第63話  覚醒せし者。

 タウロスにとどめを差すべく空中に舞ったシスターモモは、強烈な当て身を喰らって大地に叩き付けられた。瞬時に起き上がった彼女はすぐさま立ち上がると防御体制を取って邪魔をした相手を睨み付けた。


 彼女の睨み付けた先にいたのはタウロスと話していたもう一匹の鬼……タウロスよりも一回り以上大きく、引き締まった体は筋肉の塊と言ったところだ。彼はモモとタウロスの間に仁王のように立ち塞がり、その高い視点から彼女を見下ろすと非礼を詫びた。


「娘ヨ、すまぬ。我ガ名はガレス。ガレス・ガイ・イチジョウ。一騎討ちに乱入ナド無粋でアル事は承知してオル。だが、この馬鹿はコレでも数の少なくなった我ら鬼の一族にとっテ有望な若者。卑怯と罵ってモ構ワヌ。我はそれでも、こやつヲ簡単に殺させル訳にはいかぬノダ」


「ガレスっ、俺はまだ……」


 ガレスはチラリとタウロス向けたがすぐにモモへと視線を戻す。タウロスはもう黙るしかなかった。自分は負けた……負けを覚悟した時点で確定した事だ。何を言ったとしてもそれは言い訳だ。命を救われた自分には何も言う権利などあるはずも無い。


 タウロスは正座をすると大地に頭を擦り付けるようにお辞儀をした。ガレスはそれを見ることなくシスターモモへと向かって構えた。


「娘ヨ、そして周りの魔物タチ。コレはもう一騎討ちでは無い。ただの死闘ダ。この娘ハ強い。我も全力ヲもって戦おう。巻き込まレテ死ぬ覚悟ノある者のみ参戦するガ良い!」


 ガレスにコレを言われて踏み出す魔物はこの場にはいなかった。ドミニネスも何も言わない。もちろんガレスの実力を信頼している訳でもない。ガレスとの戦闘でモモが疲弊してくれればそれでいい。ただそれだけだ。


「行くゾ、娘!」


 一歩踏み出したガレスに突如空中に沸いた無数の火の玉が襲い掛かる。


「ルーちゃん!」

『お姉ちゃん、これは死闘! 一騎討ちじゃない……アイツが言った』


 ルーちゃんの言う通り、もう連携して戦うのが卑怯とか思っている場合じゃない。両腕をクロスさせて顔を防御しながら突っ込んでくるガレスにモモも覚悟を決めて戦闘体制取る。


 ガレスは腕や髪を炎で焼かれながらも突っ込んで来る。クロスさせた腕の隙間から見えるその瞳はギラギラと光っていて、まさにそれは鬼の形相だ。


 お互いの間合いに入るやいなや、ガレスは右の手の平を真っ直ぐに突き出して来た。その手は本来の大きさより遥かに大きく、鬼気迫る表情に気圧されモモの反応が遅れた。


 右手の攻撃を弾く事に精一杯で、左から来た大きな手にそのまま肩を鷲掴みにされてしまう。ガレスはそのとんでもない怪力で、掴んだ肩をそのまま持ち上げ地面に叩き付けた。


 地面で一度バウンドしたモモはぐったりとして動かない。その傍らに立つルーは両腕を真上に上げ、出来る限りの炎の精霊を集め巨大な火球を作ると、ゆっくりとモモへ近づいで来るガレスに向けて投げつけた!


