第33話 運命の扉
「滝川さん」
「ん」
「酔ってますね?」
「酔ってなきゃ、こんな恥ずかしいこと言えるかよ、へへ」
「だったら俺も酔いついでに言います」
「お前は水しか飲んでねえだろ」
「この部屋の空気に、酔っていますよ」
「ヘン、言いやがる。……なんだ、言いたいことがあるなら言え」
「俺は滝川さんの心が、死んでいるとは思いません」
ぴたり。
滝川さんは、干物を噛むのをやめた。
「最初にお会いしたとき、滝川さんは俺の早合に反応しました。あれがなによりの証拠です。本当に心が死んだひとなら、新しいものに心躍らせるはずがない」
「…………」
「うまくは言えませんが――滝川さんの心は死んだんじゃない。これまで、休んでいただけだと思います。――人間には、時おり休息が必要なんです。何日とか何か月じゃなくて、何年もの長い休みが必要なときが。いまの滝川さんはきっと、その時期なんです」
語っていて、気がつく。
弥五郎に転生して、12年間。
山田俊明としての意識がなかった自分。
その12年はもしかして、休息の時間だったんじゃないか。
前世で疲弊した自分の魂が、もう一度飛翔するために必要だった年月。
「だから。いまは休んでいる滝川さんも、必ず復活する時がくる。俺はそう思います」
「……山田」
「――長幼ちょうようの序列もわきまえず、言いたい放題を言いました。お許しください」
それだけ言うと、俺はその場に立ち上がり、
「……思ったよりも長居しました。カンナが待っていると思うので、俺はもう帰ります」
「あ、ああ」
「干物、ごちそうさまでした。美味かったです。それでは」
「…………」
「――ああ、それと」
俺は家を出る前に、振り返って言った。
「明日、『もちづきや』で和田さんとお会いします。よかったら来てください」
滝川さんからの返事はなかった。
俺は、滝川さんの家を出た。
《山田弥五郎俊明 銭 18貫432文》
<最終目標 5000貫を貯める>
<直近目標 和田惟政に焙烙玉の試作品を見せる>
商品 ・火縄銃 1
・陶器 3
・炭 17
・早合 2
・小型土鍋 1
・米 15
・黒色火薬 1
・縄 1
カンナが買ってきてくれた縄1は10文だった。
10文のマイナス。
だが、これで焙烙玉が作れる。
その日はすでに遅かったため、『もちづきや』に宿泊した。
この時代、夜は真っ暗なため、油がなければ作業など、とてもできない。
仮にあったとしても、21世紀の夜に比べれば闇も同然である。
というわけで、俺は翌日、朝早くから起きて焙烙玉を製作した。
焙烙玉は、正午には完成した。
《山田弥五郎俊明 銭 18貫392文》
<最終目標 5000貫を貯める>
<直近目標 和田惟政に焙烙玉の試作品を見せる>
商品 ・火縄銃 1
・陶器 2
・炭 17
・早合 2
・小型土鍋 1
・米 15
・焙烙玉 1
宿代40文マイナス。
陶器1、黒色火薬1、縄1を消費して焙烙玉を作った。
ちょうどそのころ、和田さんがやってきた。
「山田うじ。焙烙玉の出来はいかがかな?」
『もちづきや』の前で、俺と和田さんは対面した。
そこで、おや、と思う。
和田さんの後ろに、若者が5人ほど立っているのだ。
「彼らは甲賀の若者でござる。本来、護衛兼荷物持ちとして自分の旅についてきたのだが、あまりにも足が遅いので、津島到着に丸1日の差がついてしまった。は、は、は」
「我らの足が遅いのではありません」
「和田さまが、早すぎるのです」
若者たちは、それぞれ口を尖らせた。
「文句を垂れるな、お前たちの修行不足なのだ。……さて山田うじ。焙烙玉を見せていただこう」
和田さんに言われて、俺は焙烙玉を彼に見せた。
丸っこい、ドッジボールくらいの陶器。
中には火薬が入っていて、陶器の注ぎ口からは導火線が飛び出ている。
「ほう、これが焙烙玉。……なるほど、この線に火をつけるのだな」
「そうです」
俺はうなずいた。
「……あれが、和田さまの言っていた焙烙玉か」
「あのガキが作った火器だって?」
「正直、大したことなさそうだよなー」
甲賀の若者たちは、ヒソヒソ声を交し合う。
さっきの不平といい、いまの悪口といい、どうも口の多い連中だ。
聞こえてるぞ、おい。――と、そう言おうとしたそのとき、
「よう、次郎兵衛じろうべえ。ずいぶんな口を叩いてるじゃねえか」
滝川さんが、ヌッ!
