第5話 それは敵になる女
村木砦の戦いは、俺の知識通り、あっという間に終わった。
のちに聞いた話だが――それは1554(天文23)年、1月22日のことだった。
大風の吹きすさぶその日、織田信長は熱田の港より船を出した。船頭たちは「これほどの風の中ではとても船は出せない」と言ったのだが、信長は強引に渡海し、その翌日には砦を急襲したのである。
戦いは激闘だった。
決して楽な争いではなかった。
しかし信長みずから采配を振るうと、兵卒たちはおおいに士気を高め、皆、死に物狂いで働いたという。
その戦いの中では、俺の作った銃刀槍が役に立ったという噂ものちに聞いた。
それが事実なら、とても嬉しい。一説には、村木砦の戦いは日本で初めて、城攻めで鉄砲が使用された戦争だという説がある。
俺の銃刀槍が、あるいは歴史の影で信長の勝利に貢献できたのだとすれば、仲間たちと共に銃刀槍を作った甲斐があったってもんだ。
――さて。
そのころ俺は、熱田の屋敷の一室にて生活を送っていた。
常に部屋の外から監視され、事実上の軟禁状態にあったわけだが。
しかし信勝と出会った日から数日後、突然呼び出された。
それで(ああ、信長が勝ったな)と理解したのだ。
屋敷の一室には、信勝、柴田勝家、そして熱田の銭巫女がいた。
俺が登場するなり、信勝は口を開く。
「山田。そちの言うた通りになったわ」
「……上総介さま(信長)が、勝ちましたか」
「そうじゃ。村木砦はあっという間に落ちた。兄上が勝った」
信勝の眼まなこが、きらりと光った。
「山田。……そちの眼力は大したものじゃな。まるでこたびの成り行きをすべて、見通していたようにさえ思える」
「……左様なことは」
「いや、そうとしか思えぬ。……数日前、余を前にして、兄を英雄と呼び、砦が即座に落ちることを断言したあのときの態度。未来はすべて分かっていると言わんばかりであった。……事実、砦はすぐに落ちた」
「…………」
態度、か。
俺はそれほど強く断言したつもりはなかったが、信勝からはそう見えたのか。
自分の態度は、人から指摘されないと分からないからな……。
「まるで予言者じゃ。……のう、山田?」
「……とんでもございません。あの時点では、あくまで予想だったのです」
「予想か。そちの予想はよく当たりそうじゃ」
信勝はくすくすと笑う。
どうも、様子がおかしい。……武器の話はどうなったんだ?
信勝たちは、俺をどうするつもりなんだ?
……と、思っていたら。
「山田。このたびの話は、すべて無しじゃ」
「……は?」
「なかったことにしてくれ、と言うておる」
信勝は、静かに言った。
「武器作りの件。ゆえあって、無かったことにする。何日もこの屋敷に留めておいてすまぬが、そういうことじゃ。帰ってよいぞ」
「…………」
予想外の展開に、俺はちょっと呆然としたが、すぐに、
「……それでは、失礼いたします」
と、平伏すると、その場を退出しようとした。
妙な男だ。織田信勝。なにを考えている?
部屋を出ていこうとする。……そのときだ。
「また会いましょう、山田さん」
背後から、女の声が聞こえた。……銭巫女だ。
俺は一瞬だけ立ち止まり、しかし振り返らず、そのまま部屋を出て、屋敷も飛び出す。
それからすぐに熱田の町を駆け抜けて、津島へと向かいはじめる。目指すは神砲衆の屋敷だ。俺の家だ。とにかくこの場から離れたかった。
「織田信勝。柴田勝家。……熱田の銭巫女……」
3人の顔が脳裏をよぎる。
その中でも特に、銭巫女の笑みだけがまぶたの裏から消えない。
……奇妙な空気の女だ。……あいつは何者なんだ。あの金銀。あの銭。あの性格。
「あいつはいったい……」
俺は、ひたすらに駆け続けた。
――熱田。信勝の屋敷にて。
山田弥五郎が立ち去った直後、
「よろしいのですか?」
と、柴田勝家は問うた。
「あの山田弥五郎なる男を捕らえ、武器を作らせ、上総介さまを討ち果たすことが、こたびの目的であったはず。それをなぜ――」
「もちろん、余もそのつもりであった。……だが、やめた。あの山田弥五郎なる男には、もっと大きな価値がある、と踏んだのだ」
「それは、どういう……」
柴田勝家が怪訝そうに視線を送ると、信勝は穏やかな声音を返す。
「余は山田弥五郎に興味をもったときから、やつのことをずいぶんと調べた。――するとあの男は、兄上のいくさのときには常に、奇妙な活躍をしていることに気がついた。
