アルビオンの15

 結局前日は打ち合わせを終わらせた後、何をするでもなく寝た。

迎えに行くまでもなく帰ってきていたアリスは声をかけても部屋から出てこなかった。

明日どうなるかはわからないが、結局そのときできる最善を尽くすしかない。

 そう思っていた――。



「リュージ殿!」



 アロマの切羽詰まった声で目を覚ますまでは、



「なんだ……もしかして寝過したか!?」

「違います! アリス様がいないんです」

「なに!?」



 最初に気づいたのはアロマだった。昨晩のアリスの様子を心配したアロマは、早朝から様子を見に行ったと言う。

 予想通りと言うべきか、ノックをしてもやはり返事はなく、諦めて帰ろうとしたその時、室内から何かが割れる音が聞こえた。

 焦ってマスターキーを使って扉を開けたアロマの目に飛び込んできたのは――割れた窓。

 そこから入った風がカーテンを揺らし、窓辺に置いてあった花瓶を落として割っていた。さっきの音はこれだろう。

 だがそんなことはどうでもいい、重要なのは――。



 部屋には誰もいなかったことだ。



「……自分から、出て行ったってことか?」

「分かりません! しかし……」

「――そうだな、今はそれどころじゃないな……それはいつのことだ」

「三十分ほど前です、騎士団からもじきに人が!」



 返事をする間も惜しいと龍二は飛び起きた。

 部屋から飛び出すとアロマの声も聞かず、駆ける。

 どこへ行くかも決めずに走り出した足が、迷うことなく執務室へと向かったのは本当にただの直感だった。

 たどり着いた先で力任せに扉を蹴り開ける。蝶番が歪んだが、気にしている場合でもない。

 中は一見いつもどおりだった。龍二は書類の向こう側に叫ぶ。



「おいルイス! いるか!」



 返事はない、龍二は大きく舌打ちすると机の裏側へ回り込む。

 ――そこには誰もいなかった。



 「くそっ!」



 苛立ちに任せて椅子を蹴り上げる。

 こんな時までいないというのか

 視線を下に落とすと椅子のあった場所に四つ折の紙が落ちていることに気づいた。



「リュージ!」



 そのタイミングでケビンが部屋に飛び込んでくる。

 彼は城に常駐している騎士なので、他の騎士たちよりも一足先にここにたどり着いたようだった。



 「ルイス様は!?」

 「いない、だがこれが落ちてた」

 「それは?」



 龍二は答えずに紙を開いた。紙は二枚重ねだった。

 一枚目はアルビオン周辺の地図、もう一枚はーー



 娘は預かった。一人で来い



 シンプルな一行、それだけで何が起こっているのかは明白だった。

 アリスは自ら出て行ったのではない、誘拐されたのだ。

 そしてこの状況を見るにルイスは一人が犯人に呼び出された。

 龍二は大きく息を吸い、吐いた。できるだけ気を落ち着かせる。



「この地図の場所は?」

「……半日はかかる、アリス様が夜のうちに攫われて、ルイス様がその直後にこれを受け取ったとしたら、下手をするともう――」



 その先は、できることなら聞きたくはない。

 龍二は硬く閉じていた眼を開いたかと思うと、一直線に扉へ向かって走り出す。

 その背中に、ケビンが慌てた様子で呼びかけた。



「待て! どこに行くんだ!」

「決まってんだろ! 間に合わないからって放っておけるか!」

「走っていく気かい? それはあまりにも無謀というものだ、いくら君と言ってもね」

「じゃあ馬でもなんでも――!」

「分かってないようだけれど、半日と言うのは馬で半日と言う意味だ――普通に行けばもうどうやっても間に合わない」

「――くそっ! 手詰まりだってのか!?」

「……ひとつだけ、方法がある」



 ケビンが言い辛そうに呟いた。

 龍二は顔を跳ね上げてケビンを見る、そしてその険しい表情を見てそれが危険な方法なのだと察する。

 ――それでも迷っている時間などない。



「ケビン、時間がねえ、その方法でいこう」

「聞かずに決めて良いのかい?」

「ああ、今すぐ行くぞ!」

「……わかった」



 ケビンは執務室の窓を開け放った。風に乗った書類が窓の外へ飛んでいく。

 舞う紙を背景にケビンが叫んだ。



「舌を噛まないでくれ、できるだけ揺らさないように













「う、ううん」



 アリスが目を覚まして最初に見たのは、ごつごつとした岩肌と松明の炎、大勢の男たちだった。

 当然だが、アリスの部屋にこんなインテリアはない。

 意識が今の状況に追いつかない、混乱するアリスに男のうちの一人が話しかける。



「ようお姫様、洞窟の中で寝たのは初めてだろ?ご機嫌いかがかな」

「あ、あなた達誰!?」

「それにしてもぐっすり寝てたな、まあそういう薬使ったから当然か」

「ふざけないで!」



 立ち上がろうとしたアリスはようやく自分が縛られていることに気づいた。

 男がそんなアリスを見下ろしてニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる。



「大人しくしてろって、用が済んだら自由に……は無理かもな、でもできるだけ苦しまないようにしてやるから」



 暗にどうやっても殺すと言われたアリスは恐怖に顔を引きつらせる。

 あたりは見渡すかぎり似たような表情を浮かべる男たちで埋まっている。

 他の男達が何もしゃべらないところを見るとこの男がリーダーなのかもしれない。



「あ、あなた達、何が目的なの!」

「お、この状況でまだ喋れるなんて、随分度胸のある子だな」



 だが、と男は鈍く光るナイフをアリスの首筋に当ててきた。

 命を奪う冷たさの前に、アリスのなけなしの勇気は簡単に折れてしまった。



「おいらは煩いガキは大嫌いだ、黙ってろ」



 目を見開いたままピクリとも動けないアリスを見て気を良くしたのか、自分から喋り始めた。



「目的っていうか、お前を餌にお前の父親を呼んだ、もうすぐ来るだろ」

「パパを?」

「ああ、ちゃんとお前をさらった直後に手紙届けたからな、きっともうすぐじゃねえか」



 ――パパをおびき寄せるために、私を?



