ブロックスの8

 都市国家代表が住まいに城を選ぶのはもうずいぶん時代遅れなことだそうで、アルビオンで城が使われていたのは、新しく建物を作るよりも古い時代に使われていたものを補修した方が安あがりで済むからだったそうだ。

 経済的な事情により仕方なく使っていたらしく、ルイスはいつも居心地が悪かったとは後で聞いたことだったが。



 とはいえブロックスの代表が住んでいる建物も随分大きい。これはこの都市の性質上の問題でもある。

 防衛都市ブロックス、国そのものが騎士団であるこの国にとって、市長の職場とはそのまま団の本部、分かりやすく言うならば市役所兼警察署だ。そこそこの規模がないと広さも足りなければ示しもつかない。



 そんな本部の最上階、と言っても精々三階建てだが、その一番奥の部屋にリュージ達はいた。たった今ドアを開けて部屋の中を見て、物が少ないことに驚いていた。比較対象がアルビオンの仕事人間しかいないからこれが普通なのかもしれないが……

 そしてリュージは気づく、この部屋の主がいないことに。



「……ヴィート、通って良いって言われたよな」

「はい?言われましたけど」

「誰もいないんだが」

「ええ?そんなはず……ホントにいないわね」



 脇から顔を出したラフィも部屋の中を見て言った。

 部屋には誰もいなかった。団長から通すようにとお達しがあったと一階の受付で言われたから来たのに、部屋には人がいない、本棚と、机とイス、机の横に立っている鎧しかない。



「トイレでも行ってるんじゃない?」

「人のこと呼んどいてか?そんなことないしないだろう」

「馬鹿ね、生理現象はタイミングを待ってくれないのよ、ドアから戻ってきても温かく迎えてあげましょう」

「……そうか、そうだな」



 本当にトイレかどうかは知らないが、人を呼んだのに部屋にいないのだからそれなりの事情があるに違いない。べつに端からその程度で悪い印象など持たないが。

 と、会話しているリュージとラフィの横で、ヴィートが小さくため息をついた。



「団長、いつも同じいたずらするの止めてくださいよ、お客さん来てるんだから」



 ヴィートが部屋に向かって声をかける、誰もいないはずの室内からガチャガチャと金属がこすれ合う音が聞こえた。

 音は、鎧から聞こえているようだ。と、気づいた途端に鎧が動き出した。そのままリュージ達の前まで来ると、右手を差し出してしわがれた声で喋りだす。



「いや、すまないねお客人、年をとるともう若い人をからかうくらいしか人生の楽しみがないんだよ」

「……あー、じゃああんたが――」

「ああ、私が団長のエルモ・ディマッテオだ」



 連盟に加盟している都市は基本的にそれぞれの土地で自治権を持っているし、連盟法に違反しない限りは法律だって自由に作れる。

 その一環と言うべきか、代表の名称は都市によって異なる場合が多い。アルビオンは市長だった。ブロックスのトップは団長。他にも色々あるらしいが、当然リュージは知らない。

 エルモは、リュージと握手を交わした後、ラフィを見て軽く手を振った。



「そちらのお嬢さんはカフナのシスターだね、確か名前は、何といったかな」

「セラフィーナ・クィンですわ、団長様」

「そうだそうだ、いや君のように美しい人の名前も忘れてしまうとは、老いていくのは嫌なものだね、あと様は止めてくれ、柄じゃないんだ。エルモと呼んでくれ、ええとそれで君は?」



 入った際のいたずらといえエルモはずいぶん気さくな男のようだ。

 声だけ聞けばもうずいぶんな老人だろうに、こんな大きな鎧まで着て大丈夫なのか、少し心配になってしまう。



 リュージはつい癖でスーツの裾を直すと、背筋を伸ばして自身の名前を告げた。



「初めまして――リュージ・キドです」

「……ヴィート、すまないが少し外してくれるか」

「え……あ、はい、じゃあ部屋の外にいます」



 鎧で見えないはずの表情が、硬くなったのが分かった。

 ヴィートは、突然様子の変わったエルモに驚きながらも、小刻みに何度も頷いて部屋の外に出て行った。

 エルモは、それを確認すると、ラフィの方をちらりと見る。その視線の意味を察したリュージは頷きながら、



「大丈夫、こいつはある程度は事情を知ってます」

「そうか……それにしても、君がなあ――」



 感じたのは少しの驚愕、次に慰労、エルモは握りっぱなしだった手を両手で包むように握った。それは肩書など関係なく、戦い傷ついた若い者を労う純粋な気持ちがあった。

 相変わらず兜のおかげで目は見えないが、まっすぐ見られているのはなんとなく分かる。



「アルビオンの話は聞いたよ、信じられないことばかりだった。しかしまあ、君はいくつかな」

「二十五です」

「なんと……! うちの息子よりも年下じゃないか! この世のものとは思えない怪物が現れたとか聞いたが、君が戦ったというのか。全く、君一人に任せることになるとは、ケビンには説教をせんといかんな」

