにお慕い申し上げ――


 そしてその商人がわたくしたちを裏切っていたと知ったとき。少女の恋は激しい恨みと怒りになった! その商人が、飯尾家の主家たる今川家と敵対している織田家の手先だと知れば、なおさらのことです!!


 もうお分かりでしょう。

 はざま屋のお鈴とは仮の名。わたくしは飯尾家の縁戚の子、未来みく

 すでにこの世から滅び去った武家、飯尾家の生き残り。天涯孤独となったあと、武田家に拾われて、修行を重ねた女ですわ!」


「…………!」


 俺や藤吉郎とも出会ったことのある、あの飯尾豊前守連龍さんは、永禄8年(1565年)に、敵と内通したという疑いを受けて、今川家によって殺されている。そしてこの余波を受けて、あの松下嘉兵衛さんの頭陀寺城も今川家に攻められて炎上しているのだ。


 松下嘉兵衛さんは、まだこのあと何十年と生き残り、やがて藤吉郎に召し抱えられる運命にある。だから、まだ救いはあるのだが。――しかし飯尾家は、すでにこの世にない。


 なんとかならないだろうかと、思ったことはある。

 松下嘉兵衛さんはともかく、飯尾さんとはそれほど親しかったわけじゃないが。

 それでも一度は顔見知りになった武将。救えるものなら救いたかったが――しかし俺でも、遠く離れた遠江の武家たる飯尾家の運命は、さすがにどうしようもなかった。転生者といえど、できないこともあるのだ。


「あのとき飯尾家を裏切ったことを、恨んでいるわけか?」


 俺が尋ねると、お鈴、じゃなくて未来は、切なそうに微笑んだ。


「家を裏切った恨みは、もうとうに忘れております。あの程度は乱世ではよくあること。むしろあなた様の正体を見抜けなかった飯尾家と松下家が悪いのです。……しかし、わたくし個人の恨みは消えておりませぬ。生まれて初めてお慕いした殿方が敵だったと分かったときの絶望。……女の心からは未来永劫消え去りません!」


「あー、湿っぽいこと。やだね、やだね。そういうのってさ」


「どうとでも言ってくださいまし、五右衛門さん。……もっとも、わたくし個人の恨みは理由のひとつでしかありません。お師匠様たちをここに連れてきたのは、やはり我が主、武田大膳大夫たけだだいぜんのだいぶのご命令。


 神砲衆の皆々様。あなた方はしばらく、この廃寺で過ごしていただきましょう。すべては武田のために……!」


 未来は、自己に陶酔するかのように両手を掲げた。

 まるで、宗教の偶像のようだった。


 それにしても武田信玄が俺たちを拉致する?

 そして越前に連れてくるとは。


「武田は俺たちを、どうするつもりなんだ」


 未来と、その手下の忍びに聞こえないよう、小声でつぶやく。


「おそらくは、織田と朝倉を衝突させるつもりでしょうな」


 半兵衛が、こともなげに言った。


「織田と朝倉を?」


「信玄入道の考えそうなことですな。あの男もやはり、天下を狙っていた。しかし織田弾正忠さまに取られてしまった。なんとか取り返したいところだが、自分はまだ甲斐から離れられない。だったら、その代わりに朝倉を動かす。織田家と朝倉家を激突させる。そういう策です」


「織田と朝倉を激突させるのに、どうしてウチらを捕まえるんだい?」


「それも簡単な話ですな。……朝倉が神砲衆の山田を拉致したと言えばいい。それだけで、弾正忠さまは激昂し、越前へと攻め入ることでしょう。……山田弥五郎どのを救うために」


「なんだと? この俺を!?」


「そうですとも。あなたは自分のことをどう思っているか知りませんが、神砲衆の山田弥五郎といえば、もはや織田家にとってかけがえのない存在。と同時に他大名から見ても、驚異的な存在となっているのです」


 半兵衛の目が、そこで怪しく光った。


「もちろん、拙者にとっても」




 山田弥五郎俊明、朝倉家に捕まる!