『モモお姉ちゃんに近付くなぁ!!』


 ルーの叫びと共に投げつけられた火球を、ガレスは右腕一本で振り払い、軌道を変えてしまった。


 跳ね飛ばされた火球は周りを取り囲んでいた魔物の集団に着弾し、何匹かの魔物を黒焦げにすると、飛び散った火の粉はその周りにいた魔物達に火傷やけどダメージを与えた。


『モモに手を出すニャー!!』


 影の中から飛び出したセンセイも、折れたレイピアでガレスの足に斬り付けるのだが、まるでダメージが与えられていない。


 ガレスは火の玉を生み出し攻撃してくる何もいない空間を、必死に折れた剣で無謀な攻撃を続ける黒猫を見て呟く。


「お前ハ、精霊に愛さレテいるようダな。だが、すまヌ」


 一言詫びるとぐったりと倒れているモモの首を掴んで持ち上げ、左手一本で締め上げる。ガレスはシスターモモを掴んだまま、真っ直ぐ頭上へと腕を伸ばしていった。


 気道を塞がれ、息が出来ない苦しさで足をバタつかせて暴れるモモだが、身体強化の効いた腕力であってもガレスの指を首から外す事が出来ない。ガレスの握力もさることながら、いくら身体強化の能力が掛かっているとしても、シスターモモ本人の体力も既に限界値を越えてしまっていたからだ。


 ガレスの指に掛かっていた力が急速に落ちていき、モモの両手がダラリと下に落ちた。目も白眼をむいており、ガレスが指先にあと少し力を加えれば彼女の首の骨は砕け死を迎えるだろう。


 ガレスの指に力がこもる……彼女の死は既に確定事項の様に思えた。だが、それは起こらなかった。


「ぐぅるううがぁああぁぁぁっ!!!」


 モモは突如としてケモノの様に咆哮するとガレスの指をへし折ってその拘束から脱出した。そして彼の胸を強く蹴るとその反動でバク転し後方へと距離を取る。


『モモ!』

『お姉ちゃん!』


 センセイとルーが声を上げるが、その声はまるで届いていないかの様に『ぐるる……』と低い唸り声をあげた。


 モモは地を這うような低い姿勢を、両足と左手一本で支え、右手は後方へ引いて威嚇のような戦闘体制を取っている。


 だが、その場にいる者たちが注視しているのはその獣のような構えでは無い。彼女のひたいの中央に突如現れた一本の光るつのである。


「つ、つの……光の角。ま、まさか。まさか、貴方は、あなた様は……」


 しゃがみ込んだまま、唖然として声を絞り出すタウロスの言葉を、指を折られた痛みも忘れたガレスがつぶやく様に繋いだ。


「ソの角、その髪色、まさカ、鬼姫……鬼姫巫女様ノ末裔なのカ!?」


 ガレスが呆然と立ち尽くしているのを、今のモモが見逃す筈はなかった。一足飛びに距離を詰めてきた彼女を右手の突きで防ごうとしたガレスだが、モモはそれをギリギリでかわすと全身で腕に組み付き、関節を決めてそのままへし折る。


 咄嗟に左腕で攻撃するガレスだが、モモはすぐさま宙を蹴るかの如く舞って距離を取る。着地と同時に彼女の姿が揺らぐと真下から猛烈な悪寒がガレスを襲った。反射的に上体を反らすと、自分の体があった場所を拳が通り抜けて行く。


 ガレスそのままバク転で距離を取るが、拳圧で斬り裂かれた胸の裂傷を気にする間も無くモモの連撃が迫って来る。


「速イっ!」


 熟練の大鬼オーガの戦士たるガレスも思わず声に出てしまった。


 金色の瞳をギラつかせ猛攻を仕掛けてくるモモを相手に、両腕を使えなくなったガレスは防戦一方となる。


 モモの攻撃をかろうじて捌きながらガレスは思う……。


『この娘の瞳の色の変化と鬼気迫る表情、そしてひたいに光る一本角……間違いない、この技は先代鬼姫巫女プリンセシスラ・ムゥ様と同じ鬼神憑依だ。彼女は姫巫女様に連なる者に違いない!』


 そう思ってしまったガレスは姫巫女に対して攻撃する事など出来ない。オーガ達にとって【姫巫女プリンセシス】とは当然、巫女であり、指導者であり、力持つ者の象徴である。その様な存在に対して手を上げる事など序列を重視する鬼達にとっては出来る訳もなかった。


