ステゴロソウル~たとえば俺が勇者なら~
寅猛
開拓都市アルビオン
アルビオンの1
ごめんなさい、あなたにこんなことを任せてしまって。
ごめんなさい、誰よりもまっすぐに生きようとするあなたの、邪魔をしてしまって。
ごめんなさい、誰よりも優しいあなたを、巻き込んでしまって。
こうするしかなかったなんて、聞き苦しい言い訳だって分かってる。でも私は、この世界が好きだから、心の底から大好きだから、だから、ごめんなさい。
こんなことお願いできる立場じゃないって自覚してる。
でも言わせて――この世界を救って。
貴方ならできる。
絶対にできる。
……ありがとう、最後に一つだけ。
誰かを傷つけるということは、あなた自身が傷つくということ。
忘れないで、忘れないで、あなたの道を、生き方を、忘れないで。
忘れないで――。
「きみぃ~、その首から上は余計な飾りかね」
目の前にいる小太りの男が眼鏡をくいっと上げる。城戸龍二は気の抜けた返事を返しながら、どういうことかと考えていた。
朝出社して、午前中目一杯働き、昼休みをはさんで、今日中に終わらせないといけない仕事をもう終わらせたのだ。久しぶりに早い時間に帰れると思って書類を提出したのだが。
「……なんの話ですか部長」
「なんの話じゃないでしょう!」
バン、と力強く机をたたくが結果としてその机に積まれていた書類がほとんど地面に落ちた。気まずさから龍二は目をそらした。部長もひとつ咳払いをして話を続けた。
「きみねぇ、この書類半分くらい昨日の内に終わらせとくように頼んだ奴だよ」
「しかし昨日は帰りに部長に確認とって――」
「口答えしない! これだから高卒の不良上がりはさぁ、責任取るの誰だと思ってるの」
「……すみません」
「いや、謝らなくていいからささっさと他の仕事やって、あとそこの落ちたやつ拾っといて」
部長は高圧的に鼻を鳴らすと、その場から去って行った。
龍二は小さく深呼吸すると、落ちている書類を集め始めた。最初はこんな事があるたびに苛々していたが、最近は腹も立たなくなってきた。大人になったのか、環境に適応してしまったのか、そもそもその二つは違う意味なのか。
次に拾おうとしていた書類が向かいから伸びてきた手に拾われた。顔をあげると、自分よりも三歳若い後輩がいつの間にか拾うのを手伝っていた。
「悪いな岩永」
「何言ってんすか水臭い、てか気にし過ぎちゃダメっすよ先輩、あのタコ噂によると、奥さんと娘さんから無視されまくってるんですって」
「そうか」
「でも家庭のストレスを部下にぶつけるって本当に人としての器が知れるって言うか――」
「岩永」
岩永が首をあげると、龍二は困ったような顔で笑っていた。それ以上言うなと、表情が語っていた。
「嬉しいけどよ、あんまり人を貶めるもんじゃない」
「……先輩は優しすぎるんスよ」
「優しいわけじゃない、ただまあ俺ももう二十五だからな、とんがってますってわけにもいかないんだよ」
「……先輩、今日飲みに行きましょう、仕事手伝いますから」
「おう、ありがとよ」
不器用でまっすぐな龍二が、いわゆるイマドキの若者である岩永と仲がいい理由は、社内でもあまり知られていない。実際最も不思議に感じているのは当人たちなのだが、ウマが合うということなのだろう。社内の電気が全て落ちた頃、二人は会社を出た。
「だぁからぁ、今のご時世年功序列なんか気にしてちゃ偉くなれませんって、大体相手が礼儀を欠いてるのに先輩だけが我慢すんのは不公平ですよぉ!」
「飲みすぎだぞ、岩永」
この後輩、自分のような男を先輩と慕ってくれるとてもいい奴なのだが、どうにも酒が入ると駄目になる。
「いいや、今日という今日は言わせてもらいますけどねえ、もったいないっすよ」
「ん? なにがだ」
「先輩、めっちゃ背たかいじゃないですか、超引き締まってるし」
「あ、あぁ」
「顔も、ほり深いし、声もいいし」
実際城戸龍二は一目見ただけでは普通のサラリーマンには見えない。百八十を超える長身に、鋭い眼光、今でもヤのつく自由業の人に間違えられることが多い。
「もういい、止めてくれ、聞いてるだけで恥ずかしい、結局何が言いたいんだ」
