までこさんは1000年の秋を感じる

世間亭しらず

◆までこさんは1000年の秋を感じる◆


 近畿地方の奈良県某市に所在する私立おさらぎ高等学校。

 生徒の自主性に任せた自由でのびのびとした校風で知られるこの学校には、多様な部活動や同好会が存在しています。


 その部活動は伝統的に文化部が多くを占め、同時に選択肢の多さゆえ部員数が足らずに部になれずにいる文化系同好会の数もまた多くあるのです。



 例えば、漫画研究同好会。3年生卒業による部員減少で同好会に格下げとなってしまいましたが、今は部へと返り咲く為に一丸となって燃えています。


 例えば、ミステリー同好会。ミステリーを愛しミステリーを楽しむ彼らの出す謎解き問題が載せられた週発行の会誌は校内でも密かな人気です。


 例えば、カブト相撲同好会。山でカブトムシを採集し育てて闘わせることに情熱を燃やし青春を賭けるブリーダー集団です。



 さて、開かれた窓から爽やかな風が通り抜ける家庭科室で割烹着を身に着けて土鍋に火をかけているのは、2年生の万葉研究部部長、までこさんです。


 はてさて万葉研究部――通称・万研部――にも関わらずなにゆえに割烹着でお料理をしているのか不思議ですが、いつもの事なので気にしてはいけません。


 頭の高い位置で一つにまとめた艶やかな髪を白い三角布に包み、制服の上にも白い割烹着を着ています。



 家庭科の授業にエプロンを着けてくる生徒が多い中、たおやかで若々しいまでこさんが真っ白な割烹着に身を包む姿は不思議な魅力があります。


 そんなまでこさんのお陰でおさらぎ高校の中で密かに割烹着の評価が上がって来ているのは、ここだけの話です。




「今日のような日和はまさにかの歌のようだね」




 風がそよぐ窓辺に目を向けたまでこさんはそうして一首の和歌を口にします。




〈秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる〉




「それは誰の歌っすか?」




 までこさんに尋ねたのは1年生の万葉研究部員、アトソンくんです。


 今しがた万研部の部室にやってきたばかりのアトソンくんは、今日も腕とズボンの袖をまくったトレードマークのジャージ姿です。

 ちなみに正しくは家庭科室なのですが、ドアに『万葉研究部』の札が下がっているからにはここが万研部の部室なのです。



 それはそうと、どうやら古典初心者なアトソンくんにはまでこさんが詠んだ歌が誰の歌なのかがわからないようです。


 までこさんの追っかけが高じて万研部に入ったアトソンくんの一番の興味は、普段は学年が違うせいで拝むことが叶わないまでこさんの割烹着姿を目に焼き付けることにあるので、むしろちゃんと誰の歌なのかを尋ねたことをほめてあげなければいけません。

 アトソンくんは案外ほめて延びる子なのです。




「これは古今和歌集にある、三十六歌仙のひとりである藤原敏行が秋立つ日――立秋に詠んだ歌だよ。吹く風より秋の訪れを感じた歌だね」




 までこさんの知識は万葉だけに留まらず、古今、新古今、拾遺集とついでに漢詩まで幅広いのです。そのせいで時々いろいろな時代の言葉が混ざった不思議な言葉づかいをするのもまでこさんの魅力のひとつです。




