第14話 バタフライエフェクト

 日本中が内戦状態にある戦国時代。

 当時の日本政府たる室町幕府は、統治能力を失っている。

 そこへ台頭したのが尾張の戦国大名、織田信長で、彼は日本を半ば統一した。


 しかし信長は部下に殺される。その信長の後継者となったのが、やはり信長の家来だった豊臣秀吉だ。秀吉は信長のあとを継いで活躍し、ついに日本を完全に統一する。

 もっとも秀吉には成人の後継者がいなかったため、その後の日本は徳川家康が手に入れる。家康は江戸幕府を開き、ここに戦国時代は完全終結。江戸時代が始まることになるのだが――




 その秀吉が、いま目の前にいる。

 いまはまだ、那古野城の織田家に仕える低い身分の小者、藤吉郎として。


 同名の別人――とは、とても思えなかった。ほとんど本能的に、俺は察したのだ。

 転生者の直感と言っても差し支えない。間違いなく目の前の人物は秀吉なのだ。


 秀吉の若いころについて、確たることはなにも分からない。

 木綿針商人をやったとか、どじょう売りをやったとか、あれやこれやとさまざまな逸話が伝わっているが、確実な史料から分かる事実はなにもないのだ。

 だから、秀吉がこうして炭を買うために小者として走り回っていても、そこは別におかしくない。


 ……だが、なんにせよ、この人と関わるのは本当にまずい!

 自分のわずかな行動ひとつで、歴史が大きく変わる可能性がある。

 これまでも、シガル衆と戦ったり、散弾を作ったり、炭団を作ったり、歴史を変える可能性がある行動をしてきた俺だったが――しかし、すべては自己防衛のため、家族のため、村のためだった。


 それに、しょせんは日本の片隅で小僧がちょろちょろ動き回っただけであり、まさかこの程度で歴史が動くことはあるまいと、どこかタカをくくっていたところがある。

 だが、実際に歴史上の人物が目の前に登場すると、さすがに冷や汗が出る……。


 藤吉郎は、父ちゃんと陽気に話し合っている。


「さっきも言ったがよ、わしゃよ、那古野城の薪炭奉行の下で働いておる」


「はい、伺いました」


「うん。それでわしゃの、城の薪炭の費えを、少しでも安くしようと思っておるのよ。たかが炭、たかが薪の費用といっても、1年間、積もり積もれば馬鹿にならん。その経費を安くするために、動いておる。――どうじゃろな、先ほど汝らが売っておった、その」


「炭団でございますか」


「そうそう。あれを分けてはくれまいか。あの炭は長持ちすると聞いた。炭を普通に買うよりも、効率よく使えるかもしれん」


「なるほど。しかし炭団は、手前の息子がわずかに50個、作っただけでありまして。お城で要りようになるほどの量は、まだ生産しておらぬのですよ」


「なに、息子」


 藤吉郎は、ぎょろりと俺を見つめてきた。

 ぎくり。身を固くさせる、俺。


「ほほう。こちらの息子殿が、あの変わった炭を作ったのか。やるのう」


「ははは、我が子ながら、なかなか変わった発想をする子でして」


「そのようじゃ。……しかし困った。そうか、炭団はそんなにたくさんないのか」


「どうでしょう、ただの炭ならば、村に戻ればありますが」


「大樹村は、なまず屋のような商人よりも、安く炭をわけてくれるかのう?」


「さて、それは村に一度戻って、村衆と話をしてみねば――しかし、一度だけの購入ではなく、今後も継続してお取引をしていただけるのであれば、きっと皆も前向きに考えてくれましょう」


 父ちゃんは、藤吉郎と、すなわち那古野城と炭の取引をしたいようだ。

 お城に直接炭を売れば、しかもこの後、取引を続けてもらえるのであれば、村としては定期的な収入が安定して入ってくることになる。父ちゃんが前向きになるのは当然だろうな。

 それにしても、いよいよ藤吉郎との縁が深くなっていく。まずいなあ。


 ……いや、落ち着け。ただ村の炭を売るだけだ。

 それだけなら歴史に、そんなに影響はないだろう。

 ――と、思うんだが……。


 だいたい深く考え出すと、キリがないんだ。

 例えば俺が道端になっている柿をひとつ食ったとする。そうしたら、その柿を本来食う予定だった旅人が餓死するかもしれない。で、その旅人の遠い子孫が、のちの西郷隆盛だとか坂本龍馬だとか、そういう有名人だったとしたら――はい、これで歴史は変わりました。