「だぁかぁらぁ! 何であんな会社で燻ってるんすか」
「おい、お前の会社でもあるんだぞ」
「何言ってんすか、オレはあんな会社にずっといる気はないっすよ」
その言葉に龍二は少し意外に思った。岩永はその人当たりのいい性格と、第一印象によらない優秀さから社内でも厚く信頼されている。だから岩永はてっきりこのままずっとあの会社にいるものだと思っていた。
「オレ、最終的には起業するつもりなんです」
「なに、お前がか」
「なに意外そうな顔してんすか、オレ結構マジでやってるんすよ? 大手との取引には積極的に関わって顔覚えてもらったり、うちの会社でめぼしい人材探したり」
「へぇ、お前そんなことしてたのか」
「誰かに使われて人生終わるのなんてまっぴらっすわ、あの部長がいい例でしょ、部下にはえらそうなくせに、上司にはいつもペコペコ――」
「……もうやめとけ、今日は飲みすぎだ」
岩永の手元のビールジョッキはすでに四杯目のものだ、いつもは一杯しか飲まないこの男がどうして今日に限ってこんな醜態を自らさらしているのか。龍二は支払いを勝手に済ませると、ふらふらとした足取りの後輩に肩を貸して歩き始めた。
暖かい春の夜風に吹かれながら龍二は大通りのタクシー乗り場へと向かった。
しばらく歩いていると、岩永がおもむろに口を開く
「先輩」
「どうした」
「なんでいつも部長の悪口言ったら怒るんですか、いつもあんなにぼろくそに言われてんのに」
「……俺はなぁ、あの人のことだって尊敬してるんだよ」
「はぁ!? 先輩マゾなんですか」
あまりの意外さに軽く酔いがさめた岩永は、龍二の横顔に視線をやった。暗くてよく見えないが、それでも冗談を言っているような顔ではなかった。
「……あのタコのどこに尊敬できる要素があるんすか」
「そうだなぁ」
「オレは先輩のが百億倍は尊敬できます」
「どうした急に」
「急じゃないっすよ、オレはね、オレはずっとアンタを凄い男だと思ってるんですよ、同じ男としてマジでかっこいいと思ってます」
今日は本当にどうしたのか、なぜかやたらと持ち上げられる、あまりそういう状況に慣れてない身としては、下手な嫌がらせよりも心臓に悪い、そう言おうと思って見た後輩の顔は、真面目そのものだった。とっさに言葉が出てこない龍二に向って岩永はたたみかける
「ホントはさっき店の中で言うつもりだったんすけど、先輩オレが企業したらオレの会社に――」
「んにチョーシ乗ってんだコラァ!」
突然の声に会話を遮られた二人は声の方を見た。そこには尻もちをついている恰幅のいい男が、三人の高校生らしき少年たちに囲まれていた。その顔は恐怖にひきつっている
「ちょ、調子になどのっていないよ」
「だったら未来ある若者に恵んでくれませんかねえ、おじさん」
「そ、そんなことを言われても困るよ」
「困ってんのは俺たちも何だよねぇ、遊ぶ金なくってさ」
「バイトでも何でもすればいいだろう!私には関係ない」
「あぁもういいや、無理やりもらうから」
「ひ、ひぃっ」
にじり寄ってくる少年たちに悲鳴を上げる男。それを遠くから見ていた岩永は、逆に感心したように言った。
「ああいうのまだ絶滅してなかったんすね」
「…………」
「行きましょう、巻き込まれると厄介です」
「…………」
「先輩?」
「岩永、ちょっと待っててくれ」
「えぇ?」
「面倒だったら、先に帰ってていいぞ」
「え、あ、いや、待っときます……ってそうじゃなくて!」
岩永が止める間もなく、龍二はひとりでそのトラブルに足を突っ込みに行った。
「おい」
「あぁん? なんだよお前」
「そのへんにしとけ、ガキは帰って寝る時間だ」
「はぁ? 関係ない人引っこんでくんない?」
「関係、か、その人もお前らに金を渡さないといけないような関係じゃなさそうだけどな」
「なにこいつスゲェうぜえんだけど」
三人組はゆったりとした動きで龍二を取り囲む。龍二はそれを止めること無く、目の前に居る高校生に喋り続けた。
「大人が汗水流して稼いだものを横取りするなって言ってんだよ、金がほしけりゃ働いて稼げ」
「うっせえなあ! 邪魔なんだよ、テメエから殺っちまうぞ」