次郎兵衛と呼ばれた甲賀の若者の後ろに現れたのだ。
「滝川さん!」「久助!」「た、滝川さま!?」
俺、和田さん、次郎兵衛がそれぞれ反応する。
滝川さまは、ニヤリと笑い、次郎兵衛の頭をグイッと手のひらでつかんだ。
「い、いて、いてててて!」
「泣き虫ジロベエが偉くなったもんだ。オレの朋友とも、山田の作品にケチをつけるたあな」
「あ、あのガキと、た、滝川さまが……友……? い、いててて!」
甲賀の若者たちの間で、滝川さんは怖い存在だったらしい。
滝川さんの登場で、一気に彼らは委縮する。
「久助、来てくれたんだな」
「ま、付き合い上な。……さ、やろうぜ、山田。焙烙玉の試作品を使ってみるんだろ?」
「はい! ……あれ、火打石はどこに――」
「弥五郎、火打石を忘れとったよ!」
「お兄さん、うっかり者ですねえ」
『もちづきや』の奥から、カンナとあかりちゃんが登場した。
しくじった。火打石を、うっかり忘れていたらしい。
「こ、金色こんじきの髪の女の子……? あっちの宿の子も……ふたりとも、めちゃくちゃ可愛い……いてっ! ててててて!」
「ジロベエ、お前は思ってることを口に出さずにはいられねえのか?」
「す、すみません滝川さま。いてててて!」
次郎兵衛は、もはや涙目である。
俺は苦笑いを浮かべつつ、
「それじゃ、焙烙玉を試しましょう。皆さん、こちらへ」
と言って、人気のない草原まで移動した。
それから、いよいよ焙烙玉に火を点ける。
そして、点火と同時に手ぬぐいでくるんで、ぐるぐるぐると回転させて遠心力を加えてから――
「ブン投げるっ!!」
ブンッ!
はるか遠くに焙烙玉が飛んでいき――
ドォーーーーーーン!!
爆裂した。
「おおっ!」「なんと!」「すごかっ!」「わぁ……」「「「う、うひいいっ!?」」」
滝川さん。
和田さん。
カンナ。
あかりちゃん。
次郎兵衛以下甲賀の若者たち。
それぞれが、それぞれの反応を示した。
焙烙玉は成功だった。見事に、爆裂兵器としての価値を示したのだ。
「やるじゃねえか、山田。大したもんだぜ」
滝川さんは、瞳を輝かせていた。
「本当に心が死んでいるなら、新しいものに心躍らせるはずがない……か。……そうだよな。オレも、オレだって――」
そして。
「山田うじ、見事であった。焙烙玉の作成、正式に依頼しよう!」
「かしこまりました!」
俺は笑顔でうなずいた。
また次の仕事が来た。加工貿易ルートはやはりイケるぞ。
と、そのときだ。横からカンナがチョンチョンと俺の脇腹をつついてきた。
ああ、分かってるよ。
一番大事なところだろ?
「ところで、謝礼のほうですが――」
「……うむ、そうだな。もちろん無料というわけにはいかんな。焙烙玉は、1発いくらで売ってくれる?」
さて、難しいところだ。
焙烙玉1を作るのに、陶器1、黒色火薬1、縄1は必要だった。
それぞれの相場は――
陶器 ……30文
黒色火薬 ……980文
縄 ……10文
すると焙烙玉1を作るのに必要な料金は、1020文か(もっとも火薬は、自作したらもう少し安く作れる。硝石が260文、硫黄が35文、炭が60文(加納市での価格。津島はもっと安いはず)をもとに、硝石0.7、炭0.2、硫黄0.1を合わせることで、火薬1袋を198文で作ることができるのだ。こちらでいけば焙烙玉1を作るのに必要な料金は、238文だ。
……ふむ。
早合のときは、鉄砲1発撃つのにかかる値段の倍を貰ったな。
それなら今回は材料費の倍。2040文でいこうかな?
