第6話 飴と鞭
数日が経った。
神砲衆の屋敷の一室にて。
俺、伊与、カンナの3人が揃い、次郎兵衛の報告を受けている。
「熱田の銭巫女について、調べて参りやした」
「おう、お疲れさん。で、どうだった?」
「へい。……いや、なんていうか。ありゃ女傑っすね」
「女傑」
俺がオウム返しに言うと、次郎兵衛はうなずいた。
そして、ゆっくりと語り出す。
「銭巫女は幼いころ――20年ほど前に、いくさと病で親兄弟を失い、
伊与とカンナが、わずかに眉をひそめたのが分かった。
「いや、いまでもあれだけの美貌ッスから。子供のころはもっともっと器量良しで、男にはずいぶん求められたそうッスよ。……しかし銭巫女はただのガキじゃなかった」
「と、いうと?」
「稼いだお金や米を、人に貸し付けていったんです」
「…………」
俺は息を呑んだ。
「もちろん、ガキのやる金貸しです。踏み倒そうとするやつがたくさん出てくる。『金を返せ』と言ったところで『なんのことやら』と笑われる」
「まあ、そうだろうな」
「ですが銭巫女は。――泣きもせず笑いもせず、相手にいきなり飛びかかり、喉に刃物を突き刺したそうです」
「「「……!」」」
俺たち3人は、目を見開いた。
「そして殺した相手の持っていた銭や道具、衣類をはぎ取り、みずからの物にしていった、と。……そういうことだそうです」
「そのころの銭巫女は、まだ子供だろう。……それなのに、相手はやられたというのか?」
伊与が尋ねると、次郎兵衛は首肯した。
「当時の銭巫女を知る人間は、みんなこう言ってるッス。『確かにガキだったが、尋常のガキじゃなかった』と。……普通の人間は、人を殺すときにどうしても一瞬のためらいができる。どれほどの達人であっても、その一瞬の躊躇を消し去るのは容易なことではない。だが彼女は――銭巫女は、まったくなんの感情も見せずに人を殺していた、と」
「…………」
伊与は、黙した。
俺もまた、無言。押し黙りつつ、幼少時代の銭巫女に思いを馳せる。
本来、人が人を殺すというのは容易なことじゃない。20世紀のある戦争でも、某国の軍人たちの一部は、なるべく敵に当たらないように銃を撃っていた、という話があるくらいだ。
俺も。……この俺だって、最初にシガル衆と戦ったときは相手を殺せなかった。カンナが襲われたとき、ならず者たちと戦ったときだって、わずかに心が震えた。人を殺すということは、それだけ大きなことだ。滝川一益さんだって、人を殺したときに、相手の子供が近くにいたことで心に深いキズを負っていたほどだ。
それを銭巫女は、うんと小さいうちから、一切ためらいなくやっていたっていうのか。
いかに生きるためとはいえ。……凄まじい。
「銭巫女は、ひたすら銭を稼いだそうッス。いつ眠っているのか分からないほど働いて。働いて、働いて、ときには殺して。……稼ぎまくった。そうして銭巫女の身代はどんどん大きくなっていった。そして、やがて銭巫女は――恵まれない人々、貧乏な人たちに、金利もとらずに金を貸しつけていくようになったそうッス」
「それは……貧しい人たちを助けたかったからか?」
「まさか。銭巫女はそんな甘いタマじゃないっスよ。――彼女は自分の部下が欲しかったんス。従順な家来を。自分の言うことをなんでも聞く手下を」
「手下……?」
「そう、手下ッス。――金に困った人間を見つけたら、銭巫女はニコニコ笑いつつ金を貸す。しかし金が返せないと分かったら、しこたま相手を殴りつける。ここまでならよくある話ッスが……」
「…………」
「銭巫女は、痛めつけたあと、相手を優しく抱きしめるンスよ。ぎゅーっと。……ぎゅううっと。……まるで、母親が赤ん坊をあやすみたいに。――その上で、
『あんたは約束を守れない人間じゃないよね? あたくしはあんたのことを信じている』
と優しく伝え――
『どうだい? あたくしの下で働かないかい? 賃金はやれないが、いずれは借金をチャラにするよ。あたくしに力を貸してくれよ。あんたの力が必要なんだよ』
……そう言うんスよ。そうしたらたいていのヤツは、銭巫女の手下になるんです。それも、非常に忠実な家来にね。金のためだけじゃない。銭巫女さまのためならば命もいらない。そういう部下になるんスよ」
「
ブン殴ったあとで抱きしめる。
お前のことを思えばこそだと優しく説教する。