 ゆっくりと、ゆっくりと男の言葉がアリスに染み込んでくる。

 アリスの肩が小刻みに震える、見ている男たちはおびえているのだと思った。しかしそれは違った。

 アリスは突如笑いだした。くすくすとではない、声をあげて笑い始めた。

 あまりにも滑稽だったから――。

 男たちのしていることが、あまりにも的外れだったから――。


 だが、そんなことはつゆとも知らない男は、笑われたという事実に憤慨してアリスののど元にナイフを突きつける。



「なに笑ってんだ、ああ!」

「そんなに凄まないでよ、ああおかしい」



 この状況で目元に涙さえ浮かべるほど笑う少女を前に、男は気味悪さを覚えずにはいられなかった。



「あなたたち、何も知らないのね、パパをおびき寄せるのに、私じゃ人質にはならないわよ」

「何言ってんだ、実の娘を攫われてんだぞ」

「だから何よ、あの人は私のことなんて助けに来ないわ」



 アリスの様子から嘘を言っていると思えなかったのだろう。集団のあちこちからささやき声が聞こえる。

 聞いてた話と違う。

 計画が崩れる。

 徐々に大きくなるざわめきに、リーダーの男は慌てて声を張り上げる。



 「おうおめえら!喚くんじゃねえ、結局やるこたあ変わらねえだろ、来ねえならこのガキだけ始末して逃げる、来たら二人とも始末して逃げる、そんだけだ」



 この集団は意外と統制がとれているようだ。リーダーらしき男の一声で、広がっていた囁き声が一気に鎮まる。

 アリスはやはり自分は殺されるのだなとどこか冷めたことを考えていた。

 さっきまでは怯えていたのに、この男たちが随分的外れなことをしているから恐怖がどこかへ行ってしまった。



 代わりに心に広がるのは諦めと投げやりだった。

 結局自分の価値はルイスの、市長の娘だということにしかなかった。人生が終わる理由までそれだった。

 望んでこの立場に生まれてきたわけではなかった。町で親と共に歩いている子供たちを見ていつだって羨ましかった。

 貧しくとも、親から存在を求められている彼らが心の底から羨ましかった。

 結局羨んだだけで終わる、自分の人生はここで終わるのだ。なんの意味もない人生だった。



 ――もう少し、リュージと遊びたかったな



 コツコツと、足音がどこからか聞こえてきたのはその時だった。

 アリスはとっさに顔をあげる。

 そういえば最初に会った時も似たような状況だった。攫われそうになっていた自分を初対面なのに助けてくれた。

 もしかしたら今度も、そんな期待を込めて音の方へ目をやる。そして松明の明かりがやってきた人物の顔を照らした。



 「…………パパ?」



 アリスは自分の見ているものが信じられずに震える声で呟く。

 この場に最も現れることがないと思っていた父親の姿が、そこにはあった。



「なんだ、結局来たじゃねえか」



 リーダーの男は、「しょうもねえほら吹きやがって」と、明らかに安心した様子でナイフをしまった。

 ルイスはアリスの目の前、リーダーの前まで来る。

 アリスのほうはやっぱり見もしない。



「君がこの集団のリーダーか」

「ああ、はじめましてだな市長様?」

「まだるっこしいのは嫌いだ、目的は何だね」

「あんたの命だ」



 ルイスはその言葉に、今更ながら辺りを見渡し、自分を取り囲む集団を見て、軽くため息をついた。



「頼みがある」

「もの頼める立場だとでも思ってんのか」



 ルイスは地面に膝をつき、掌をつき、頭まで付け、所謂土下座のかっこうになった。

