第26話 イノシシ退治

 イノシシが、カンナのほうへと突っ込んでいく。

 その光景を見た瞬間、俺は吼えた。


「カンナ! マントを思い切り振れっ!!」


「ッ!!」


 言われたカンナは、瞬時にまとっていた赤マントを思い切り広げ、振り回した。

 ばさっ、と広がるマント。

 するとイノシシは、ふいにびくんとその場で跳ねて、下半身をじたばたさせる。


 かと思うと。


 イノシシは急に右へと曲がり、また田畑のほうへと走っていった。

 やがてイノシシは、森の中へと入っていく。

 見えなくなった。


 ……ふう。

 どうやら、カンナを助けることができたようだ。


「カンナ、大丈夫か?」


 声をかけると、カンナは震えながらも、小さくこくりとうなずいた。


「う、うん。……ごめん、あたし、びっくりして座りこんじゃって」


「いや、突然イノシシが来たら、そりゃ驚くさ」


「しかしいまのイノシシは、なぜいきなり逃げたんだ?」


「イノシシは、急に派手な色が目の前に広がると、仰天して逃げ出す習性があるんです」


 首をひねる滝川さんに向けて、俺は説明した。

 前に叔父さんから習ったことだった。

 イノシシに猛進された場合、対処法はいくつかあるが、そのうちのひとつ。

 それは、色のついたものを一気にイノシシの視界に展開すること。

 色のついた傘を広げたりするのがいいそうだ。

 それをふいに思い出した俺は、カンナにマントを広げることを指示したのだ。


「お兄さん、物知りですね!」


「鉄砲だけじゃなく、そんなことまで知っているのか、山田は」


「いや、たまたま思い出しただけですよ。……カンナ、立てるか?」


「う、うん。……よいしょ、と」


 俺が差し出した手を握り、立ち上がるカンナ。

 ……なんとかかんとか、場はおさまったようだ。

 イノシシに驚いていた俺の馬も、こちらへ戻ってくる。


 そこへ、


「いきなり襲われたようじゃのう」


 と、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、そこには老人がいた。70歳くらいだろうか?

 人間50年、と言われたこの時代から考えるとけっこうな長寿だ。


「あ、八兵衛爺ちゃん」


「おう、八兵衛殿。久しぶりだな」


「滝川さま、お久しゅうございます。あかり、よく来たの。」


 八兵衛と呼ばれたお年寄りは、相好を崩す。

 海老原村にいると言っていた、あかりちゃんの親戚だろうな。

 滝川さんとも、旧知の間柄のようだ。


「あかり、このふたりは……?」


 八兵衛翁は、俺たちのことをじろじろと見る。


「あ、うん。あのね、鉄砲に詳しい山田弥五郎さんと、その相棒のカンナさん。イノシシ退治を手伝ってくれるの」


「ほう、手伝い」


 八兵衛翁は、じろじろと俺たちを。

 特にカンナのほうをうさんくさげに見回した。

 

「手伝い、のお。……子供がふたりでなにができるんじゃ。しかも娘のほうはその髪……?」


「あ、えっと。……爺ちゃん。山田のお兄さん、すごく鉄砲に詳しいんだよ。だから手伝いっていうのは言葉のアヤっていうか」


 あかりちゃんは弁護してくれる。

 だが八兵衛翁はそれ以上、俺たちにはなにも言わず。


「滝川さま。イノシシはあちらに逃げましたぞ」


 と、滝川さんに話しかけ始めてしまった。

 八兵衛翁にとって俺たちは、頼りなく、かつうさんくさい子供二人に見えたようだ。

 ……まあ、仕方ないっちゃ仕方ない。実際、少年と少女だからな。


(あたしたち、あんまり歓迎されとらんごたる)


(気にするな。俺たちは、やるべきことをやるだけだ)


 俺は早合を準備しながら、ひそひそ声で言った。

 そう、やるべきことをやる。とりあえずいまは、イノシシを倒す。それだけだ。




「本来、イノシシってのは臆病な生き物ですじゃ」


 八兵衛翁が、言った。


「だが冬の時期は繁殖期でしてな。メスを求めて興奮するオスイノシシがたまに出てきます。先ほどのイノシシも、そのたぐいでしょう」


 海老原村のあぜ道を歩き回る、俺、カンナ、滝川さん、あかりちゃん、八兵衛翁。

 八兵衛翁は、俺たちに、というより滝川さんに向けてイノシシのことを解説していた(なお馬は、村の入口に置いてきた)


「それであのイノシシは、急に襲ってきたわけだな」


「そうですじゃ。……もっとも、いきなり出くわしたのは運が悪かったですな」


「まったくだ。……イノシシはこのあたりに逃げたな?」


 滝川さんがあたりを見回す。

 先ほど、イノシシが逃げこんだ森の入口に、俺たちは到着していた。

 俺と滝川さんは、顔を見合わせて、こくりとうなずいた。


「それじゃ、あとはオレと山田でイノシシを退治しよう。八兵衛殿とあかりちゃんたちは家の中にでも入ってな」


「あ、はい」


「それじゃ滝川さま、お願いしますじゃ」


「弥五郎。……大丈夫?」


「大丈夫だよ。カンナこそ大丈夫か?」


 あかりちゃんとも八兵衛翁ともほとんど話していないカンナ。

 俺と離れて大丈夫かな、と心配だったが、


「あたしは大丈夫やけん。……じゃあ、気をつけてね」


 カンナは薄い笑みを浮かべ、あかりちゃんたちと去っていった。

 あとには俺と、滝川さんだけが残される。

 滝川さんは、さっそく火縄銃を撃つ準備を始めたが、


「しかし、なんだ。……お前もいろいろあるみたいだな」


 準備をしながら、そんなことを言った。


「え? なにがです?」


「あんな髪の色の娘と、二人旅とは。よほどの事情とみたぜ」


「…………」


「ま、詮索はしないがな。人にはそれぞれ事情があるだろうし」


「……ええ、まあ」


 俺もまた、鉄砲の準備をしながら、


「滝川さんも、いろいろ事情があるんでしょう? あかりちゃんが言っていましたよ。若いころは、天下一の侍大将になってみせる、っていうのが口癖だったとか」


「あいつ……妙なことを言いやがって」


 滝川さんは、照れたような、困ったような笑みを浮かべた。

 それから彼は、かぶりを振った。


「若いころのタワゴトだ。誰だってあるだろ? 自分がその気になれば、天下のすべてを動かせるって、思い上がっている時代がよ」


「……まあ」


「そんな時代だっただけさ。……いや、悪い。お前はむしろ、これからがその時代だったな。はっはっは――」


 滝川さんが、笑う。

 すでに銃を撃つ用意はできているようだ。

 俺も、準備を終えた。いつでもすぐに弾を撃てる。


 さあ、イノシシを探そう。そんなに遠くにはいないはずだ――

 と思ったそのときだ。



「ひゃあーッ!!」



 悲鳴があがった。

 いまのは……八兵衛翁の声だ!?


「なんだ!?」


「いくぞ、山田!」


 俺と滝川さんは銃を構えて疾走した。

 村のあぜ道まで、戻ってきた。

 するとそこには、カンナ、あかりちゃん、そして腰を抜かしているのか、地面に座り込んでいる八兵衛翁の3人と――

 先ほどのイノシシが、いたのである。

 カンナたちに向かって、いままさに走り出そうとしているイノシシ。


「こいつ、こんなところにいるなんて!」


「撃つぞ、山田!」


 滝川さんが銃を構える。


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