 ささいな動きが歴史を変えるとはそういうことだ。いわゆるバタフライエフェクト。取るに足らない些末な行動ひとつでも、結果はみるみる変わってしまうものなんだ。


 だけどそれを言い出したら、食事もまともにできない。ある程度は開き直るしかない。

 そもそも俺には歴史を変えようなんて、そんな意思などさらさらないんだ。

 両親や伊与と、ずっと一緒に暮していけたら、それでいいんだ。


 ……だが、そんな俺の心は知らず。


「それじゃ、大樹村までちょっくら行ってみるかのう!」


 藤吉郎は、父ちゃんと意気投合し、村に行くことを宣言した。




 その後、俺たちは大樹村に戻った。

 村についたときは、もう夜だったため、その日はもう眠ることにする。

 藤吉郎には、村の空き家に宿泊してもらった。


 そして、翌日。俺たち四人は、改めて藤吉郎と向かい合う。

 父ちゃんは言った。


「先ほど、村衆と話をして参りましたが、炭を那古野城に売る話はまとまりました」


「ほう、大慶。いや、ご苦労じゃったのう、牛松どの」


「いえいえ。……それで、合議で決めましたが、炭のお値段は、炭1束につき23文となりまして」


「それは安い! だが、その値段で大樹村は儲かるのか?」


「あまり儲かりませんなあ」


 父ちゃんは苦笑しながら、そこは正直に言った。

 そりゃそうだ。普段、炭1につき60文で販売している大樹村なのだから、23文は出血だ。


「しかし今後も末長いお付き合いになることを見込んで、破格のお値段にさせていただきました」


「偉い、牛松どの。偉い、大樹村。汝らの器は尾張一、いや天下一じゃあ!」


 藤吉郎は大げさに手を叩き、満面の笑みを浮かべた。


「ところで、村にある炭はいかほどかの?」


「いや、それが。……なにぶんこれから冬になるので、村でも炭は必要です」


「そりゃ、そうじゃの」


「ですので、いま那古野にお分けできる炭は、どれほど捻出しても100束といったところで」


「100束かあ。……できれば、炭500はここで調達していきたかったが」


「500束。そんなにたくさんは、とても」


「そのようだのう。他の村も回るしかないかのう……」


 藤吉郎は腕を組む。父ちゃんも眉宇を険しくさせた。

 うーん、もったいないよなあ。せっかく那古野城とパイプができたんだから、もっと繋がりを深くして、今後も大樹村を栄えさせたい。織田家がこれから伸びるのが分かっている俺としては、なおさらそう思う。そのためには、藤吉郎の求める炭の量を提供しなきゃいけないんだけど――


 ……いやいや。

 この人と関わると、歴史を変えるかもしれないと思ったばかりじゃないか。


 だけど……父ちゃんの困り顔を見ていると、なんとかしてやりたくなるな。

 村のためでもあるし……。


 ……ああ、もう。仕方ないな!

 炭を秀吉に売るくらい、なんだ!

 俺は心を決め、声をあげた。


「藤吉郎さま」


「さま、はよしてくれ。わしゃただの小者じゃぞ」


「それなら、藤吉郎さん。……炭500の件ですが、俺に考えがあります」


「ほほう? 炭団を作り出した息子どのがか? ……ええと、汝われァ、名前はなんと……」


「弥五郎と申します」


「ふむ、弥五郎。汝は、炭500の件でなにか思惑がある、と。そういうわけじゃな? しかし弥五郎よ、時間はあまりないぞ。冬が近い。できれば10日以内には炭の件をなんとか――」


「いいえ、藤吉郎さん。3日です」


 俺は言いきった。

 今後の取引に繋げるためだ。

 早く仕事ができれば、藤吉郎さんは今後も大樹村といっぱい取引をしてくれるだろうから。


「3日後に、またこの村に来てくれませんか。炭100で、500分の効果を出す方法をお見せしますよ」


「炭100で、500分の効果……?」


 すると藤吉郎さんは、嬉しそうに手を叩いた。


「これはこれは、大きく出たのう! わしゃそういう大言は大好きじゃ! よし、それでは3日後にまた来よう。炭500分の効果とやら……。どのような方法を見せてくれるのか、楽しみにしとるでよ!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る