「ケビンを知ってるんですか」



 思わぬところで出てきた名前にリュージは驚いた。彼からブロックスの話を聞いたことはなかったからだ。

 そういえばどこで剣を学んだのかという話になるといつもバツが悪そうに去って行ったのを覚えている。



「あれは、私の教え子だよ」

「教え子、教師をされてるんですか?」

「ああ、これでもこの都市での半世紀は教鞭を振るうことに使っていたからね、今いる騎士たちはだいたい私の教え子さ」

「なるほど、それでケビンも」

「ああ、あの子のことはよく覚えているよ、非凡な才能を持っていたが少々高慢な性格でね、魔法に頼り切るきらいがあって、剣では最後まで私が一枚上手だったもんだ」



 純粋に昔の思い出を懐かしんでいるのだろうが、あのケビンがそのようなな性格だったことも想像できないし、何より目の前の老人に彼が最後まで県で敵わなかった事実が信じ難かった。

 自分は剣だけの相手に苦戦したのに……。



「彼からも手紙が届いたよ、君のことを随分と評価していた。同時に心配もしていたよ、この世界の戦いに君を巻き込むのは気が重いってね、正直私も同感だ」

「ありがとうございます、でも自分で決めたことですから、気は使わないでください」

「……君は勇敢な男のようだな、ブロックスにおいてそれは何よりも尊ばれるものだ。だが気をつけてくれ、将来ある者に先立たれることほど老人にとって辛いことはない」



 握られた手に込められる力は、老人とは思えないほどに力強かった。

 ある程度平和を保つ今の社会で、それでも一番命を落とす危険があるの職業は騎士だ。

 戦う相手が犯罪者になった今でも、その職務には危険が付きまとう。毎年少なくはない数の騎士が使命を果たすために命を散らしていく。



 そのトップである彼は人生の内でいったい何人の同志を失ってきたのか、リュージには固く握られた手から思い描くことすら難い。



 ――と、大きなせき払いが聞こえた。隣を見ると目を細くしたラフィがリュージを見ている。

 すっかり忘れていた。そういえば話を盛り上げている場合ではなかった。

 エルモも今さらながら、リュージにではなく、二人へと向きなおる。



「ああすまない、何か用事があるから来たんだな」

「俺は旅の途中に寄っただけなんです。用があるのはこのラフィのほうで――」

「自分で話すわ、団長さん、うちの村で良くないことが起きてるのよ」



 半ば話を被せるタイミングでラフィは割り込んできた。

 彼女からすれば待ちに待った機会だ。これ以上話が長引いてしまうのは避けたいのだろうがあまりにも自然にタメ口で話し始めるのでリュージは驚いた。エルモは何も気にした様子はなかったのが幸いか。



「最近カフナにアルカディアのほうから人が来てるのはご存知?」

「いや、すまないが全く」

「マルチャーノという男が、新しい店を作るのにあの土地を使いたいって押し掛けてきたわ」

「店?あんなところにかい?通るものなんてそんなにおらんだろう」



 ここまではラフィに聞いた話と同じだ。どうやらこの近辺に住んでいるならそれは共通の見解として良いようだ。

 ラフィは頷いて同意を示し、続けた。



「私もそう思う、でも事実なのよ。マルチャーノは二カ月ほど前にきて突然そのことを告げると、金に物を言わせて村民を追い出しにかかったわ。今では村長以外の人はもう――」

「二か月!?それはおかしいな、アルカディアの法では工事の為に立ち退きを要求する場合、どれだけ遅くとも一年前には説明が必要なはず――そうか、偽物ではないかと疑っているんだね?」

「はい、それにマルチャーノに都合のいいタイミングで盗賊が増えたと思いません?」

「ふむ……」



 エルモはずいぶん頭の切れる人物だった。

 ラフィの言おうとすることをすぐさま理解すると、顎に手を当てて悩み始めた。鎧の騎士が首を傾げるのは傍から見ていると不思議な気持ちになるものだ。



 それにしても重要な話が聞けた。これまではラフィの勘でしかなかったが、マルチャーノの行いは、法に当てはめても明らかにおかしい行為のようだ。これで協力を仰ぐ大義名分はこちらにある。

