ブロックスの12

 四年前、その言葉を聞いた時、この世界で生まれた人間なら確実に思い浮かべる事件がある。

 自由都市連盟が結成されて約二百年、その間に勃発した唯一の戦争、『レーベンヘルツの侵攻』だ。



 レーベンヘルツが唐突に、自由都市連盟始まりの地でもある『中央都市シャトランジ』に宣戦布告、返答を待たずに戦闘を開始したというこの事件、原因は今でも不明、一部の権力者の独断かと思えば、レーベンヘルツの都市民は戦争に肯定的であったという。

 東のアルド大陸全土を巻き込んだ争いは、レーベンヘルツが完全に滅ぶまで続いた。



 と言うと長く続いたように聞こえるが、実際の戦闘はほんの数カ月で終わった。

 理由は複数ある。意味の分からないタイミングで戦争を引き起こしたレーベンヘルツを支援する都市がいなかったこと、レーベンヘルツ自体が戦いに向いた都市ではなかったこと、等など挙げればキリがない。



 だが最大の理由はと問われれば、おそらくそれはたった一つの単純な答え――



 ブロックスが、レーベンヘルツと敵対する立場を選んだからに他ならない。



「ライモンドはね、それはもう素敵な人で、騎士としても優秀な人だったのよ、歴代ブロックスの騎士のなかでも頭一つ抜けて、一騎当千って言葉はあの人のためにあるものだったわ」

「そんなにか……」

「勇者とどっちが強いのかしらね」



 カーラは「勇者?」と首を傾げている。リュージは軽くラフィを睨みつけたが、本人は悪気なく純粋な興味で口にしただけと、気にした様子はなかった。リュージは咳払いをして強引に誤魔化した。



「続きを頼む」

「え、ええ、あの戦争のとき、そんなあの人に声がかかるのは当然のことだった、あの人が呼ばれたのは一番の激戦区だった『中央都市シャトランジ』そこで――」



 カーラが初めて言葉に詰まった。

 鈍いリュージにも分かる、これは戦争の話だ。大規模な戦いでは、たとえどんなに強大な力を持っていようと、個人でできることなんてたかがしれている、きっとライモンドはそこで――。



「……何その顔は、言っとくけど死んでないわよ?」

「違うのか、話の流れ的にそういうことかと――」

「そんなわけないでしょ! うちの旦那がそう簡単に死ぬもんですか、あの人はねおっそろしく強いの、あんたが思ってる何倍もね!」

「お、おう、わかった、分かったから」



 顔を真っ赤にしてまくしたてるカーラに、珍しく引き気味なリュージだった。

 夫婦仲は、良かったなんて言葉じゃ足りないみたいだ。火が燃え広がるような勢いでまくし立てるカーラを前に、何も言えずにただ聞き続けるしかなかった。



「いい、あの激戦の中、あの人がいた戦場だけは敵味方一人の死者も出なかったの、騎士はむやみに犯罪者を殺傷してはいけないって連盟法で決められてるからよ! 生きるか死ぬかの戦場で、そんなこと気にするなんて普通の人に、いや、そんじょそこらの騎士にだって出来ないわよ!」

「はいカーラママ、あーん」



 ラフィがカーラの口にヴィートの作った料理を押し込んだ。冷めても旨いそれを口の中で咀嚼し、飲みこむ頃にはカーラは幾分か落ち着いて、自らの取り乱しぶりを省みて、無かったことにすべく口に手を当てて「おほほ」と笑った。手遅れにも程がある。



 思っていることが顔に出やすいとは昔から言われるが、まさかこんな面倒なことになるとは思っていなかった。矯正した方がいいのかもしれない、リュージは軽く嘆息した。そして気を取り直すと話題を元に戻した。



「しかし分からないな、だったら何があったんだ」

「……どっから話すべきか、とりあえずあの人は無事、上げた戦果も誰よりも勝ってたわ、あの人がいなかったらあと一年は長引いてたかもしれないって話だしね」

「とんでもないな、あんたの旦那」

「だからそう言ってるじゃない、ブロックスでも、英雄だ何だって、本人が返ってくる前にあんな像まで作っちゃって」



 像は、英雄の凱旋のために作られたものだった。人を人でなくする戦場で、それでも誰一人殺さずに帰ってきた、誇り高き、気高い男の帰りを皆が待ち望んだ結果できたものだった。

 戦後処理やらで当のライモンドが帰ってくるのは半年後、戦争が始まってから数えて、約一年の時が過ぎてからだった。

 そしてその時が来て、あとは帰ってくるのみとなった段階で、ライモンドは姿を消した。



 味方であったはずのシャトランジの重鎮を一人亡きものにして――。



「いやおかしいだろ、話の流れがめちゃくちゃだ、自分が味方した都市の奴を? わざわざ戦いが終わってから?」

「私たちもそう思った、だけど事実よ、結果的にブロックスの信用は当分の間低迷、『稀代の英雄』は『歴史的裏切り者』に大変身、私たちも住んでた家を追われてね」

「それでこんなところに――」

「いくら家族がやらかしたからってそんな目に合うのはおかしくない?団長とかはなにやってんのよ」



 ラフィが眉間にしわを寄せて憤慨した。そういう理不尽から住人を守るのもトップの仕事だと彼女は鼻息を荒くした。対してカーラは優しい目をラフィに向け、



「エルモさんは必死に対応してくれたわ、当時は周りからの圧力が本当に酷くてね、本当なら都市を出ていかなきゃいけないくらいだったから、今だってマッシ家が残ってることに納得してない人のほうが多い」

