第43話 信長、抹香を投げつける

「佐々さんも、弾正忠さまの葬儀に参加されたのですね」


「佐々家は弾正忠家に奉公しているからな。もっともおれは末席だったが」


「……葬儀は、ずいぶんくたびれたようですね?」


「葬式はだいたい疲れるものだ」


 佐々さんは、まだ10代のくせにずいぶん世間疲れしたようなことを言う。


「だが。――今回は特に疲れた。いや疲れたというか、なんというか」


 佐々さんは、ふーっと息を吐いた。


「葬儀は万松寺という寺で行われた。僧を何百人も集めた盛大なものだった。しかしその葬儀に、織田家の嫡男、三郎さま(信長)は――すさまじい格好で登場したのだ」


 佐々さんは、かぶりを振った。


「太刀と脇差を帯びたまま、袴もはかず、まるでそのへんをうろついているゴロツキのような服装だった。そして三郎さまはそのまま抹香をつかんで、仏前に向かって投げつけたのだ。……どういう心境でそんなことをなされたのか、皆目、見当もつかない」


 佐々さんは、珍しくよくしゃべる。

 それだけ、葬儀の場における織田信長の行いに仰天したんだろうな。


 織田三郎信長が、父親の葬式で行った奇行。

 すなわち、抹香を仏前に叩きつけたという逸話。

 これは有名な話だ。


 なぜ、信長がそんなことをしたのか。その真意は分からない。

 若くして死んでしまった父親に対する、やり場のない怒りなのか。

 それとも、その葬儀の場にいた人々に対する『信長をなめるなよ』という牽制なのか。

 本人の意思はどうあれ、こういうことをするから、信長は周囲からうつけ(馬鹿)だと言われるんだが。


「兄上たちは、まだ万松寺に残っているが……。さすがに今回は、三郎さまに呆れ果てたようだ。いよいよ織田弾正忠家もしまいかとささやきあっていた。尾張の虎と称された英傑、織田信秀公でさえ、嫡男の教育には失敗したと嘆いていたぞ」


「……佐々家は、弾正忠家から離れますか?」


「知らん。しょせんおれは三男ひやめしだからな。肝心なことはいつもほとんど教えてもらえん」


 佐々さんは、少し拗ねたみたいに言った。

 しょせんは三男。……前にも似たようなセリフを口にしていたよな、佐々さんは。

 どこか、三男という現状に屈折した思いを抱えているのかもしれない。


「だが、兄上たちの顔色を見る限り、その可能性もあるかもしれん。三郎さまが佐々家を守っていける器とは思えないからな。佐々の家を守ってくれない大将ならば、われわれは見限るのみだ」


 ……佐々家が、織田家から離れようとしている?


 確かに、戦国のシキタリはそうだ。

 主君が頼りないと判断されたら、家来はその主君を見限り、別の主に仕えてしまうのだ。

 そうしなければ、生き残れない時代でもある。だから佐々家が信長の奇行や評判を見て、見限ろうとするのも当然なのだ。


 当然ではあるの、だが……。


 しかし佐々家は、このあとも織田家と繋がり続けるはずなのだ。

 ここで佐々家が信長と距離を置く史実を、俺は知らない。どういうことだろう。

 ……なんにせよ、ここで織田信長と佐々家が離れるような展開はよくない。

 いまの織田信長にとって佐々家は重要な戦力だろうし、ここで信長の勢力が削がれたら藤吉郎さんも困るだろう。

 天下泰平という俺の最終目的を考えれば、この時点で信長や藤吉郎さんが歴史から消える危険性があるような、そういう流れは避けたい。


 だから。

 俺は、言った。


「佐々さん。亡き信秀公は英雄でしたね」


「そうだな。病を得てからは勢いが衰えたが、やはりあのお方は英傑であった」


「その信秀公が、三郎さまを廃嫡しなかったのですよね」


「…………」


 佐々さんは、押し黙った。

 廃嫡とは、読んで字のごとく。

 嫡男(跡継ぎ)であることを廃することだ。


 戦国時代は、乱世である。

 例え正室(正式な妻)が産んだ長男であろうとも、跡継ぎとしての能力が欠けていると判断されれば、次男や三男が跡継ぎとして認定されることもままあるのだ。


「佐々さんのお兄様は、信秀公でさえ教育に失敗したと言っていましたが、さてそうでしょうか。……信秀公は、三郎さまの資質や長所を見抜いておられたからこそ、嫡男として認めていたのではないでしょうか。――三郎さまが本当に、なにも良いところがない本当のうつけならば、那古野城はとっくに召し上げられ、どこかで捨て扶持でも頂いて暮らす立場になっていたと思います」


 さらに俺は続ける。――信秀公には男子が多い。

 信長でなくとも、弟の織田勘十郎信勝や、庶兄の織田三郎五郎信広(信長の兄だが正室の子でないため家督継承権は信長や信勝より下だった)がいるのに、それでも信長を継承者として信秀は認め続けていたのだ、と、そう語ったのだ。


「だから、三郎さまをお見限りになるのはまだ早い。いましばらく様子を見てはいかがでしょう。……俺はそう思います」


「…………」


 俺がそこまでしゃべり終わると、佐々さんは、わずかに目を見開いた。


「ずいぶん、三郎さまの味方をするんだな」


「…………」


「今日の葬儀を見る限り、良いところなど微塵も見えなかったが」


 佐々さんは、淡々と言う。

 かと思うと。……少しだけ口元を歪めて彼は言った。


「しかし……山田弥五郎。お前の言う通りかもしれん」


「佐々さん」


「今日の三郎さまはおかしかった。その場にいた人間、誰もがあっけにとられていた。――だがな、ひとりだけ三郎さまを評価する者がいたのだ。筑紫国から来た旅の僧だがな。『葬儀の場で普通に振る舞うなど、誰でもできる。三郎さまこそ国持ち大名の器になるひとだ』と。……そう言ったのだ」


「…………」


「三郎さまがうつけなのか、そうでないのか、おれには分からん。しかし。……お前の言葉は心に刺さった」


 佐々さんは、小さく、何度もうなずくと、


「兄上に、一言申し上げておこう。三郎さまを見限るのはまだ早いかもしれない、とな。……もっとも、おれの言葉など聞いてもらえるかどうか分からんが」


 佐々さんは、また自嘲気味に言った。

 言ったが、その眼はわずかに澄んでいた。

 俺は、佐々さんに笑顔を送った。

 ……あなたはそれでいいはずだ。

 のちに信長に仕え、戦国武将としておおいに名を上げるひとなのだから。

 そして、このささいな動きひとつでも、佐々家が今後も織田家に仕える流れになるのであれば、俺の発言には意味があったことになる。


 ――それにしても、織田信秀が死んだか。

 息子の信長は、これからいよいよ歴史の表舞台に登場していくのだ。

 俺はいま、まさに戦国時代の渦中に立っている。

 そう思うと、全身が軽く震えた。




 さて、佐々さんが現れた翌日。


「ただいま、弥五郎! 蜂楽屋カンナ、帰ってきたよっ!」


 カンナが、津島に帰ってきた。

 もちろんあかりちゃんたちもいっしょだ。


「お帰り、カンナ。ずいぶん機嫌がいいな」


「そりゃそうよ。……すっごくいいお知らせがあるけんね!」


 すっごくいいお知らせ……?

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