 考え込んでいたエルモは、腿を軽く叩いてひとつ頷いた。



「なるほど、話は分かった」

「それならすぐにうちの村に来てもらえるのよね?」

「いや、それなんだが――」



 妙に歯切れの悪い返答に二人は嫌な予感を抑えきれない、エルモはしばらくまごついていたが、諦めたのかその言葉を口にした。



「すまない、今は無理なんだ」

「なんで!? マルチャーノのやっていることは犯罪だって自分で言ったじゃない!」

「それが、ここ最近西の大陸で大きな災害が続いてね、うちの騎士たちも応援で出払っているんだよ」



 タイミングの悪さにラフィが臍を噛むのが手に取るように分かった。

 ここまで来て、説明まで成功したのに決まり手となったのは自分たちには一切関係のない話、偶然の悪戯だ。

 しかしそれではリュージが聞いていた話と違う、ヴィートに聞いたあることを思い出しながらエルモにそのことを尋ねた。



「町の人たちは?あの人たちも騎士だってヴィートが――」

「確かに彼らも騎士だが、実はもうずいぶん沢山の兼業騎士が外に行っていしまっていてね、これ以上の募集は止めてくれと住民たちから釘を刺されたばかりなんだ」



 本格的に人手が足りてないようだ。ヴィートが言っていた周囲の探索というのも、この調子ではいつになるのか分からなくなってきた。

 エルモは心の底から申し訳なさを感じているようだが、それでは納得できないのはラフィだ。



「話はわかりました、でも納得できない、人手が足りてないからカフナみたいな小さな村は潰れろってこと? ヤコポ爺ちゃんだってこのままじゃいつ襲われて死んじゃうかわからないのに!」

「ラフィ落ち着け、団長のせいじゃないだろ」

「分かってるわよ、言われなくても、分かってる」



 悔しそうに俯くラフィの肩に手を当てて、リュージは語り掛ける。



「こうなったら一旦帰るしかないだろ、帰って他の方法を考えよう、俺もできることならなんでもする」



 悔しそうに歯嚙みするラフィ、どうやらブロックスからの応援は期待できないようだ。だがマルチャーノの行いに正当性がないことは分かった。かくなる上はリュージ一人でもなんとかするしかない。

 旅は遅れるが止むを得ない。知りあった人間を見捨てる理由にはならないからだ。

 一人決意を固めていると、エルモが慌てたように声を上げた。



「待ってくれ、だからと言って助けを求めてる人を追い返したんじゃ防衛都市の名が泣く、明日まで待ってくれないか、必ず人を見つけるから」

「……本当に見つかるの?」

「必ず、約束しよう」

「……分かりました、じゃあ明日まで待つわ」

「ありがとう、それで、君たち今日泊まる場所にあてはあるかね?」

「俺はここに来たの自体初めてだから、何も分からないです」

「私もないです、なんならお金もないわ」

「そうか、待たせてしまうのは私たちの責任だからな、君たちの宿泊先には責任を持とう。ヴィート、入ってきなさい!」

「……もう終わったんですか?」



 扉を開けて入ってくるヴィートを、エルモが手招きして呼び寄せた。

 誘われるままに寄ってきたヴィートの向きを直し、リュージ達のほうを向かせるとその肩に腕を回した。

 何が何やら分かってないヴィートはおろおろしながらリュージを見てくるが、リュージもよく分かってないので見られても困る。



「なぁヴィート、彼らはもともと今日帰る予定だったんだが、こちらの落ち度で泊まって帰ることになったんだ」

「はあ、そ、そうなんですか……」

「しかしなぁ、今私の家は今夜他の都市からの客人が来る予定なんだ。残念ながら泊めてあげられない、私たちのせいで帰れなくなったのに、金を払わせて宿に泊まらせるのはあんまりだと思わんかね?」

「……お、思わなくもないですけど、でもそれは仕方ないんじゃ――」

「あんまりだと思わんかね?」



 鎧越しに有無を言わせぬ圧力を発しながら顔を近づけてくるエルモに、思わず涙目になったヴィートは頷く他なかった。

 途端にエルモは機嫌を良くしてヴィートの背中を叩きながら豪快に笑った。



 「そうかそうか、思うか! いや流石ブロックスの騎士だ、情に厚いのは勇敢さと同じ程に大事なことだからな!」

 「あ、あの、僕は何のために呼ばれたんでしょうか」

 「ああ、そういうわけで今日はこの二人はお前の家に泊まるからな」

 「ほあ!? そんな突然言われても困りますよ団長!」

 「だってお前だってあんまりだと思うと言ったじゃないか?」

 「そ、それは――」

 「見習いとはいえ騎士が一度言ったことを反故にして許されるとは、思っとらんだろうな」



 ヴィートは縋る思いでリュージ達を見た。

 だがすがる相手を間違えているにも程がある。正直一日で帰ってくるとい話だったから必要最低限の金額しか持っていない。

 そのうえラフィは恐らく金を持っていない、二人分の宿泊費は流石に痛いのだ。ただで雨風をしのげるならば越したことはない。リュージは断腸の思いでヴィートから目をそらした。



