第11話 休校理由「事件」
――団が家にたどり着いたのは、八時を回った頃だった。防犯用として明かりはついているけど、中に人はいない。いつものようにラップがかけられた夕飯を温めた。
レンジから温まった食品を取り出して、壁をぶち抜いて一続きにしたリビングに皿を持っていく。ガラステーブルに置き、テレビをつけ、機械的に咀嚼した。
生徒手帳に張ってある時間割をぱらぱらとみて、今日中にやらなければいけない課題を確認する。明日も普通に学校だ。明日になれば鮮美は戻る。そう言い聞かせて予習課題を開く。遅々として進まない作業に団は幾度となくシャー芯を折った。
カーテンを閉め忘れた窓から、白んでいく空が見える。団は耳障りな音を不快に思ってがばりと起きた。
「……うわ」
テレビは垂れ流し。自分はしわくちゃの制服姿。ノートは開けっ放しでシャーペンが転がっている。……寝落ちした。
記憶が飛んでいる。別にアルコールを取ったわけではないけれど。
――どうやら予習は全部やったらしい。昨日の自分に乾杯。
……ではなく。家事は全部ほったらかしだ。
時刻は午前五時。まずは乾燥機つき洗濯機に、籠一杯の洗濯物を放り込む。
一段落して、携帯を通話可能な防水ビニールに包みながら風呂に入った。
シャンプーをしているときだった。着信音とバイブがセットで鳴る。泡まみれの手を浴槽にぶちこんで、軽く水を飛ばし携帯をつかんだ。
「はい?」
少し不機嫌に出てみると、ざわざわとした様子が鮮明に聞こえる。
「団か?ちょっと管内で事件起こってな。でかそうなヤマだからしばらく帰れそうにない。着替えとかとりあえず三日分送ってくれないか?着払いでいいから」
「はいはい」
父親からの電話は切れた。刑事の父からの依頼はいつも突然で、しかも日常茶飯事だから困る。
仕事が増えた。おちおち風呂にも入れやしない。替えの制服を着ながらタオルで髪をごしごしと拭く。
また電話が鳴った。
これも親孝行か。
「母さん事件?」
自分で聞いといてなんだが、たぶんそうだろう。父親のときとは比べ物にならないほど騒がしい音が聞こえる。大声や怒声や、書類の雪崩が発生だとか。
「ええそうよ。サツ周りと現場取材と聞き込みまわるからしばらく帰れない。荷物だけ取りに行くから玄関先に五日分の着替えと栄養ドリンク入れたかばん置いといてくれない?」
「分かったよ」
団は電話を切って首にタオルをかけ、食パンをくわえながら親の荷造りをする。
着替えと洗面用具と栄養食品。父親にはとりあえず髭剃り、母親には予備の化粧ポーチでも入れておく。休日にこういう準備は小分けにしているのでわりと楽だ。かばんの中にパンくずが入っていても勘弁。そこらへんは許してほしい。
団は二枚目のパンを頬張りながら、タッパに白ごはんと冷凍していたしょうが焼きを入れた。時間はまだ余裕がある。コーヒーメーカーでコーヒーを作り、一方でお茶を沸かし、夕食の下ごしらえをしていたときだった。
携帯電話がまたも鳴る。
相手を示すディスプレイには、漢字二文字。心が跳ねた。
連絡先を教えても、かけてくることのなかった鮮美からだ。
ある種の近寄りがたさがあるせいだろう。彼女は誰からも深紅とは呼ばれない。教師を除くと呼び名はいつも「鮮美さん」だ。
だから鮮美と呼ぶ団は、そう呼んでいるのを鮮美が許してくれていることで少しだけ親近感を持ってくれているのかと期待してしまうし、団自身も他の生徒より仲がいいと思っていた。また、おそらく呼べないだろう下の名前を呼ぶ妄想のようなものも入っている。
鮮美という姓を、彼女の下の名前だと思う、滑稽な妄想。
団は戸惑って、二コール鳴っても出られないでいた。
鮮美は携帯電話を持っていない。パソコンメールも使えず、連絡手段は固定電話だ。向こうからの連絡は電話に決まっているのに、いざくると緊張してしまう。それに、昨日のことも。あれはなんだったのかと。