赤塚の戦いのときには連装銃なる銃で争いの渦中に飛び込み、いくさの流れを変えたという。萱津の戦いのときには、清洲衆の女兵士の猛攻を、ただひとりで食い止めたという話も聞いた。さらに、シガル衆なる野盗集団を、あの木下藤吉郎とかいう小者上がりと共に討ち滅ぼしたのも山田弥五郎ということだ。 ……有能な男だ。そう思っていた。やつに武器を作らせたい。流れによっては、余の家臣にしてみたい。そのようにも感じていた。
――しかし、今回の村木砦の戦いを予言したこと。これには実のところ、ぞっとした。あのときの山田の堂々たる未来の予想はどうだ。……余は思ったのだ。有能だとか、目端がきくだとか、そういう次元では理解できないほどの力量を、あるいは山田弥五郎はもっているのではないか?」
「確かに、齢16と聞いておりましたが、その年齢とは思えぬほどの落ち着きと凄みは感じましたが……」
「――ゆえによ、権六。……山田弥五郎を、ただ捕らえて武器を作らせるだけでは惜しいと思うたのじゃ。あの男はなにかもっと、別の使い道がある。利用の方法がある。そうは思わんか?」
「……は……拙者には、どうも、まだ……」
「……まあいい。とにかくだ。――銭巫女っ」
信勝は、かたわらに控えていた銭巫女に声をかけた。
彼女は静かに「はい」と答える。
「山田弥五郎は、おそらく津島に戻るであろう。……ただちにこちらも、津島に忍びを放つのだ。決してやつから目を離すな。山田を見張り続けよ。やつには必ず、別の利用方法があるぞ」
「承知いたしました」
銭巫女は、ゆったりと微笑んだ。
「あの山田弥五郎を、丸裸にしてみせましょう。……ふふ」
彼女の、なにかふざけているような笑い方。
柴田勝家はやはり、眉間に深いシワを刻んだ。
「疲れたっ!!」
津島、神砲衆の屋敷に入るなり、俺は叫んだ。
「無事だったか!」「弥五郎!」「アニキ!」「お兄さん!」
甲賀から戻ってきたらしい伊与とカンナ、さらに次郎兵衛とあかりちゃんが、揃って俺に声をかけてくる。
さらに、彼女たちだけではない。
「弥五郎! 帰りが遅かったから心配したぞ! 無事でなによりじゃった!」
藤吉郎さんも、屋敷にいた。
村木砦の下見を終えたあと、別れたとき以来だ。
弥五郎オレは敵に囲まれた、と藤吉郎さんは思っていたはずだ。
その俺が、数日も戻ってこないことを、心配していたに違いない。
「おかげさまで、生きています。足もちゃんとありますよ」
「おう、マコトじゃ! よかった、本当によかった……!」
藤吉郎さんは、涙を流さんばかりに喜んでくれた。
俺は笑いながら、しかし、
「すみません。とにかく、くたびれました。話はあとにして、1刻(2時間)でもいいので眠らせてください」
本音だった。
砦の下見から、織田信勝についていって屋敷に軟禁され、そして今日まで。
休みなく、ノンストップだった。信勝の屋敷でいちおう睡眠はとっていたが、あんな状況で疲れが取れるはずもない。いま俺の身体と心は、悲鳴をあげていた。とにかくぐっすり、安心できる環境で眠りたい!
「おう、そうじゃったな。すまんすまん」
「弥五郎、いますぐ寝具を用意してやろう」
「伊与、あたしもやるけん!」
伊与とカンナが、屋敷の奥へと駆けていく。
俺はそのあとに続き、自室で睡眠をとろうとして――
最後にくるりと振り返り、甲賀の次郎兵衛に向かって告げた。
「次郎兵衛。すまない。甲賀の仕事のついででいいから、調べてほしいことがある」
「へ、へい。アニキの頼みならなんでも。……なにを調べりゃいいんで?」
「熱田の銭巫女」
と、俺は言った。
「――という女について調べてくれ。分かる限りでいい」
「熱田の銭巫女? なんじゃ、そいつは」
藤吉郎さんが、問うてくる。
俺は、あのときの――男たちの前で裸体をさらけ出し、凄艶たる笑みを見せていた彼女の容貌を思い浮かべながら、くちびるを開いた。
「敵です。……敵になる女です」
織田信勝や柴田勝家といっしょにいるという事実。
のちに彼ら彼女らは織田信長と敵対するだろうという予感。
だがそれ以上に。――銭巫女。あの女のまとっている空気。
根拠もなにもなく、しかし俺はほとんど本能的に、彼女は敵になる。……そう直感していたのだ。
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