始まりの事件
第13話 そして今日も朝が来る
朝。いつもの時間に目が覚める。
団は持ち込んだ毛布にくるまったまま、リビングのソファーからむくりと起き上がった。10月末だから風邪をひく心配もない。めんどくさがりが顔を出して、2階の自分の部屋には時間割をそろえるときと、服を取りに行くときしかあがらない。
防犯上閉めていた雨戸をがらがらと開ける。
ああ、ポストに入っている新聞でも取りに行こうか。なにか記事が載っているはずだ。
「……おはよう」
外を見た団の寝ぼけた頭が、一瞬で跳ね起きる。
鮮美深紅が、家の前に立っていた。
「どうぞ」
「お邪魔します」
一人外で立たせておくわけにも行かない。不可抗力というべきかどうなのか、ひとまず鮮美を家にあげた。
このときばかりは親を呪う。同級生、しかも女子。連れ込める環境ってどうなんですか。別に何にもするつもりはない。実際になにもしないけど間違いが起こったらどうするの、ねえ。
団は毛布をどけて鮮美をソファーに座らせ、二人分の朝食作りにかかった。
「……どしたの、こんな朝早く」
テレビを見ながら、制服姿の鮮美は口を開く。ジャケットはハンガーにかけたものの、隙がない服装は健在だ。
「電話やファックス、止まらなかったから。事情聞かれるのとかは覚悟してたんだけど、取材もきたし。回線切ろうとしたんだけど、オレ携帯持ってないから、警察や学校からの連絡、つかなかったら困るじゃん?でも寝れなくて。裏口から家出てここにきた」
キッチンは直線で、ちょうどリビングに背中を向ける格好になる。
「……いつから?」
卵を混ぜる音とテレビの音が無言状態をカモフラージュしている。
「昨日の……いや、今日の三時」
器を取り落としそうになって、団は後ろを振り返る。表情はなかった。
新聞配達以外通らない時間だ。国道や県道から少しそれた住宅地に小原家はある。道中はガソリンスタンドが点在しているため街灯は少ない。しかもガソリンスタンドは軒並み六時から二十二時までの営業で、あたりは暗かったはずだ。
「おまえ、危ないだろ!?いいかげん自分の容姿自覚しろよ!!だいたい家族に黙って、今頃大丈夫なのか!?親戚の家に隠れるとか、他にも方法――」
「小原とはちょっと違うけど、今うち、一人暮らし状態だから」
テレビの音声だけが、空気を読まず騒がしかった。
「親戚も、縁遠いから知らない。元々引越し多かったし、あんまり地域の人と交流もないから」
団は、再び卵をかき回し始めた。
「……ごめん、考えなしだった」
「いいよ、気にしてない」
東村の件は、思ったより早くから拡散している。
「あんまりひどくなるようだったら……」
「うん、小原の家に泊まるよ」
鍋を取り落としてしまった。
「おま」
「小原が女の子か、オレが本当に男だったら、夜中にピンポンで押し掛けてたな」
いたずらっぽく笑う鮮美は、柄にもないキャラクターだった。
いつもより早い時間。二人はそろって家を出た。
鍵をかちゃりと閉め、先に道に出ていた鮮美を見ると、見慣れた荷物がないことに気づく。
「……竹刀は?」
鮮美はうまく笑おうとして、失敗した。
「しばらく部活謹慎になった。放課後は事情聴取の連続かな……。持ってきたかったけど、不自然だし置いてきた」
それで夜中に出歩くことも、元気がないことも、どうやったって鮮美への追い討ちだ。
武器がない鮮美は、ひどく非力にみえた。
なにも言えないまま、早く行くよう促した。
いつもと同じように基礎練をして、同じように笑顔でいる。鮮美がしばらく部活にこれなくなったことを簡単に伝えた他は普段どおりに朝練を終えて、同じように部員たちを送り出した。
部長特権を利用して道場で着替える。手早く終えて道場前で鍵当番の青柳を待った。
「ありがとう」
青柳は、鍵を渡した後も、そのまま留まっている。
「……どうした?」
彼女は意を決したように顔を上げた。
「あの、鮮美先輩に会ったら、早く部活に復帰するようにお願いしてください。私、高校から剣道始めて、正直すごく辞めたかったんです。でも、一から始めてすごくうまい鮮美先輩に憧れて。分からないことは教えてくれたし、一緒に稽古もしてくれました。だから」
学年外の情報はよっぽどな情報通でない限り入ってこない。知らないんだろうな、青柳は。
「分かった。伝えとく」
団は笑顔で送り出し、完全に姿が見えなくなったあと、柔道場の扉を開けた。
「……行こう」
身を隠していた鮮美の表情は、心なしか硬い。
予鈴五分前。教室前はさすがに人の気配で満ちている。
「……入るぞ」
鮮美を促して、団は教室のドアを開けた。
がらりと開けた瞬間。ざわざわとしたおしゃべりがぴたりと止まった。視線を一心に浴びているのは後ろに鮮美がいるせいか。
「……おはよう」
彼女の挨拶に返す人間はいない。ただ、空席、東村の机に置かれた菊の花が、こちらを見ていた。鮮美は席につくとまわりに気を払わず、予習のためノートを広げた。
「……おかしいんじゃねえの」
誰かのつぶやきは鮮美にも聞こえているはずだった。
彼女を擁護する声は、どこからも上がらなかった。
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