 その一報は、ただちに岐阜の信長に伝わった。


「山田を救うぞ!」


 信長は連絡を受けるなり立ち上がり、諸部将に命令した。


「まことに、朝倉家が山田どのを捕らえたのですか?」


 丹羽長秀が問うと、信長は、


「むろんまずは詰問する。無実ならば京の都へ上洛して釈明せよと言う!」


 叫びながら、しかし軍備を整え、すぐに京へと出陣した。

 この時点では周囲を刺激せぬよう、「足利将軍家に従わぬ若狭国を攻める」と公言していた。


 しかし京の都に到着した信長を待っていたのは、朝倉家からの、


「事実無根」


 という返事であった。


「言いがかりもはなはだしい。朝倉家は山田弥五郎とは関わっていない。それなのに京の都に出てこいとは無礼である」


 それが朝倉家の公式回答であった。

 事実、山田弥五郎の拉致に朝倉家はまるで関わっていないのだが――


「甲賀の忍びを放ったところ、山田たちが越前方面に連れていかれたのは、確実なようでござる」


 滝川一益が、信長に報告する。

 さらに、北近江に残された神砲衆の配下たちは「はざま屋のお鈴という越前の女商人に連れ去られたようだ」と証言した。これにより山田弥五郎たちが越前に連れていかれたことはほぼ確実となった。


 となれば、朝倉家が絡んでいるに違いない。

 信長がそう思ったのも無理からぬことであった。

 まさか、遠い空の下にいる武田信玄が糸を引いているとは、さすがの信長も、そして織田家臣団も思わなかったのだ。


「ならばかくなる上は、越前に攻め込む。越前中を焼き討ちして、山田を徹底的に探すのだ!」


「商人ひとりのために、他家と矛を交えると申されますか」


 佐久間信盛が、驚いたように問いただす。

 愚問とばかりに、信長は大きくうなずいた。


「その通り。山田弥五郎は当家にとってもっとも大事な男である。やつを見捨てては弾正忠の名がすたるわ!」


 その判断に異を唱える者は、もはやいなかった。

 なぜなら丹羽長秀も、柴田勝家も、滝川一益も、前田利家も、佐々成政も、蜂須賀小六も。

 誰もが、大なり小なり山田弥五郎と関わってきた男たちばかりだったからだ。いまの織田家が山田弥五郎の助けによって成長してきたことは、誰もが認める事実でもあったし、なにより彼らには、弥五郎との友情があった。


(山田、待ってろよ)


 男たちの共通の思いは、まさにこの言葉に尽きる。

 むろん、木下藤吉郎も。――弥五郎と共に連れ去られたという実弟の小一郎や竹中半兵衛、さらに石川五右衛門や甲賀の次郎兵衛のことも含めて彼は考えていたが、なによりも、


(弥五郎、待っておれ。わしが命に代えても救ってみせるわい)


 その気持ちが心の大部分を占めていた。


「ならばもはやお止めしませぬ。……しかし殿様、朝倉家と親しい浅井家に、一報を入れることもお忘れなきよう」


 佐久間信盛が、低い声で主張する。

 朝倉家と同盟関係にある浅井家。

 朝倉と戦うときは、浅井家に断りを入れてからという約束は、確かにあった。


「無論、そうする。使者を北近江に飛ばす」


 信長は短く叫んだ。


「では、使者が戻ってきてから朝倉攻めですな?」


「なにを悠長な。山田のことを考えよ」


 信長は吼えた。


「山田を一刻も早く救わねばならぬ! 越前に向かいながら使者の帰りを待てばよい! ……ゆくぞ、者ども! このこと、三河の徳川どのにも伝えてある。織田徳川の連合軍で、越前を攻めて山田を探すぞ!」


 応、と織田家臣団は大声で答えた。




 ――そして。

 弥五郎拉致の連絡を受けて、慌てたのは信長たちだけではなかった。

 岐阜にいた、堤伊与と蜂楽屋カンナもまた、驚愕に目を見開いたのである。


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 かねてよりの予告通り、紙書籍版「戦国2」は本日発売の予定、だったのですが……

 発売側のエラーということで、まだ発売できないとのことです(電子書籍版「戦国2」は発売中です)。


 見本まで出来ているのに発売エラーというのは、よく分かりません。

 こんなことになってしまい皆様には申し訳ございません。私としても残念です。


 ともあれ、エラーの回復を待つしかありません。

 進捗があり次第、皆さまにお知らせいたします。


 今後ともよろしくお願いいたします。

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