アルビオンの14
思えば自分はもうこの都市に、ひいてはこの世界にきて一か月近くになる。
ここに突然やってきて焦りの中に埋もれていたことがまるで昨日のようだ。
明日に迫った誕生パーティを前に龍二は多忙を極めていた。
アロマへこのパーティについて提案すると大喜びで受け入れてくれたのは良かったのだが、彼は城の内部での準備に追われており、住人たちとの打ち合わせは龍二に一任された。
二週間の内に参加者をまとめ、役割を割り振り、いつの間にか本番は明日にまで迫っていた。
体は疲れ切っていたが、予想外にも一番労力を割くことになりそうだったバンゴの説得はケビンが一晩で終わらせてくれたおかげで負担は少なかったと言える。
頼もしいやつである。なぜだか当のケビンは非常に釈然としない顔をしていたが――。
とりあえずこの調子なら明日は何とかうまくいくだろう。明日の夜にアリスが驚く顔を見るのが楽しみだ。
「ねえパパ」
明るい想像に頬を緩めながら歩いていると、そのアリスの声がどこからか聞こえてきた。
気づけば龍二がいるのは執務室の前、声は室内から聞こえてくる。
普段ならば人の話を立ち聞きする趣味などないのだが、その時ばかりは龍二は立ち止まってしまった。
アリスが、ルイスに語り掛けている、その事実が驚きだったから。
当然扉の向こうにいる二人が、龍二の驚きに気付くわけもない。
アリスはどこか緊張した声音で、喉を震わせる。
「あのね、明日リュージとアロマが誕生日のお祝いしてくれるの、今年はケビンも来てくれるかもしれないの」
「ああ、知っている」
「みんな隠してるつもりなんだろうけどばればれなの、でもいつもはアロマと二人だから、今年は二人も多いのよ」
「そうか」
「……パパは、来てくれないの? 」
短くとも相槌を打っていたルイスが、ここで初めて沈黙を選んだ。部屋の中を決して軽くはない空気が支配していく。
顔を見なくともわかる。
アリスの悲し気な表情が――。
「来てくれないんだね」
「……そうだな」
「パパ、パパは――」
切れた言葉の先からはためらいを感じる。
これは言ってはいけないことだと、決して口にしてはいけない言葉だと、それでも少女の口からは意思とは反して言葉が溢れてくる。
「パパは、私が嫌いなんだね」
「……」
「ママを殺したのが私だから?」
「……」
「私知ってるよ、書類で埋もれてるけど、机の上にママの絵があること」
「……」
「私は、生まれてこない方が良かったのかな」
「……」
「答えてよ、パパ」
「……」
「――もう、いいよ」
足音が扉の方へ近づいてくるのに気づいて龍二はとっさに扉から離れた。
乱暴に開け放たれた扉から飛び出したアリスは脇目も振らずに走って行った。
龍二はアリスが見えなくなるまで呆然と立ち尽くしていたが、我に返ると、ふつふつと湧きあがってくる感情のままに扉に手を伸ばし、横から伸びてきた手にそれを止められた。
「いけません」
「アロマ、お前も聞いてたのか」
沈黙を肯定と受け取った龍二は、手を下した。
アロマは龍二から手を離すと、この場から離れるように歩き始めた。龍二は無言でそれに続く。
「アリス様は、監視の者がおりますからご安心ください、できれば後で迎えに行っていただけると」
「俺がか」
「ええ、たいそう貴方に懐いておられる、年の離れた兄妹のようです」
軽い前置きのつもりだったのかもしれない。
高いところにある太陽が、窓から光を送り込んでくる、眩しさに目を細めながら、龍二は口を開いた。
「……アリスが母親を殺したってのは、どういう意味なんだ? あいつの母親は生まれた時に死んだって聞いた、そのことを言ってるのか?」
「少し、長くなりますが」
「構わない」
「……十五年前のことです」
当時ここにあったのは都市ではなく、都市のなれの果てだった。
この地はもともと、はるか昔、それこそ大陸の開拓がはじまったばかりのころに、先人たちが開拓しようとして諦めた土地だった。
土がひどく痩せており、作物が育たなかったからだ。
現在でも、周囲には他の都市はおろか、村や集落すら存在せず、周囲を囲む山々は、大雨が降ると土砂がなだれ込んできた。
とても人がすめる環境ではなかった。
集まってくるのは事情があり行き場を失った人々、近くに食料を調達する場もないこんな土地では、餓死するか、病気になるか、土砂にのまれるか、そんな選択肢しかなかった。
食料をなんとかして手に入れたものはそれを独占しようとし、周りの者はそれを奪う。アルビオンは地上にある地獄だった。
そこに彼が現れたのは奇跡だったのかもしれない。その地獄をたった三年で都市としての体裁を整えた男。