 だが、それをガレスの劣勢と見た回りの魔物達は一斉にモモへと襲い掛かった。


「待テ、待つノだ! この者ハ、このお方ハ!!」


 両手を損傷したままのガレスは声を上げて止めようとするも、その声は魔物達の咆哮ほうこうに掻き消された。


 四方から襲い来る魔物達だが、この場にいる者で鬼神憑依したモモのスピードや腕力に対抗しうる魔物など存在しなかった。


 モモはそのスピードを生かして、かわし、叩き付け、砕いた。単純にその繰り返しで死骸の山が次々と積み上げられて行く。


 だが多勢に無勢だ、ガレスも砕かれ折られた両腕を振るいながら敵の一部を叩き潰した。


「タウロス、いつマで呆けていル! 姫を、姫巫女様を守レ!!」


「ハッ!」


 呆然とガレスたちの戦いを見ていたタウロスもモモとの距離を取りながら戦いに参戦した。自分と戦った時よりも素早く、一撃のもとに敵を粉砕していく様に見とれ、戦鬼としての心が震える。それこそ自分達の援護など必要無いのではないかとさえ思ってしまう。それでもここには千に近い数の魔物達が集結しているのだ。少しでも姫への負担を減らす為に魔物たちをさばいて行く。


 だがタウロス達は所詮モモの敵だ。あまり彼女に近付き過ぎると、彼女からの攻撃に防戦一方となってしまう。タウロスは姫とガレスとの戦いでそれ冷静に見ていた。だからこそ、離れていたからこそ気がついた。


 取り囲んでいた魔物の数が減っている。


 周りに集まっていた魔物達の半数が東側の坑道に移動し、集結し始めている。ドミニネスもそちらへの指示出しが手一杯なのかタウロス達へ罵声のひとつも飛んで来ない。


 タウロスが蟻酸をかわして、表皮が硬いだけの黒鎧蟻の首をへし折ったその時だ。


        「プラズマ超電磁砲、発射!」

 微かに聞こえた……その程度の小さな叫び声と共に、魔物達が集結していたその坑道からまばゆい光が溢れると、巨大な炎の球が出現し近くにいた魔物たちを巻き込んで焼き尽くし、そのままドミニネスのかたわらへと着弾し大爆発した。


『ギャーッ、おのれ、オノレ、オノレ、おのれオノレおのれ━━━━ッ、勇者めぇ!!』


 ドミニネスが吠える様に叫んだ!


 もう一人の勇者が来た。ドミニネスは作戦開始前に、まずは小娘の勇者をここに誘い込み殲滅した後に、チームで動いているもう一組の勇者には妨害工作を行い、分断を誘い一人ずつ片付けて行くという作戦だった。


 こちらに有利な場所で、ダンジョン内の最大戦力をもって各個撃破する。悪い作戦ではなかった。ただドミニネスは勇者の力を見誤った。妨害工作は失敗したのだ。結果として逐次投入した戦力は全て撃退された。


 時間稼ぎすら出来ずにここにもう一組を呼び寄せてしまったのだ。


 それにあの攻撃。タウロス達にとっては、初めてみる極大級の火炎弾。とんでもない速度で飛来し着弾すると爆発して飛び散る炎で大量の死を振り撒くの御業だ。


 発狂する様に叫ぶドミニネスの周りで、彼女を守っていた親衛隊の多くが高熱で焼かれ、消し炭の様になって転がっている。



「フィ━━━━━━ッ!」


 火炎弾の飛び出した坑道から一人の男が現れ叫んだ。軽装鎧を身に付けたその男は、坑道の周りに集まっていた魔物達をその手に握られた巨大な剣をひと振りする事で、一瞬で凪ぎ払った。


 そして……その男の叫ぶ声に姫の動きが止まる。この洞窟内にいる魔物も全て動きを止め、その視線の先にはあの男を捉えていた。







 ━つづく━


『また新手かニャ、これは大変ニャ。さすがの我輩にも手に余るニャ』


 タウロスの足元に突然現れた黒猫は、まるでこの場の戦いを全て自分が取り纏めているかのようにふんぞり返って偉そうな口を叩いていた。


 危うく猫相手に突っ込んでしまいそうになったタウロスであった。

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