……そんなの、話さなきゃなんにも分からないじゃないか。コール音が急かしてくる。意を決して携帯をとり、その勢いで通話ボタンを押した。
「……はい」
「もしもし……小原?」
鮮美の声は一昨日までと同じ抑揚で、団はほっとする。だが、声の調子が違う。億劫そうだ。
「そうだけど、どうした?」
「今日朝練休む……。先行ってて」
少し息が荒い上滑舌が悪い。風邪でもひいたのだろうか。病欠なんかしたことない鮮美が。
「……どうした?珍しいじゃん。」
「別に。オレだって体調悪くなるときあるよ。人間だもの。もしかしたら学校も休むかも」
「じゃあ帰りになんか風邪によさそうなものとか持ってくよ。ちゃんと体冷やさないようにしろよ?」
「はいはい。オレそんな子供じゃないし」
いつもの鮮美だ。そういえば、とどこかで仕入れた知識がぽんと頭に浮かぶ。
「そうそう、色も体を温めるのに効果的だって。オレンジとか赤とかの暖色系は、視覚的にあったかいって思わせる効果があるんだってさ。赤いブランケット、使わないやつあるから持っていこうか?」
電話口が黙って、声にならない息遣いが変わるのが聞こえた。
メールだったら分からない。手紙だったら筆跡でなんとか。対面していたらはっきりと分かるオーラが、電話越しからひしひしと伝わってきた。
「いらない。オレ、モノトーンとか、寒色系が好きなんだ」
強い口調で拒絶する鮮美。団はしかし反論する。
「でも昨日赤が好きって」
「あたしは!」
団の反論を、鮮美が無理やり遮った。……まただ。また鮮美が違う人になろうとしている。
いや、これが本来の鮮美なのか?
「……あたしは、赤なんか、嫌い」
最後は途切れるように、電話は切れた。
耳には通話が途切れた音ばかり残る。
「なんだよ――」
なにかが、おかしいよ。
団は携帯をパタンと閉じると、ため息をついてソファーに座った。
手の中で携帯が振動する。
少し疲れた。
団は電話を開いて通話拒否のボタンを押そうとした。
だがそれは意味のないことだと知る。
バイブは通話を記していたのではなく、メールの受信だった。しかもメールの到着先は、受信メールの大部分が振り分けられる『部活』フォルダではなかった。
『受信トレイ』に未読フォルダが一件あります。
登録しているメルマガは全くない。
「誰だ……?」
団はいぶかしげにボタンを押した。
件名 藤和高校連絡メール
差出人 藤和高校
藤和高校全校生徒のみなさんへ。
本日藤和高校は、本校生徒が事件に巻き込まれたことを受け、全学年臨時休校とします。詳しいことは学級連絡網を通じて連絡します。生徒は家庭学習に励んでください。
また、質問等は藤和高校ホームページに設置されている学校掲示板を利用すること。電話には対応できません。
家事のローテーションを頭からかき消し、固定電話をプッシュした。コール音をもどかしく思い、つながった相手に機先を制す。
「幸祐!メール見たか!?」
「見た。なにか関係あるね」
幸祐は部屋に戻ったらしく、ドアをばたんと閉める音が入る。
「……調べられるか?」
「もちろん。みんな休校になって暇してると思うからいろいろ更新すると思う。小原、ネット掲示板に張り付いといてくれないかな?同時並行でネットニュースもお願い。あと、テレビはニュースにつけっぱなし。いろんな局見てね。携帯大丈夫なら、知り合いのアカウント片っ端から訪問して、噂程度でもいいからなんでも調べて。こっちもいろいろあたるから」
「分かった」
同時作業なら慣れたものだ。団はまた連絡を取り合うことを約束し、作業に入る。
朝のニュースでは、どこの局も高校生殺人事件を扱っていた。
藤和市の公立高校に通う男子高校生(17)が倒れているのを、通行人が発見。110番通報。男子高校生は病院に運ばれたが、死亡が確認された。死因は腹部による切り傷から失血死と見られている。
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