 アリスは目を丸くした。父が人前で頭を下げることは滅多になかったからだ。それもこんな場所で――



「頼む、この通りだ、娘だけは返してやってくれないか」

「はっ、おい見ろよテメエら、市長様の土下座だぜ」



 男たちはルイスを見て、罵り、唾を吐き、騒ぎ立てる。それでもルイスはその体勢のままぴくりとも動かない。



「頼む、足りないなら何でもする、靴でも舐める、私はどうなってもいいから」



 ますます強くなる罵倒の嵐の中、リーダーの男が手をあげてそれを制止した。

 リーダーはしゃがみ込んでルイス顔を上げさせ、目線を合わせる。



「立派な父親じゃねえか、あのガキさっきまでパパは来ないとか言ってたぜ」

「私の日ごろの行いだ、娘は悪くない」

「――で、何だって、自分はどうなってもいいから娘助けてほしいってか」

「頼む」

「いや、麗しの家族愛だなぁ、おい」



 言葉とは裏腹にリーダーの周囲の温度は下がり続けていた。顔からは表情が消えている。

 つまらない見世物を無理に見ている観客のようだ。



「でもな、おいらはそういうお涙ちょうだいが――」



 リーダーが足を振り上げる、足を振り下ろすであろう場所はルイスの背中ではなかった。

 危ない輝きを放つ目が見ているのはアリスだ。アリスはとっさに目を瞑る



「――大っきらいなんだよ!」



 いつまでたってもやってこない痛みに、不思議に感じたアリスは薄く眼を開ける。

 目の前に広がっているのは誰かの体、少し視線を上にあげると、苦悶に満ちた父親の顔があった。ルイスが自分に覆い被さっているのだと、少し遅れて理解した。



「パパ!?」

「大丈夫かアリス」

「ちっ! おいおめえらもやれ! ただし武器は使うな? こいつが命乞いするまでは殺さずに甚振れ!!」



 リーダーはますます不愉快そうに舌打ちすると、それまで見ているだけだった部下たちをけしかけて、一緒に蹴り始めた。

 圧倒的な数の暴力が二人を襲う、それでもアリスにはほとんどダメージはなかった。痛みはすべて父が引き受けている。

 アリスは混乱していた。

 来るはずのない父が自分を助けに来て、自分を庇ってひどい目にあっている。

 言葉にすれば、そういうことだ。

 だが、それは起きるはずのない事実だったはずだ――ついさっきまでは。



 アリスは自分を抱きしめる父の腕から、机仕事ばかりですっかり細くなってしまったその細腕が、感じたことのない強い力を感じた。

 熱い、ずっと求めていた熱を感じた――。

 不意に、アリスを抱きしめていたルイスの体が緩やかに傾く――そのまま倒れるかと思ったルイスは、うめき声を漏らしながらも、体勢を直して決して倒れない。

 アリスはようやく我に返ると、悲鳴のような声を上げた。



「パパ! もうやめて、死んじゃうわ!」

「……良いんだ、お前を守れるなら、それでいい」

「やめてよ! 今そんなこと言わないで!」

「アリス、今ま、で、すまなかった、私は、碌でもない父親だったな」

「いいから! 謝らなくていいから! だからやめて!」

「――最後くらいは、守ってやるからな」

「パパ! パパ!」



 徐々に父親の体から力が抜けていく、アリスの歯が恐怖でカチカチとなった。

 いやだ、パパが死んでしまうのは嫌だ。恨んだこともあった、拗ねたこともあった。それでも、この世でたった一人の家族が、今死んでいこうとしている。これ以上の恐怖はなかった。