言うや否や、不良三人組のうち一人が思いきり龍二に殴りかかった。見ていた岩永はとっさに目を閉じる。鈍い音が耳に入ってきて、龍二が殴られている光景を想像しながら、恐る恐る目を開けた。
だが目の前の光景は、龍二が殴りかかってきた少年の鳩尾に拳を叩きこんでいるという想像していたものとは真反対のものだった。
「が、ぐうぅ」
「相手選べよ、喧嘩売るときは」
「何してくれてんだテメエ!」
その背後から別の少年が殴りかかろうとするが、今度は振り向きざまに龍二の靴底が腹に突っ込まれた。あまりの衝撃に酸素がうまく取り込めないのか、口をパクパクさせながら少年はうずくまる。
龍二は残った一人へと向きなおり問うた。
「……帰るならこいつらを連れて帰れ、道に置いとくと危ないからな」
「ふ、ふざけんじゃねえ! ナメられっぱなしで終われるかよ!」
そう言って少年が懐から取り出したものを見て、龍二の顔が不機嫌そうに歪んだ。
ナイフだ。当然戦闘のためのものではない、スーパーで売っているような小さなものだ。しかし命を奪うために使うのならば十分だ。
少年は龍二の表情を見て、ナイフを恐れていると判断したのか、急に余裕を取り戻していった
「今すぐ土下座して、有り金全部おいてったら許してやるぜ?」
そこで彼は致命的なミスをしていた。龍二は恐れているのではない。本当に不機嫌になっただけだった。そしてそれは決してしてはいけない勘違いだったのだ。
「それはこっちのセリフだ」
「な、なに?」
「人ってのはな、簡単に死ぬんだ。お前はそれを分かって、そのナイフを使うんだな」
「う……」
「俺を殺す覚悟が、反撃されて殺される覚悟があるってことだな」
「う、うぁ」
「許してやるタイミングは、これが最後だ」
どんどん鋭くなる龍二の眼光の前に、少年の体がガタガタと震えだす。ここにきてようやく自分がしてはいけないことをしてしまったのだと、彼は気づいた。次の瞬間ナイフを落としてしまったのは、彼の本能が、闘争よりも生存を望んだからだった。
「ひ、ひぃいいい!」
「お、おい待てよ!」
「置いてくなって!」
少年が逃げ出したのを合図にしたように、うずくまっていた二人の少年も、痛みをこらえてよたよたと走り始めた。
あまりの光景に、呆然と見ていた岩永は、はっとして龍二に駆け寄った。
「先輩!怪我してないすか!」
「あぁ、大丈夫だ」
「ちょっと、心臓に悪いことはやめてくださいよ」
「すまん、気をつける」
「まぁいいですけど」
「き、君」
当事者のはずなのにすっかり蚊帳の外状態になっていた男が、龍二に声をかける。くらくて気付かなかったが、相当立派なスーツを着ている。
「ありがとう、おかげで助かったよ」
「あぁ、気にしないでくれ、通りかかっただけだから」
「いや、そう言わずに、何かお礼をさせてくれないか」
「ホントに気にするな、それより早く帰ったほうがいい、この時間帯はさっきみたいなのが多い」
「それでは私の気が――」
それでも引こうとしない男に、龍二は何かを思いついたように、ポケットから一枚の紙を取り出した。それはくしゃくしゃになっているが、会社で唯一龍二の企画が通った時の商品のチラシだった
「これ、俺が企画したうちの会社の商品なんだ。見かけたら買ってくれ」
それだけ言ってチラシを押し付けると、龍二は歩き始めた。岩永がそのあとに着いていく。
「……気づいてます?」
大通りまでもう少しというところで岩永が口を開いた。だが龍二には何の事だかわからない。岩永はあきれ半分尊敬半分という器用な配分の視線を向けてきた。
「さっきの人、東行運送の重役っすよ」
「そうなのか」
「そうなのかって、やっぱり知らずに助けたんですね」
日本の運送会社の中でもトップクラスの業績を誇る名前が急に出てきて、さすがの龍二も驚いていたが、それだけだった。
そのリアクションの薄さこそ龍二が龍二たるゆえんだと、岩永は苦笑した。自分とは違う、自分なら知らない人は助けようと思わないし、正体がわかれば見返りを求める。それが悪い事だとは思っていない。思ってはいないが、龍二と一緒にいると、岩永は自分がひどく浅ましい生き物のように感じてくるのだった。
