第3話 織田勘十郎信勝
気がつくと、女の周りには男女が数人、わらわらと集まってきていた。
胴丸をまとった男に、
どっちにしろ、この状況で俺たちの前に現れるのが、普通の人間だとは思えない。きっと敵だ。
「藤吉郎さん、ここは俺が引き受けました。あなたは早く那古野に戻ってください」
小声で、意思を伝える。
「大丈夫なのか、弥五郎。リボルバーにはもう2発しか弾がないじゃろう」
「リボルバーはもう1丁、持ってきています。この人数が相手ならなんとかなりますから」
「……すまん、恩に着る。……死ぬなよ!」
それだけ言うと藤吉郎さんは前かがみになり、馬のお腹をぽんぽんと叩く――余談だが、馬は尻を叩くイメージがあるけれど、気の弱い馬だとそれでは怯えたり興奮したりして走らなかったり暴走したりしてしまう。優しくお腹を叩くのが、馬に対しても騎手に対しても一番優しく効果的だ。
事実、藤吉郎さんの乗った馬は、わずかに馬首を巡らせると、とっとっと、とっとっと。……どどどどど、と疾走を開始し、月夜の下を北へ向かって突っ走り始めた。
あとには俺だけが残される。……さぁ来い。身構えて、胸中のリボルバーに手を伸ばす。攻めてくるなら容赦はしないぞ――
だが、そのときだった。
「いまのは木下藤吉郎」
女が、くちびるを動かした。
なんだ? 藤吉郎さんのことも知っているのか?
「那古野城の足軽組頭だな。多少目はしが効くようだが、小者に過ぎん」
「…………」
「あたくしの目的は最初からお前だ、山田弥五郎」
「……あんた、何者だ」
「熱田の
……あつたの、ぜにみこ?
「と、人は呼ぶがね」
銭巫女は、くすくす笑った。
「山田弥五郎。誤解しているようだが、あたくしはお前の敵ではない」
「なに?」
「ただお前と話がしたかっただけだ。……あたくしと、このお方がね」
銭巫女がそう言うと、彼女の背後から、ゆらりと人影が現れた。
若い男だ。背は、ずいぶんと高い。しかし女性のような、美しくも整った面相をしている。
誰だ、こいつは。……いや、どこかで見た覚えがある。どこだ、どこで見た……?
「殿様。山田弥五郎でございます」
銭巫女は、その優男を殿様と呼び、俺のことを紹介する。
「で、あるか」
優男は、軽やかにうなずいた。……デアルカ?
まるで織田信長の口癖だ。
――いや、待てよ。
そうだ。この男、信長に似ているんだ。
赤塚の戦いのときに遠目で見た、織田信長。
その信長に似ているこの男。……まさか?
「織田勘十郎である。見知りおけ」
男は、名乗った。
……やっぱりそうだった!
この男は、織田勘十郎信勝。信長の弟だ!!
「山田弥五郎。そちと会ってみたかった。……余に、ついてくるがいい」
「…………」
俺は警戒し、いつでもリボルバーをぶっ放せるように身構えつつ、いったん馬を下り、信勝と銭巫女の先導に従った。
相手は信長の弟である。すなわち織田家の人間だ。
それなのに、俺が彼らを警戒しているのには、
織田信勝は。――のちに兄の信長に向けて反旗を翻す、謀反人になるのだ。
すなわち。……いまはまだともかく、のちのちには、信長と藤吉郎さんの敵になるのだ。
その信勝が、なぜここにいるのか。俺になんの用があるのか。……まったく分からない。
だが、とにかくついていってみるか。いまはそれしかなさそうだ。
案内されたのは、少し意外な場所。
なんと熱田門前市だった。……何度も来たことがあるところ。俺はちょっと肩透かしを食らった。
いや、女のほうは熱田の銭巫女と名乗ったのだから、熱田に関係のある人間だろうとは思っていたが……。
すでに夜は明けていた。うっそうとした曇り空が広がり、木々が倒れかかるほどの、強い風が吹いている。
そんな暴風が吹き荒れる中、俺は、熱田市場の片隅にある屋敷に通された。
「さて、改めて名乗ろう。織田勘十郎である」
織田信勝は、微笑を浮かべて名乗りをあげた。
「……山田弥五郎でございます」
「うむ。こたびは
「ありがとうございます」
のちに信長や藤吉郎さんと敵対する男とはいえ、この時点ではまだ織田家の当主の弟である。
津島衆に近い立場の俺からすれば、礼を尽くすべき相手だといえる。俺はその場に平伏した。
「さて、山田弥五郎。……そちのことは知っていた。おもしろい武器や道具を作る商人だそうだな。兄上が使っている銃刀槍。あれを作ったのもそちだと聞いている」
「左様でございます」
「それで、一度そちと会ってみたくての。ああして、銭巫女たちと共に村木砦の近くまでおもむいた、というわけじゃ」
「よく、俺が村木砦に向かったと分かりましたね」
「那古野におらぬとはいえ、これでも織田弾正忠家の人間だ。家中の動きは逐一把握している。木下藤吉郎と山田弥五郎が村木砦の下見に向かったという情報はすぐに耳にした。ゆえに、村木砦に向かった、というわけだ」
「…………」
「なにせそちときたら、津島にいるかと思えば美濃に行き、あるいは伊勢にいき、次には甲賀に行き。まったく動きが落ち着かぬではないか。こうして無理やりにでも動かねば、会えそうにない! はっはっは、そうではないか?」
「……ごもっとも」
と、俺はふたたび平伏。
――しながらも、信勝の話はうそだ、と感じていた。
いくら信長の弟とはいえ、砦の物見、などというささいな行動をそんなに即座に把握するものだろうか。
信勝が、ふだんから信長の周りに忍びを潜ませて、なにか動きがあったらすぐに知らせろと命令でもしていない限りは、そうは素早く動けないだろう。
次に。……いくら俺があちこちに動いているからといって、なにも物見の帰りに無理やり会うことはない。
他にいくらでも手段はあるんだ。それなのに、この強引なやり方。
おそらく信勝は、日ごろから信長の身辺に忍びを潜ませているのだ。
そして今回の件も、推測するに、誰にも気づかれることなく、俺ひとりと会いたかったのだ。
正当な手段で俺と面会しようとすれば、織田信長や藤吉郎さん、あるいは津島衆なり神砲衆なり、誰かに存在を気取られる。織田信勝は、自分の存在を誰に知られることもなく、俺と面会したかったに違いない。
事実。……この場所のアウェー感のすさまじさ。
織田信勝と銭巫女のふたりが上座に座りつつ、板張りの部屋の両脇には4人の侍。そして俺の背後には2人の男が座している。
なにかあったら俺は組み伏せられ、斬られてしまうかもしれない。……それほどの緊迫感があった。
ホイホイと信勝についてきてしまったのは迂闊だったかと、おのれの行動を悔やんだが、しかしいまさらどうすることもできない。俺は周囲を警戒しつつ、低い声を出した。
「それで勘十郎さまは、俺にどのようなご用向きで?」
「知れたことよ」
信勝は、言った。
「兄上同様。……余のために、武器を作ってくれないか?」
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