「しつけえおっさんだな、もういい! あれもってこい!」



 いつまでもどけないルイスに、しびれを切らしたリーダーが部下に一声かけた。すると部下の内の一人が両手で使うタイプの槌をリーダーに渡した。



「片方残ると寂しいだろ?いっぺんにやったらあ!」



 頭上に高々と持ち上げられた槌は、二人の息の根を止めるには十分な質量を持っていた。

 ルイスは次の一撃を覚悟する、何としてもアリスだけは守ると力いっぱい歯を食いしばった。

 アリスは、なにもできなかった。手足は動かせない、あふれだした涙で前は見えない。後できることといえば叫ぶことくらいだ。だから叫んだ。自分が今最も待っている人物に――



「リュージ!助けて!」





 ――直後、リーダーが槌を振り下ろすよりも一瞬早く、轟音と共に洞窟の壁が吹き飛んだ。

 もうもうと舞う土煙りのせいで何も見えなくなる。



「な、何だってんだ!」



 突然の出来事に狼狽し、土煙りにむせるリーダー。

 その時彼は煙の向こう側から、足音のようなものを聞いた。

 何の音なのか、とっさに顔をそっちに向けたリーダーは――



 ――視界いっぱいに広がる靴底を見た。



 土煙りが晴れた時、残った男たちが見たのは、壁際にいた十数人が気を失っているところ――そして前歯を折られて気を失っている自分たちのリーダーだった。



「間一髪だな、間に合ってよかった」



 アリスは倒れているリーダーの横に立っている男を見る。

 アリスの中で、誰よりも強く、誰よりも優しい、英雄の姿がそこにはあった。



「悪いなアリス、遅くなった」

「リュージ!!」

「もうすこし待ってな、すぐに連れて帰ってやる」

「先に行ったのならば、少しは状況を教えてほしいのだがね」



 壁に空いた穴からケビンが出てくる。ケビンは龍二の横に向かいながら、部屋に残った人数を数えた。



「だいたい、三十人前後ってところかな」

「おいケビン、半分くらいやれるか」



 ぼきぼきと拳を鳴らしながら、誘拐犯たちを睨み付ける龍二に、ケビンは首を傾げる。



「半分と言わずに全員私がやってもいいさ、その方が早いだろうしね」

「そりゃ駄目だ」

「何故だい?」

「な、なにぺちゃくちゃ話してんだテメエら!!」



 突然に事態に呆然としていた男の一人が、正気に戻ると、手にしていた鉄の棒を振り被って龍二に向かって突進する。

 龍二は、そちらを見ようともせずに右手を男に突き出して、男の顔面をわしづかみにした。



「ぐがっ! て、てめっ、この! 放せ!」

「せっかく、この日のために準備してよ、けっこう楽しみにしてた……ずいぶん台無しにしてくれたな」

「ぎ、ぎゃああああああ!?」



 龍二は顔面を掴んで手に思い切り力を籠める

 持ち上げられた男は、痛みに悲鳴を上げてバタバタともがく。

 龍二は思い切り体をひねって勢いをつけると、掴んだ男をまるで棒切れのように投げ捨てる。

 投げ飛ばされた男は、立っていた別の男たちにぶつかって、数人を巻き込んで倒れた。


 龍二は、地獄の底から聞こえてくるようなどすの利いた声で、



「付き合ってもらうぜ、憂さ晴らしにな」



 そこから始まったのは戦闘というには、あまりに一方的な蹂躙だった。

 少女の誕生日を台無しにした男たちへの報復という意味も多分に込められていたそれは、全てが終わるまでほんの十分もかからなかった。

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