「なるほどな、ようやく話が分かった」



 納得はできないが、と心の中で付け加えておく。

 そしてリュージは一つ思い当たることがあった。今日都市内を歩いている際に、向けられていた視線、とげとげしかった視線たち、あれはうるさいラフィが迷惑がられているのだと、おかしな服装のリュージが注目されているのだと、疑わなかった。



 だが、もしあれが全て、いや全てじゃないにしてもそれなりの数、ヴィートに向けられていたものだったのかも知れない、彼はそんな環境に毎日、絶え間なく身を晒していたのだ、一日や二日じゃない、それこそ数年間ずっと――。



 そんな状況で自分に自信など持てるはずがない。



「あの子は、お父さんを心から尊敬してたから、余計に辛かったのよ、自分のなかの理想の騎士像が崩れて、それからぱったりやる気をなくしたわ、あの子の仕事は知ってる?」

「見張りだろ?大事な仕事じゃねえか」

「ブロックスではね、見張りは有事の際に、他の騎士が全員でていったのを確認してから最後に戦場に向かうの」

「……あぁ、なるほどね」



 ラフィはそれだけで何かを理解したようだったが、リュージには何の事だかさっぱり理解できない、ラフィはつまらなさそうにグラスを弄りながら説明した。



「団長が言ってたでしょ?この都市では勇敢は美徳って」

「言ってたな、それがどうかしたか」

「ほかの人たちが戦い始めてから一番最後にのこのこやって来た人ってどういう目で見られるのかしらね」

「待てよ、それが仕事なんだろ」

「昔ながらの価値観の前にはそんなこと何の考慮もされないもんよ、そのうえ相手はヴィート、下らないこと考える奴からすれば格好の餌ってやつね」



 そんなひどい話があるものか、与えられた職務を全うしているだけなのに臆病者呼ばわりされて嘲笑される、真面目に働いているヴィートの評価は地の底だ。



「でも何でそんな所で働いてるのかは謎ね、本人は納得してるってこと?」



 ラフィの問いにカーラは黙って首を傾げた。そんな話はしたこともないようだ。というより出来ないと言った方がいいかもしれない、傷ついているだろう息子の傷に塩を塗り込むような真似は――。



「本人が希望してるのはそうみたい」

「仕事だからと割り切ってんのか、現状をどうにかしようとは思ってないのか」

「案外難しく考えすぎてるだけで、蔑まれると興奮するタイプなのかもよ」

「馬鹿言ってんな」



 話の途中で意味の分からないボケを無理やりぶち込んでくるのはやめてほしい、というかラフィは真顔でボケるから分かりづらいのだ。

 ボケているはずだ。多分、きっと……。

 リュージが不安になっていると、部屋の外から足音が聞こえてきた。流石にそろそろ帰ってきたようだ。もう聞くことも無かったしちょうどいいタイミングだ。



 足音は次第に大きくなり、リビングの扉で止まった。リュージはふと、考えていることが顔に出やすいと言われているのを思い出した

 話題が話題だ。ヴィートに話していたことを知られると良くないかもしれないし、勝手に話したカーラと折り合いが悪くなっても困る。そんな責任感からリュージは全力で真顔になった。



「戻りました、お風呂もう何時でも入れ――ひぃっ!?」



 部屋に入って早々、リュージの顔を見たヴィートは悲鳴をあげて飛びずさり、通路の壁に頭をぶつけた。



「どうした、なにかあったのか」

「こっちのセリフですよ! なんでそんな怖い顔してるんですか! 僕何かしました!?」

「何を言ってるんだ、普通の顔してるだろ、なあ?」



 その顔を座っている二人に向けると、カーラは顔を引きつらせ、ラフィは「うわぁ」と椅子ごと下がった。



「そのまま外歩いたら子供が泣く、いや捕まるわね、もう二度とその顔しない方がいいと思う、いやこれは本当に」



 ラフィの表情に今までにない真剣みがあった。

 隣のカーラも風が巻き起こるような勢いで首を上下に動かしている。リュージは愕然とした。生まれてきて二十五年、艱難辛苦共にしてきた自身の顔面に対するあまりの評価に悲しみを禁じ得なかった。

 悲しみのあまり力んでいた顔から力が抜け、同時に見ていた三人がホッと一息ついた。



「も、もしかして何か話してました?」

「……なんでそう思うんだ」

「だってすごい焦ってるし、ぼくまだ戻らない方が良かったですか?」

「そんなことはない、というより何も話してない」

「何も話してないんですか? ずっと?」

「……何も話してないわけじゃないんだ、ただその、何も話してないんだ」



 自分が邪魔だったのではと、おろおろするヴィートを、フォローしようと慌てるリュージ、見ていたラフィは彼の口下手ぶりに呆れて、持っていたグラスを一息に飲み干して空にしてから、助け舟を出した。



