アルビオンの19
鞍と鐙というものがある、古来より馬に乗る人間が、股と足にかかる負担を極力減らそうと考えて作った人類の知恵のひとつだ。
実際これができる前の乗馬というのは、走った衝撃で尻に傷を負ったり、下半身をひどく痛めたり、とてもではないが長距離移動に耐えうるものではなかったそうな
小さくとも偉大な発明なのだ。
もっとも、今日はじめて乗る人間に解るような違いでもない。
都市を出て数時間、龍二は早くも来たことを後悔し始めていた。
まさか乗っているだけだというのにここまで疲れるとは――。
激しく揺れる馬上でバランスを取りながら、騎手であるケビンに声をかける。
「おい、もうちょっと揺れ少なくできないのか!」
「自分で言うのもなんだが私はマシな方だぞ、それにいつもよりはスピードも抑えている」
「そうは言っても――うわ、落ちる落ちる!」
ケビンは、落ちそうになった龍二がバタバタしている様に苦笑しながら、速度を上げる。
なんとか落ちずに済んだ龍二は、これで抑えているのかとため息をついた。
当然だが速さだけなら車や新幹線のほうがはるかに勝る。しかし体を外気にさらした状態で走ることが、ここまで緊張感があるとは知らなかった。
「副団長今日はゆっくり進んでますね」
「そんなスピードじゃどれだけ時間がかかるか分かりませんよ」
「おいおい皆、意地の悪いことを言うんじゃないよ、副団長様は大きなお嬢さんを後ろに乗せてるんだから」
ケビンにしがみ付く龍二を見ながら、すっかり顔見知りになった周囲の騎士たちが囃し立ててくる。
後で覚えとけよ、声のほうへ顔を向ける余裕もなく、心の中で悪態をつく。
――とはいっても彼らも緊張をほぐそうと必死なのだろう。いつ出会うか分からない相手を求めてもう長い間走りとおしている。軽口でも叩いていないと、パンクしてしまう。
隣を走っている新米騎士が話しかけてくる。
「それにしてもリュージさんが一緒に来てくれるなんて、心強いです」
「あ、そうか?正直俺が来ても物の数にもならねえと思うが」
「そんなことないですよ!副団長を魔法抜きで降した人ですよ!今回は加減する必要もないから、リュージさんも魔法を使うんですよね? 一騎当千も冗談じゃなくなりますよ!」
ケビンとの決闘については、本人たちが特に隠していないこともあって、騎士団のほぼ全員が結果を知っている。そのうちの何人かは龍二が格闘のみでケビンを倒したことも知っている。
しかし、龍二が魔法を使わなかったのではなく、使えなかったのだと知っているのは騎士団ではケビンとバンゴだけだ。
龍二がなんと返事したものか迷っているとケビンが代わりに口を開く。
「残念だが彼は魔法は得意としていないんだ」
「え!?そうなんですか……俺らはてっきりリュージさんもどこかの騎士だったとばっかり」
「どこから来たんだその噂……」
「だって、普通に暮らしてる人が持ってる強さじゃないでしょ!? だから――」
戦いを専門に生きている人間だと思われていたというわけだ。
言っては何だが、この世界は日本に比べてはるかに治安が悪い。だというのにここまで言われるという事実に、龍二は内心首をがっくりと落とした。
「あ、あれ? おれ何か悪いこと言いました?」
「……いや、なにも言ってない。気にするな」
不安そうな顔の騎士に笑いかけていると、前に座っているケビンが唐突に口を開いた。
「しかし、私も少しばかり気になるね」
「あ? 何がだ?」
「君の強さのルーツさ、前にも言ったが君の動きは無駄が多い、とてもじゃないが戦いを教えてもらった人間の動きじゃない」
「そりゃそうだろうな」
「というと?」
「俺は、そういう格闘技とか、武術とかやったことないからな」
「……不可解だな、それではどうやって立ち回りを覚えたんだい?」
「――別に、単純にこの面だからな、ガキの頃から喧嘩売られることが多かったんだよ」
確かに龍二は生まれついて筋肉がつきやすかったり、頑丈だったりはしたが、それはついでのようなもの、単純に人一倍喧嘩をしてきただけに過ぎない――言ってしまえば龍二の強さと言うのは、経験値が人一倍多いだけなのだ。
まぁ、その経験がやたらと濃かったりはしたのだが……。
「そんな、もんですかねぇ……」