「焙烙玉1発。2040文――2貫40文ではいかがでしょう?」
「ふむ……」
和田さんは、少しだけ眉間にシワを寄せた。
「焙烙玉は使い捨ての武器だろう。それを考えると、少し高い気もするな」
むう、そうきたか。
しかしここでいきなり値下げするわけにもいかないな。
「ですが、強力な武器です。瀬戸内海の海賊は、これを惜しげもなくバンバン使っているから、活躍できているのですよ」
「それはそうだが。……2貫超えは厳しい」
「……では1割引き。1836文はいかがでしょう」
「もう一声」
「…………ううん。……では2040文から1割1分引きます。1815文でいかがですか?」
「伝右衛門、あまりケチケチすんな。金を惜しんで命をなくしちゃ、元も子もねえだろ」
「まったく、お前はいい加減でいかん。滝川久助は死んだ、とか言っておきながら、心変わりして甲賀に行くと言うしな」
――そう、滝川さんは、甲賀にいくことにしたのである。
昨日、俺と交わした会話が、彼の精神に影響を与えたのかもしれない。
滝川さんは俺に言ったのだ。
『もう一度、戦ってみることにするぜ。俺の心が本当に死んでいるのかどうか、もう一度だけ試してみるさ。……我が友、和田伝右衛門のためにもな』
『滝川さんが津島からいなくなるなんて、寂しくなりますね』
『なーに、またどこかで会えるさ!』
そう言って笑った滝川さん。
海老原村の宴のときのような、明るい笑顔であった。
あかりちゃんにワンワン泣かれたときは、さすがに困り顔だったけどね。
――その滝川さんに薦すすめられたからだろうか。
和田さんは、
「確かに焙烙玉があれば心強い。攻撃したとき、敵に与える心理的影響も大きいだろうな」
「そうそう。和田の御曹司、器のでかいところ見せてやんな!」
「茶化すな、久助。……では山田うじ。焙烙玉1発、1815文で買おう。そして30発注文しよう!」
「さ」
「30発!?」
俺とカンナは同時に声をあげた。
焙烙玉30ということは、ひとつの値段が1貫815文だから……。
「全部さばけたら、54貫450文ばい!」
カンナが素早く計算した。
す、すごいな。54貫か。
それだけあれば当分生活もできるし、その金を資本もとでにして、もっと大きな商売もできそうだ!
「作ってもらえるだろうか?」
「も、もちろんです。頑張りますよ!」
「それで安堵。取引は成立だな」
和田さんは、口許に笑みを浮かべたが――
笑いが止まらないのはこちらのほうだ。
成り上がりの階段を、確実に上がっている気がするぜ。
「ではさしあたって、今回試作品として作ってくれた焙烙玉の代金、1貫815文を支払おう」
《山田弥五郎俊明 銭 20貫207文》
<最終目標 5000貫を貯める>
商品 ・火縄銃 1
・陶器 2
・炭 17
・早合 2
・小型土鍋 1
・米 15
「ありがとうございます。では今日からさっそく、製作に取りかかります。できあがった焙烙玉30発は――」
「ああ、そのことだがな、山田うじ。自分は久助といっしょに甲賀へ戻る。だから完成した焙烙玉は、次郎兵衛に渡してくれ」
「え、次郎兵衛さんに?」
俺は、次郎兵衛さんをチラリと見た。
次郎兵衛は「へへへ……」と、変な愛想笑いを浮かべている。
最初は俺をナメていたはずの彼だが、焙烙玉の威力や、相方のカンナの美少女ぶり(?)にビビってしまったのか、えらくおとなしくなってしまった。
「次郎兵衛は、しばらく津島に駐留させることにした。甲賀に戦力がひとりでも欲しいところだが、次郎兵衛はまだ戦力としては未熟だし――」
「ひ、ひでえこと言うなあ、和田さん」
「事実だ。――それにもうひとつ、理由がある」
和田さんは、こわい顔をして言った。
「尾張に風雲の兆しがある。なにか動きがあり次第、甲賀に情報を知らせるために、津島に人がおらねばならん」
「風雲の兆し……」
「左様。……織田弾正忠の容態、いよいよ危うしと聞くゆえな。尾張は乱れる可能性が高い」
「ッ!」
和田さんのセリフに、俺は戦慄した。
そうだ、尾張の事実上のリーダー、織田弾正忠信秀。
信長の父親だが、彼の体調が危ういのは、もはや町のうわさでも明らかだった。
……俺は当然知っている。
織田信秀は、来年。1552年の春に死ぬ。
和田さんの懸念は、ただしく現実となるのだ。
「山田うじ。何事も気をつけられよ。……これは根拠のないただの予感だが、来年は、貴殿の身の上に激動の運命が待ち受けている。そんな気がするのだ」
「…………」
「命だけは大切になされよ。人間、死んでしまえばなにもかも終わりでござるからな」
「……おっしゃる通りです」
と言いつつ、俺は内心、そうでもないぜと思っていた。
こうして、転生してしまった存在が確かにここにいるからな。
――といっても、二度目の生まれ変わりがあるかどうかは分からない。
次死ねば、すべてが終わりという可能性も、充分にあるだろう。
だから俺は、言ったのだ。
「ご忠告に感謝します。必ず生き残ってみせますよ」
「心強きお返事。……山田うじ。貴殿の今後の健闘を祈る」
和田さんは、笑顔と共に言った。
「乱世といえど、生き残ることは必ずできる。――強くありさえすれば!」
――とある城郭にて。
ある男がいた。男は、城の殿様である。
殿様は、家来から寄せられた報告を聞き、ニヤリと笑った。
「面白そうではないか、その山田弥五郎とかいう少年」
そして、彼は告げた。
「くふふっ。実に面白い。……かの者の作る火器。今川治部大輔さまへのなによりの手土産になろうぞ!」
1552(天文21)年が、始まろうとしている。
織田信長が、家督を継承する年が。
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