「てか体格からして何となくわかってたけどやっぱめちゃつよじゃないすか、ホント何でサラリーマンやってるんすか」
「……腕っ節が取り柄になるのはガキの時だけなんだよ」
「先輩?」
その声が三人の人間を瞬く間に撃退した後にしてはひどく寂しそうだったので、岩永は不思議に思った。
「さっき部長のどこに尊敬してるのかって言ったな」
「は、はい」
「あの人はさ、ちゃんと働いて、下げたくない頭下げて、必死に家族を養ってる。一番偉い人ってのはそういう人たちなのさ、俺はそう思う」
「……」
「そういえばお前さっき俺に何か言おうとしてなかったか」
「いえ、今日はそういう気分じゃなくなったんで、また言います」
「そうか」
「それに社員として雇うかボディガードとして雇うか検討する必要が出てきましたからね」
「ん? 何か言ったか」
「何にも言ってないっす」
そのあとお互い何も言うことが思いつかず、沈黙のままにタクシー乗り場へとたどり着いた。別れの挨拶もそこそこに龍二は家路についた。
※ ※ ※ ※
六畳一間の小さなアパート。それが龍二の住居だ。ドアを開けると中がすべて見える。一人暮らしの男らしく、流しにはビールの空き缶がいくつも置かれていて、ごみ箱からはコンビニの弁当の容器がはみ出していた。
龍二はそれらを無視して、居間に入ると、部屋の隅に置かれているちゃぶ台の前に座った。よく見ればそこには布にくるまれた箱と写真が置いてあった。
「姉貴、悪い、久しぶりに人殴っちまった」
写真に語りかけても返事がないのはわかっている、これは単なる日課のようなものだ。習慣といってもいい。
「でもよ、間違ったことはしてないつもりだ、なんて言ったらまた怒るかな」
写真に語りかける龍二は、普段の彼を知る者が見たら驚くほど穏やかな表情をしていた。眼光は鋭さを失いその視線は優しささえ感じられた。
「それと、もう少しだからよ、待っててくれ、ちゃんとした墓立ててやるから」
そして彼をよく知る者がこの場にいたら、気づいたかもしれない、彼の心にあるのが優しさだけではなく、深い哀愁であることも――
最も彼をよく知る人物など、もういないのだが。
※ ※ ※ ※
妙な感じがした。浮いているような、沈んでいるような、まるで体が存在しないような、不思議な感覚。
ここはどこだろう、そもそも『ここ』とは何なのだろう。自分が存在しているのかどうかすらもあやふやだ。このままここにずっといたいような、今すぐ帰りたいような。もう何もわからない。
『ごめ…ね…』
悲しい。
寂しい。
でもなぜだか無性に愛しい、聞き覚えのないはずの声になぜだかそんな感情が湧きあがってきて止まらなかった。
意識が覚醒する。しみだらけの天井が見えた。ゆっくりと体を起こした龍二は、突然襲ってきた頭痛に顔をしかめた。
何か夢を見ていた気がするが何も思い出せない。
しばらくして徐々に頭痛は治まり、龍二は額に脂汗を浮かべながら何とか立ち上がる。
頭が痛いで休めないのが社会人の辛いところなのだ。
何とかスーツに着替え、身だしなみを整え、タクシーを呼ぶ、会社は歩いて行くには遠く、駅からも若干遠い、正直言ってその立地だけには文句を言いたかった。
やってきたタクシーに乗り込み、龍二はさっきまで見ていた夢を思い出そうとする。なぜだかそうしなければいけない気がしたからだ。
だが思考を妨害するが如く、また頭痛が襲いかかってきた。さっきと同じ、耐えがたい、耐えられるものではない。
なんとか痛みが引いてきた頃には、バックミラーに映る運転手の不安そうな顔が見えた。心配してるというよりは、厄介な客を乗せてしまったことへの恐れが強い。
龍二は気まずさを感じて黙っていた。
「なんだってんだ一体」
タクシーから降りて、会社に向かう龍二は不機嫌だった。こんなわけのわからない事態に朝から襲われているのだから当然と言えるかもしれない。
「あざーす先輩、あれ? 何か機嫌悪いですか?」
「……気にするな、何でもない」
朝から後輩を怖がらせるのはよくないことだ。
龍二はそう考えると、努めて真顔になろうとする。
岩永は何かおかしいと思いながらも、それ以上追及することはなく、話題を変えた。