 一方もう一人の女は、そもそもヴィートが渋っているなど気にせず、話が出た瞬間から自分はヴィートに家に泊まることを疑っていない目をしていた。断ろうものならどうなってしまうか分からない。

 ヴィートはがっくりと肩を落とした。もうすでに逃げられないところまで来てしまったのだ。



「ほら、その二人がいる間は見張り台に上がらんでいいからな、しっかりと相手をして差し上げろ」

「……はい」

「なんだそのふぬけた返事は、これも仕事だぞ、しゃきっとせんか馬鹿者!」

「は、はいぃ!」



 穏やかな声しか出していなかったエルモが、ヴィートを前にしたとたんに声の雰囲気がガラリと変わった。

 リュージはその様子を見て、彼の半世紀の中にヴィートもいたのだと確信した。その様子はまさしく怖い体育教師と、気弱な生徒に見える。



「というわけだお二人さん、今日はこのヴィートに家に泊まっていってくれ」

「悪いなヴィート、世話になるよ」

「もういいです、あ、ただ僕の部屋には入らないでくださいね」

「分かった安心して、泊めてもらうからには言うことくらい聞くわ」

「よ、良かったぁ。ラフィさん話せば分かってくれる人だったんですね」

「勿論よ、ところで部屋って鍵がかかってるの?」

「はい、ちゃんと普段からなくさないようにここに――」



 胸ポケットから鍵の束を出したヴィートは、直後に己が行いを悔いた。

 流れるような動作でラフィがそのカギに向かって手を伸ばしたからだ。だが彼とて仮にもブロックスの騎士見習い、常日頃から鍛えている人間なのだ。

 生身で女性に負けるわけにはいかない。ヴィートは普段仕事をしない反射神経をここぞとばかりに働かせてその手をかわした。



「なななな何するんですかぁ!?」

「ちっ」

「今舌打ちしました!?」

「してないわよ、さあいい子だからそのカギを渡しなさい」

「いや意味分かんないですよ!部屋には入らないって今言ったじゃないすか!」

「あれは嘘よ」

「そんな自信満々に胸を張って言うことじゃない!」



 ヴィートはもう人間不信になりそうだった。急いで鍵を服の内側についているポケットに隠した。これで奪うためにはヴィートの服を脱がす必要がある。さすがにそこまではされないと踏んだのだ。



「ほらこれでもう取れないでしょ、諦めてください」

「へえ、そんなに意地になって隠すんだ、そこまでされたら何が何でも見なくちゃね」

「え、何、言ってるんですか」



  じりじりと寄ってくるラフィから距離を取ろうと必死に下がるヴィート、しかしこの部屋はそこまでの広さはない、すぐに彼の背は部屋の壁にぶつかった。背筋を流れ落ちる冷汗、歯をカチカチならすことしかできない。