「ヴィート、そいつお風呂入りたいんだって、さっさと連れてきなさいな」

「え? ああ、そうだったんですか」

「――ああ! そうだったんだ、連れてってくれ」

「は、はあ、そんなにお風呂入りたかったんですね」

「走りまわって汗かいたからな」



 ちゃっかりラフィにそいつ呼ばわりされていることにも気付かず、リュージはやってきた助け舟に飛び乗った。ヴィートは納得いかないながらも、本人に言われては疑う理由もなかった。リュージはヴィートを連れてリビングを出た。



「こんなに誤魔化すのが下手な人初めて見たわ」



 出る直前に聞こえた呟きに、流石に頭をあげられないリュージだった。

 他人の家に向かって言うと失礼だが、そんなに広い家でもない、浴室まではすぐ着いた。



「タオルはここに、石鹸はこれ使ってください」

「これ新品だけどいいのか」

「もうそろそろ無くなりそうだし、ついでに置いといてください」

「分かった」

「あ、あと――」

「何だ?まだ何かあるのか」

「そんなに大した理由ないんです、あの仕事をしてるのは」

「……ヴィート、お前」

「ただ、あそこなら、あの見張り台なら仕事中に誰にも会わなくて済むから、それだけなんです」

「聞いてたのか、どこから――」

「すみません、結構最初のほうから」

「……むしろ謝るのはこっちだ、勝手にいろいろ聞いた、勘違いするなよ、俺が無理に聞き出したんだ、カーラが喋ったわけじゃない」

「分かってます、気にしないでください、あんな場面見せちゃった僕がいけないんです、むしろ変なことに気使わせちゃって」



 ヴィートは俯きながら薄暗く微笑んだ。卑屈な笑いだった。何故だかリュージの心がざわついた。



「あのよ、お前が謝る必要はないんだぞ、聞かれたくないことを人づてに聞こうとしたんだから、怒ってもいいくらいだ」

「気になっちゃうのは仕方ないことですよ」

「……確かにそれで訊いたんだが」

「じゃあ良いじゃないですか、僕は怒ってないし、どっちかって言うと申し訳ないくらいです、下らないことに頭使わせちゃって」



 何だろうか、話していて体がむずむずする、歯と歯の間に食べ物が挟まって取れない時のような気持ち悪さが取れない。

 余計な御世話は重々承知、リュージは我慢できなくなって思っていることを口に出した。



「なあ、変なこととか下らないこととか言うなよ」

「はい?」

「お前自身のことだろ?下らないとか言うなって、辛いのも嫌なのも、お前にとって一大事じゃねえか、なんでどうでもいいふりするんだよ」

「……」

「今日会ったばっかの俺が言っても軽いかも知れねえけど、もう少しくらい自分を大事に――」

「分かってるなら言わないでくださいよ」



 脱衣場の空気が変わった。前髪に隠れたヴィートの瞳がちらりと見えた。紺色の瞳に、隠しきれない怒りを込めて、視線はリュージに向けられていた。



 「言ってることが軽いって、分かってるなら言わないでくださいよ、どうせ明日には帰りますもんね、適当な気持で、今だけ僕を慰めて満足ですか、僕のことなんか何も知らないくせに、聞こえのいいこと言わないでくださいよ!」



 だんだん声音が強くなっていることにも気付かず、ヴィートは言い放った。今日初めて、感情がむき出しになった声だった。グイドたちに向かって言った時の、とっさに抑えきれなくなった感情の爆発ではなく、普段から溜めこんでいる者が溢れてきたものだ。



 言い終わって、肩で息をしていたヴィートは、ハッと我にかえると、顔面蒼白になって慌てだした。自分を心配してくれた親切な人に対して無礼極まりない態度をとってしまったと、心底後悔した。



「ご、ごめんなさい!ごめんなさいごめんなさい、僕なんてことを」



 だが、予想に反して、リュージの雰囲気は変わっていなかった、むしろ少し柔らかくなったと感じるのは、気のせいだろうか。



「構わねえよ、確かに俺も無責任なこと言った、お前の言うとおり、俺はここにずっといるわけじゃないからな」



 でも、とリュージはヴィートから目を逸らさなかった。



「明日にはいなくなる奴だからこそできることもある、溜めこんでることがあるなら、愚痴くらい聞くぞ? どうせ明日にはいなくなるからな」



 ぎこちなく微笑むリュージ、皮肉のような言葉だが、彼が慣れない冗談を言おうとしているのだと、ヴィートには分かった。

 分かったとたん、目に熱いものが込み上げてきて、恥ずかしくなったヴィートは隠すようにリュージに背を向けた。



「脱いだ服そこに入れといてください、明日には着られるようにしときますから」

「おう、ありがとな」



 脱衣所から出ていく青年が、目元をごしごしと拭っていることについては、リュージは背を向けていたので気付かなかった。少なくともそういうことにしておいた。

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