「それにしても、昨日はすごかったっすね」
「お前の飲みっぷりか?」
「違いますよ、あの不良ぶっ飛ばしたときです」
「あんまり掘り返すなよ、たいしたことでもない」
「いやたいしたことですよ、先輩刺されて異世界行っちゃうのかと思いましたもん」
「イセカイ?」
普段聞くことのない単語に龍二は首をかしげた。死ぬかと思ったとかならよくわかるのだが、いったいどういう意味なのか。
「あ、そっか、ラノベとかケータイ小説とか読まないですよね」
「ラ、ラノベ? ケータイ小説?」
「そんなクエスチョン飛ばしまくらなくても説明しますよ」
歩きながら、岩永の説明を聞く、どうやら若者の間ではやっている小説の話だったようだ、最近は主人公が異世界に行って絶大な力を手に入れて成りあがったりだとか、女にモテたりする内容が受けているらしい。
一通り聞いた龍二は気のない返事をすると、歩きながら空を見上げた。
「俺はごめんだな、異世界なんざ」
「何でっすか、剣と魔法のファンタジーですよ、チートでハーレムでうはうはですよ。」
「馬鹿言うな、人間の本質ってのはそうそう変わったりしないんだ。それまでだらだら生きてた人間が、強大な力を手に入れた程度で誰かを守ろうなんて思うわけないだろ」
「そうですかね」
「少なくともいま目の前の人生に必死になれない奴が、場所が変わった程度で英雄になれるかって話じゃないか?」
「うわぁ夢がない大人だなあ……」
「俺は目の前の人生に必死になろうとしてるところだからな」
だからこそ毎日働かないといけないんだろ。龍二はそう締めくくる。
いつの間にか二人はもう会社の目の前にいた。こんな話でも、いい時間つぶしになったようだ。
扉に手をかけた瞬間、三度、激痛が走った。
しかも二度の頭痛の比ではない、頭が内側から何かにこじ開けられそうな、強烈な異物感を伴う激痛。たまらずその場に膝をついて頭を抱えた。
「せ、先輩! どうしたんですか! しっかりしてください」
「だ、大丈夫だ」
「大丈夫なわけないでしょそんな顔色で! とりあえず中入りましょう、肩貸しますから」
「……いい、ひとりで行ける」
息も絶え絶えに、入口の手すりにもたれるように立ち上がった龍二は、そのまま倒れこむように扉を開けた。とたんに平衡感覚が一瞬にして消えてしまい、その場に倒れこんでしまった。
「くそ、すまん岩永やっぱり肩貸してもらって――」
何とか立ち上がりながら後ろを向いた龍二は、絶句した。
何もない、岩永が、自分がさっきまで歩いていた街並みが、全て亡くなって、白一色の背景になっていた。弾かれるように前を向いた龍二は、前さえも白一色になっていることに気づいた。慌てて辺りを見渡す。何もない、自分が今押して開けた扉すらない。
『ごめんね』
混乱の極みの中、突然聞こえてきた声。
心が安らぐような、逆にささくれ立つような声。それを聞いた瞬間、龍二は朝見ていた夢を思い出した。
「おい、誰だ!」
『ごめんね』
「何の事だ! 何を謝ってる」
『ごめんね』
いつの間にか頭痛が治まったことにも気付かず、龍二は駆け出した。声のするほうへ、自分の心をひどく揺さぶる、この声の発信源を確かめるために、その終着点にはひどく奇妙な光景が広がっていた。
輝きだ、そうとしか形容できない。中にぽっかりと浮かんでいる輝き、とても大きい、龍二が入り込めるくらいの輝き。
声は、その中からしていた。
危険ではない。
何故だか分かる。
何故分かるのかは分からない。
そして龍二はそれがごく自然であると言わんばかりに、その光の中へと歩んでいった。
徐々に強くなる光に、目が開けていられなくなる。目を閉じたまま、なおも足を動かし続ける。
心に不安は無かった。まるでこれが進むべき道だと、分かっているように。
光が弱くなってきたのがまぶたの裏から分かった。
音のなかったはずの世界に音が、喧騒が戻って来る。
龍二は、恐る恐る目を開け――。
「……え?」
見たこともない全く知らない街並みが、そこには広がっていた。
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