納得いかなさそうに首をひねる新人騎士に、龍二は苦笑いを浮かべて頬を掻く。
「まあ、疑われてもそれ以上のことは何もないからな」
「じゃあ本当に魔法使えないんですか?」
「そうだな」
「じゃあ――何で今回呼ばれたんです?」
言葉だけ聞けば、貶しているようにも聞こえるものだった。
しかし、騎士の顔を見ていると、とてもではないが龍二をバカにしている人間の顔ではない。
――そう、正真正銘意味が分からないとでも言いたげな、不思議そうな顔だった。
龍二はその表情に、感じた胸のざわつきを迷わず口にした。
「……どういう意味だ?」
「だってこれから始まるのは集団戦でしょ」
だからこそ人数が必要で、自分はそのために呼ばれたのではないのか。
どれだけ魔法の力が大きいとしても、人間同士が真正面から戦うのだから、最終的には人数がものをいう時間が来るはずだ――それこそ、一人でも多い方がいい。
龍二が発言の意図を測りかねていると、その様子をみた新米が思い出したように言った。
「ああ、そういえばリュージさんは騎士でも兵士でもないんでしたね! 近ごろの戦闘っていうのは遠距離から魔法を撃ち合って、白兵戦なんてのはその残党の処理くらいでしかしないんですよ」
「……」
「確かに相手は多いらしいですけど、所詮盗賊、たいした魔法が使えるとは思えません、僕たちの三倍、いや五倍いたとしても何とかなりますよ」
違う、龍二が聞いていた話と何もかも違う。
戦力差は拮抗しているのではなかったのか、一瞬の油断で都市が滅ぶところにあるのではなかったのか。
先ほど胸に生まれたざわつきが、言いようのない不安になって心の中に広がる。
龍二の焦燥感を雰囲気の違いで感じ取ったらしいケビンが首を後ろに向ける。
「どうしたんだいリュージ」
「……ケビン、俺は何でここにいる?」
「なんだ今更怖気づいたのか、悪いけどもうつれて帰ってやる時間はない――」
「答えてくれ」
「……君が自分から志願したと、団長からは聞いているが」
それが、決定打だった。
龍二は難く強張った声で、ケビンに言い返す。
この場では自分だけが知っている事実を――。
「してない」
「……何?」
「俺は志願なんてしてない、戦力差がありすぎるから参加するようにバンゴに言われたんだ」
その言葉にケビンが目を見開く、会話の内容は聞こえた周りの騎士たちもざわめきだす。聞こえなかった者も不穏な空気に当てられたのかざわめきが伝播していった。
ケビンが勢いよく馬を止めた。それにつられて揚々と進んでいた一行が完全に止まる。
龍二は、振り返ったケビンと目を見ながら訊いた。
「……今日里帰り中に襲われた騎士ってのは?」
「……それは何の話だ?」
「なにって――そいつらがいたから盗賊団の存在が分かったんだろ?」
「違う、私は今日この都市を出ようとした商人からの情報だと――」
思えばもっと早くおかしいことに気づくべきだった。
そもそも逃げ帰ってきた騎士は今日都市を離れようとして、今日襲われたはずだ。ということは盗賊たちは都市からそれなりに近くないとおかしい、少なくとも数時間走り続けて、なんの兆候もないのは明らかに異常だ。
そこにきてこの情報の食い違い。可能性は、もはや一つしかない。
「お、おい!あれ!」
ちょうど龍二がその結論に達したとき、団員の中、最後尾を走っていた壮年の騎士が何かを見つけた。全員が体の向きを変え――あるものを見た。
地平線にぽつりと浮かぶように見える程小さくなったアルビオンを――。
自分たちがほんの数時間前発ったばかりの、護るべき都市から立ち上る黒煙を――。
龍二は目を見開いて叫ぶ。
「ケビン!」
「分かってる、全員慌てるな!私とリュージは先に向かう、後から全速力で来い!」
二人は迷わず馬を下りた。
龍二は気休めだが、少しでも軽くなるように鉄でできた篭手をはずす。
もう二度とごめんだとつい三日前に言ったばかりだと思うのだが……内心ため息をつきたい気持ちでいっぱいだったが、今はその時間すらも惜しい。
「準備はいいかい!」
「上等だ、さっさと行くぞ!」
突如体を襲う浮遊感に吐き気を覚えながら、龍二は凄まじいスピードでアルビオンへと飛んでいった。
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