そして、お前が必要なんだと耳元でささやく。
ヤクザ的手口だ。冷静に聞けばおかしな話だと分かるが、しかしこのやり方は、ずいぶんと人間に通用するんだ。
「借金持ちの人間なんざ、たいてい常日頃から心が満たされていやせんからね。あれだけの美人、あれほどの金持ちに、信じている、必要なんだ、なんて言われた日には参っちまいますよ。……まして男ならなおさら、ね」
「…………」
俺は、銭巫女と最初に出会ったときのことを思い出した。
村木砦からの帰り道。――織田信勝と銭巫女の周囲にいた複数の男女。
あれは銭巫女の家来だったんだろう。金や、あるいは銭巫女の魅力にとろかされた連中だったんだろう。
「ま。銭巫女が金持ちになったのはそういう
「そんなにお金をばらまいとうと? 銭巫女は……」
カンナが問うと、次郎兵衛はこくりとうなずいて、俺のほうを見た。
「アニキはご存知かと思いますが、熱田には加藤氏って豪族がいるッス。だけどその加藤氏にも裏からひそかに手を回し、影響力を有しているって話ッス。さらにあの織田勘十郎信勝も、銭巫女から相当の資金を援助されているらしいッスよ」
「加藤氏に……織田勘十郎信勝まで……?」
俺は、さすがに驚いた。
津島の大橋さんのように、熱田にも支配者がいる。
それが加藤氏なんだが、銭巫女はそこにも手をまわしているのか。
さらに織田信勝。……俺は、銭巫女は信勝の家来だと思っていたが、そういう話なら、むしろ実権を持っているのは銭巫女なんじゃないか?
「銭巫女は、それほどまでに力があるのか」
「30000貫くらいの金なら、即座に動かせるともいうッス」
「「30000!?」」
伊与とカンナが思わず目を見合わせた。
30000。恐ろしい金額だ。それも即座に動かせる金額で、それだという。
5000貫をやっとの思いでかき集めた俺たちでは、とうてい及びそうにない。
それほどの資金力をもっている銭巫女が、どういう理由かは知らないが織田信勝に資金を援助している。
これはマズい展開かもしれない。いずれ信勝とぶつかる織田信長は、いま、あまりお金がないはずだ。
銃刀槍を作ったときに、金がないと言っていたもんな。
……さて、どうするか。
このまま歴史が進めば、遅かれ早かれ織田信長と織田信勝は激突する。
そして織田信勝のほうには資金力をもった銭巫女がいるのだ。信長は不利だ。
となると、信長と信勝が戦わないような流れに持っていけたらいいんだが……。それができるだろうか?
俺が考え込んでいた、そのときだ。カンナが口を開いた。
「ねえ、弥五郎。そんなにとんでもない女の人が敵になるなら、あたしたちじゃどうしようもなかよ? 大橋さんに相談したほうがいいっちゃない?」
「大橋さんか。……そうだな」
彼女のセリフはもっともだ。
なにはともあれ、大橋さんや小六さん、それに織田信長自身にも、銭巫女のことを伝えよう。
その上で、彼女と織田信勝に、対抗していく必要がある。そう思った。
「カンナの言う通りだ。大橋さんのところに行こう」
こうして、俺たちは神砲衆の屋敷を出て、大橋さんの屋敷へと向かった。
メンバーは、俺、伊与、カンナ、次郎兵衛の4人である。
すでに陽は落ちていた。
今夜は新月。道は暗い。
次郎兵衛が、灯を持って先頭に立ち、道筋を照らしてくれる。
「大橋さん、屋敷にいるかな」
「いないなら、出直すだけだ」
「小六さんか服部さんならおるっちゃなかと?」
3人で、しゃべりながら歩く。
夜だからか、人気はない。
道は、しいんと静まり返っていた。
……やがて。
伊与が、前を向いたまま小さく言った。
「弥五郎」
「ん?」
「カンナと次郎兵衛も。……決して振り返るな。そのまま聞け」
「いったいどうした」
ヒソヒソ声で、問い返す。
伊与は、左手に持っていた刀をわずかに上げつつ。……告げた。
「私たち。……
今夜は新月。
……道は暗い。
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やっと少し体調が回復しました。
とりあえず再開です。無理のないペースで進めていきます。
これからも頑張ります。よろしくお願いいたします。
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