「ラ、ラフィさん?な、何を――」

「選びなさい、素直に鍵を渡すか、服ごと奪われるか」

「何言ってんすか!?」

「いややっぱり答えはいらないわ、服ごと脱がしましょう、一度限界を超えた恥ずかしさを知れば部屋を見られることも何でもなくなるはず」

「その前に人生で最大級の恥かかされそうなんですけど!?」

「うふふふ、大人しくてたらすぐに終わらせてあげるわ」

「きゃああああああああああ!?」



 ヴィートが目の前にやってきた暗い未来に女の子のような悲鳴を上げた。

 ラフィは今日中に帰れない欝憤をヴィートで晴らそうとしているようで、最早同情しかできない。



 だが実際のところ、震えるヴィートに迫っていく彼女のいやらしい笑みの裏にいかなる不安が蔓延っているのかリュージにはわからない。

 それはこの危険な状況下で、あの老人を、家族同然に接している者を一人にしてしまっていることに対してだ。

 ヴィートには申し訳ないと、本当に申し訳ないと思うが、今日だけはラフィの気を紛らわせる役をやってもらおう。



「リュージさん!ちょっとぉ、何一人で頷いてるんですか!助けてください――あ!やめて、そこ引っ張らないで!あ、あ、あ、ほわああああああああ!」



 決して対処が面倒臭くなっているのでも、自分にあの役が回ってくるのが嫌なのでもない、決してだ。エルモがその光景を見て、



「なかなか面白い娘さんだね、君のお仲間かな」

「……勘弁してください、あんなのと一緒に旅なんかしたら胃を痛めそうだ」

「そうかね、私は楽しそうだと思うが、ヴィートもあのくらい強引な人間と触れ合ったほうがいいな、あの子ももう十六になるのに気が小さいところがあるからな」

「そうですか?俺は、あいつがそんなにダメな奴だとは思いません」

「ほう」



 リュージの言葉が冗談ではないと分かったのか、エルモが意外そうに声を上げた。

 目の前では性質の悪い追剥に襲われ続けているヴィートが半泣きで部屋中を逃げまわっていた。

 エルモは虚空を見上げて、誰に言うでもなく、語り始めた。



「あの子は私が最後に受け持ったクラスの生徒でね、心優しい子だ、だが騎士に向いているとは言い難い」

「……」

「剣はからっきし、魔法を攻撃に使うのも不得手、向いていないんだ、戦うということに――そして何より、自信がない、ライモンドのこともあるから仕方ないのかもしれんが……」

「ライモンド?」

「おっと、すまない、軽々しく話していいことではなかった、忘れてくれ」



 それは本当に失言だったようで、エルモは慌てて口を押さえようとしてヘルムに手をぶつけていた。

 気にならないと言ったら嘘になるが、ヴィートとかかわりに深いらしいエルモがそういうのならば聞きだすのは憚られる。

  エルモは短く咳払い、多少強引ではあるが話を戻した。



「それで、君はあの子のどこを見て可能性を感じたんだね」



 声音の真剣みを考慮するに、この質問をするための前置きだったのかもしれない、エルモの真剣な――おそらく真剣であろう――視線に、リュージはとっさに考えた。

 確かにヴィートは剣を振る人間ではなさそうだ、今の話通りなら魔法も苦手らしい。



 この世界において騎士とは、戦う力のない市民を守る存在だ。もちろん人柄、人格も重要だが、それと同じ程度には強さ、純粋な戦闘力が求められる。

 その基準で考えるならばヴィート・マッシと言う少年は、騎士としては価値が高いとは言えない存在だろう。



 しっかり考えて、考えて、考えて、ふと馬鹿らしくなった。

 いったい何を答えようとしているのか。

 リュージは元から賢い人間ではないのだ。頭を使ったところでどうせ大したことなど言えないのだから、それならば最初から思ったことだけ言えばいい。




「分かりません」



 短く言い切ったリュージに、エルモは不思議そうに首を傾げた。



「分からない?」

「俺は人の能力を上から目線で語れる程強くない、他人の人となりを偉そうに語れる程賢くもない、俺が使えるのは一つの物差しだけなんですよ」

「ほう、教えてもらってもいいかね」

「好きか嫌いかってだけです、ただ何となくあいつを気に入ったんですよ、能力なんて関係ない」

「……面白い男だな、君は」



 くつくつと、鎧に反響した音がリュージの鼓膜をゆすった。

 何となくだがそれは可笑しいから笑っているのではなく、嬉しさ由来の笑いのように思えた。自分が好きなものを、他人も好きだったから嬉しい、そんな印象をリュージに与える笑い。



 ふと視線をヴィートに戻すと、半裸に剥かれて泣き叫んでいる彼がいた。

 その隣には大将首でも取ったように鍵を掲げるラフィの姿、流石にそろそろ限界だ。リュージは静かにラフィの背後に歩み寄ると拳を軽く振り上げた。やりすぎたら報いがある。男女平等にだ。



「ふふふ、最初から素直に言うことを聞いておけばここまでひどいことにはならなかったのにねえ、鍵は頂いたわ、あなたの部屋の中はいの一番に確認させてもらうから――」

「いい加減に、しろ!」

「ふぎゅっ!」



 ただの拳骨もリュージの拳にかかれば凶器となる。精一杯手加減していてもラフィが目を回すには十分すぎる衝撃だったようだ。目と一緒に頭の上で星を回しているラフィの手から鍵を奪い返すと泣いているヴィートに歩み寄った。



「ほら、もう泣くんじゃねえ、取り返したぞ」

「リュ、リュージさん――」

「礼ならいらないさ、ほら、もうお前の家に行こう」

「――さっき僕のこと助けてくれなかったですよね」



 ヴィートは以外と根に持つタイプだった。

 それからラフィを起こしてヴィートに謝らせ、部屋から出ていくまでに数時間の時を要したのは別の話、結局エルモに見送られ建物から出るころには空は茜色――時間の無駄ここに極まれりだった。

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