第10話 楽市の町・加納

 加納の町である。

 ここは尾張の隣国、美濃国(現在の岐阜県南部)の主城、稲葉山城の南方に位置する。


「物を商うなら、ここだ」


 と、父ちゃんが言う通り、この町はとても人の往来が激しい。

 町の中はもはやほとんどお祭りのようだ。


 屋台のような出店はあるわ、あるいは地べたにござを引いて、その上で物品を販売している者もいるわ、さらには「魚ァ、川魚ァ」と叫びながら、道端を歩いて物売りをしている人間もいるわ、賑やかなこと、この上なかった。


 扱っている商品も、米や豆、酒、餅といった食べ物もあれば、古着や帯や反物、草履といった衣類もあり、刀や槍や弓矢を売っている店まである。とにかく、なんでもあるようだ。


「儂らも、いつもここで炭を売っているのさ。儲かるぞ。炭ひとつにつき60文にはなる」


「しかし義父様。見たところ、みんな勝手にどんどん商売をやっているようだが……こんなことをして、座に目をつけられないのか?」


「いいさ。加納の町は楽市だからな」


「ラク……イチ?」


「楽市ってのは。座の特権が及ばず、税金もかからない自由営業領域のことだよ」


 俺は横から、さらりと解説した。


「伊与の言う通り、ふつうの町だと『座』っていう商人の組合があって、そこに属さないと物の売買ができない。だけど楽市なら座に与さなくても商いができるのさ。座が市場を支配していた昔と違って、自由な商売を求める気運が、世の中に満ちみちてきたんだろうね」


 この気運がより強くなっていき、やがてあちこちに楽市が立ち並ぶ。

 楽市といえば、織田信長独自の政策みたいに思われている。

 だけど楽市自体は、信長台頭以前からすでにあるのだ。


 そして自由市場を求める気運は、やがて座そのものを否定する楽座政策に繋がる。最終的には織田信長が、安土城下において大規模な楽市楽座政策を行い、それで信長は楽市楽座の第一人者として歴史に名を残すことになるんだけど……まあそれはのちのお話。


「……弥五郎。お前、本当にいろいろ詳しくなったな」


 伊与が、びっくりしたような顔で俺を見る。


「そ、そうかな」


「ああ。なんだか別人になったようだ」


 別人、と言われてちょっとだけギョッとする俺。

 と、そのときふいに父ちゃんが言った。


「弥五郎、やはりお前は、儂より才があるようだ。その歳で楽市を知っているくらいだからな。……どうだ、今回は、お前が商いの中心となってみるか?」


「えっ、俺が!?」


「またお前さん、そんなことを言って!」


「いや、この子には、きっと普通じゃないなにかがあるぞ」


「いい加減にしてくださいな、お前さん。まずは商売の手伝い、そう例えば商品の陳列とか簡単な仕事をやらせてから、少しずつ大きな商売を任せていけばいいじゃないですか」


「いや、違う。男は大仕事を任されることで成長するものだ」


「ああ言えばこう言う……もう! お杉は反対ですからね!」


 母ちゃんは怒った。

 しかし父ちゃんは懲りもせず、俺の瞳を一直線に見据えてから言う。


「母ちゃんはああ言うが……弥五郎。儂はお前も信じている。お前ならきっと、儂よりもうまい商売ができるはずだ。……そうだな」


 父ちゃんは、馬に取り付けた荷物の中からなにかを取り出した。

 それは、たきぎだった。


「ここに薪が10束ある。炭のついでに持ってきたものだが、加納市なら売れるだろう。……しかしただ売るだけじゃ、これはせいぜい20文にしかならない。だが、これをもっと高く売ることもできるはずだ」


「えっ」


「そうだな。――この町の安宿がひとり1泊30文で、4人だと120文だから……120文で売ってみろ。20文でしか売れないこの薪を、120文で売ってみるんだ」


 そ、そんな無茶な!?

 口をあんぐりと開ける俺だったが、父ちゃんはなお続ける。

 ふところから、紙と筆、さらに墨を取り出すと、


「弥五郎、ひとつ助言をしよう。商売に大事なのは、情報の整理と在庫管理だ。――これは父ちゃんがいつもやっていることなんだが、自分の現状を、常に紙に書き込んでおくんだ。いま達成するべき目標と、所有しているお金、さらに商品の種類と数をな。そうすれば、次にやるべきこともおのずと見えてくる。……さ、やってみろ」



《弥五郎 銭 0文》

<目標 120文を稼ぐ>

 商品 ・薪 10



「こうかな、父ちゃん」


「そんなもんだな」


「本当にやらせる気ですか……」


 母ちゃんはまだ不満そうだが、父ちゃんは意に介さず、


「さ、弥五郎、いけ。商売をやってみろ。母ちゃんをびっくりさせてやれ」


「義父様、私も弥五郎についていっていいか? 町中をもっと見てみたい」


「ん? ああ、伊与ならいいぞ。なにせ未来の恋女房だからな、わはは」


「……だから。私は恋もしないし女房にもならないから……」


「……だから。そうハッキリと断言しないでくれ。けっこう傷付くんだから」


「わっはっは! やっぱりふたりは、息がピッタリじゃないか!」


 父ちゃんは愉快そうに笑い、母ちゃんは困ったような顔を見せ――

 俺と伊与は所在なげに、さてどうしたものかと顔を見合わせる。

 ともあれ、俺には仕事が課せられた。




 120文を、稼がなければならないようだ。

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