ルイス、当時は別の名字を持つ、ひとりの青年だった。
「正義感に燃える青年でした、この都市を皆が幸せに暮らせる場所にすると」
虚空を見上げるアロマの眼には、当時の光景が映っているのかもしれない。
虚空に浮かぶ思い出に語り掛ける老辞任の背中に感じるそれは、郷愁の念にも近い何かで――龍二は口を挟まずに聞き続ける。
「アルビオン創設当初のメンバーは四人、ルイス君にバンゴ君、私、そして――キャロル君」
ルイスと共にアルビオンにやってきた彼女、ルイスの隣にいつもいた彼女、絶望に打ちひしがれそうになる度三人を励まし続けた彼女。
キャロル・アルビオン――アリスの母親だ。
「キャロル君が身籠った時、アルビオンはようやく周辺から存在を知られる程度になって、連盟に名を連ねられるか、正念場でした」
『頑張って、ルイス! もう少しじゃない!』
大きなお腹をさするキャロルに、ルイスは愛する妻と生まれてくる子供のために遮二無二働いた。
自由都市連盟に加盟するためには、連盟が定めている都市としての条件を満たさねばならない。
一定数以上の人口、治安維持組織の設立。教会や学校などの公共施設の充実、そして、都市を囲む城壁――。
そのどれもが、普通にやれば数十年はかかるほどの課題だった。
しかしルイス達は諦めなかった。
ルイスが行き場のない人間を積極的に集めて人口をカバーし――。
バンゴが近隣のならず者をまとめ上げて自警団を作り上げ――。
アロマが子どもたちへの教育と、教師になる大人への教育を一手に担い。
キャロルの知恵で、都市の四方を囲む山々を城壁の代わりとして連盟に認めさせた。
夢のまた夢だった理想は、いつの間にか手の届くところまで迫っていた。
今思えば、そのせいでみんな焦っていたのかもしれない。
全員が前のめりになっていたのだろう
ベッドの上のキャロルの顔色が時と共に悪くなっていくことにも気付かないほどに――。
「我々全員の責任でした。彼女が我慢強い性格だと知っていたのに、誰ひとり彼女の不調に気付かなかった」
結果、キャロルの体は出産に耐えられなかった。
感情の消え去った顔で、キャロルを見下ろすルイスの顔をアロマは今でも覚えているという。
『ほら、ルイス君、元気な、女の子だ』
医学の心得があったアロマが助産師をやった。
キャロルの命を受け継ぎ、力いっぱい泣きわめく小さな温かさが手の中に広がっていた。
早くこのぬくもりを父親であるルイスが感じるべきだと、ルイスに差しだす。
だが――
『私は父親じゃない』
『何を言ってるんだ! 早く抱いてやりなさい!』
『無理だ』
『おい、ふざけるなルイス! キャロルが命懸けで産んだ子だ! お前の娘だろうが!!』
『……バンゴ、私にその子を抱く資格はないんだ』
ルイスは結局頑として子供を抱かず、分娩室の外でバンゴに殴られても決して考えを変えることはなかった。
それどころか、できる限りできる限り子供に関わらないように、世話のすべてをアロマに任せ、十二年間過ごしてきたのだという。
「彼が何を思ってこんなことをしているのか、誰にもわかりません、ただ――」
ただ、そのあとの言葉は続かなかった。
もっと早く手を打つべきだっただろうか。
あの時強引に抱かせておけばよかっただろうか。
もしくは、キャロルが死ななければ、だろうか。
あの日から皆変わってしまった、ルイスは仕事しかしなくなり、バンゴとの折り合いも悪くなった。
いくつもの可能性が老人の頭の中をぐるぐると回り、やがてそれは大きな後悔を形成していった。アリスが生まれてから毎日してきたことだった。
「知るかよ、そんなこと」
その後悔を龍二は何のためらいもなく切る。
アロマが驚いて顔を上げた。そこに見えたのはこの話を聞いても悲痛そうな顔一つしない男の顔だった。
「あんたが何思って生きてきたのかも、あいつがどういう気持ちでアリスほったらかしてんのかも、知ったことじゃない」
「リュージ殿……」
「過去を見て、今を生きれねえなら、今泣いてるやつを見逃すんなら、そんな思い出はいらない、違うか?」
眩しい、窓から入ってくる日光よりなお、目の前の青年がアロマには眩しかった。
じっと見ていると目を焼かれそうで、アロマは手元に視線を下した。
「この年になって、後悔がまた増えますなあ、もっと早くあなたのような方とお会いしたかった」
両掌で顔を覆う老人に、返す言葉はなかった。
抑えきれない嗚咽がその場に広がり、ただ時だけが足音も立てずに静かに過ぎていった。
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