「〈きぬ〉は『来る』、〈さやかに〉は『はっきりと』。つまり『目には秋が来たとはっきりとは見えないのに、風の音に秋の訪れを感じ驚いた』と詠んでいるのだよ」


「つまり『風が涼しいな、もう秋か』ってことっすか? へ~、なんかそのまんまの歌っすねぇ!」


「ずいぶんと豪快に情緒を削ぎ落としてくれたものだね」




 アトソンくんの率直な感想に腰に手を当てたしなめる姿勢を取るまでこさんでしたが、その目は面白そうにきらりと光っています。

 どうやら和歌に詳しくないアトソンくんの新鮮な考え方を楽しんでいるようです。




「歌の意味や歌人を知ろうとすることはとても大事だけれどね。君も万研部の一員ならば歌人の気持ちを鑑みてその歌に込められた思いを読み解くことが肝心だよ、アトソン君」


「気持ちって、まさか“このときの筆者の気持ちを考えよ”って奴っすか……?」


「その通り。和歌とは、その歌を読み解くことで1000年以上の時を隔てた歌人と思いを共有することすらできるのだよ」


「またまたお~げさな」




 あはは、と笑い飛ばすアトソンくんですが、までこさんは大真面目です。




「和歌に込めるのはその時感じた小さな感動、あるいは心の動き。そして和歌は文字でありながら読む者の心に情景を映しだす。

 たとえ心の中の景色とて、歌が詠まれた時と同じ景色に身を置きその歌を聞くならば。――“詠み人”と“読み人”、同じ感動を共有することも出来ようものだ。


〈秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる〉


 私はこの歌に秋の風情を感じ、秋風を肌で感じることで藤原敏行が歌に込めた思いに共感したのだよ」


「同じ状況をイメージして共感っすか? う~~~ん……俺には風が涼しきゃ『涼しいな』としか感じないっすけどね」




 アトソンくんはいまいちピンとこない様子です。


 それにはまでこさんも、さもありなんと頷きます。




「すべての歌が誰でも隔てなく共感できるわけではないさ。されど歌から風情や情景を読み取ることは和歌を知る上でも欠かせぬ技能。ここはひとつ、君にも共感しやすい和歌を教えるから、試しに挑戦してみたまえ」


「ええーっ? 俺がっすかぁ?」


「口で言うほど難しいことではないよ。まずは歌に読まれた風景を思い浮かべてみることだね」




 それではと言って、までこさんは取り出した紙にペンでさらさらと和歌を一首書き上げます。




〈高松の この峯も狭に 笠立てて ち盛りたる 秋ののよさ〉




「はい! わかりません!」




 さっそく音を上げるアトソンくんです。




「〈高松〉というのは春日山の南に位置する高円たかまど山のことだと言われている。

 〈高松の この峰も狭に〉――要するに『この山の峰も狭くなるほどに』と歌いだしているのだよ。狭くなるほどに、何があるのか? 答えは続けて歌われている。さて、なんだと思う?」


「サッパリわかんないすよ! 俺古文の成績底辺なんすよ!」


「君の成績表が秋の嵐山よりも真っ赤っかなのは承知している。端からわからないと思うのは単なる苦手意識によるものだよ。自分がその場にいるつもりで今一度よーく読んでみることだね」


「自分がその場にいるつもりで、っすかぁ? えーと……俺は山ん中に立っていて、周りには……カサ? カサが立っている? それで秋の香りがいい? ……カサから秋の匂いがするってことっすか?」



「ふふ。秋といえば、香り高いことで有名なあの食材があるじゃないか」


「食材? 秋の香り高い食材といえば…………松茸! わかった、カサってのはキノコのことっすね!?」


「その通り。秋の香りの代表格といえば松茸といえるね」


「つまり……俺の足元には今、国産の松茸が……!!」




 ほんの一瞬記憶の中にある松茸の香りが鼻をかすめていったような気がしてアトソンくんがごくり、と喉を鳴らします。

 そればかりか、




「まだ終わりではないよ。その松茸が〈ち盛りたる〉んだ。〈ち盛りたる〉とは『満ち溢れている』ということ、つまり


〈高松の この峯も狭に 笠立てて ち盛りたる 秋ののよさ〉


 とは……」


「山の峰いっぱいに、松茸が、ところ狭しと生えていて、俺の周りがおいしそうな匂いに満ち溢れている!!!」




 口に出すと同時に、アトソンくんの頭にその景色が浮かび上がります。


 スッキリ晴れ渡る秋の山、地面に広がる紅葉を押し分けぷっくりと傘をふくらませた大小さまざまな松茸、その一帯にはかぐわしい香りが立ち込め、素晴らしき秋の豊穣を祝福しています。

 まぁるい松茸は混ぜご飯に、開いた松茸は網焼きに、ちいさな松茸はお吸い物に――――じゅるり。




「どうかな、心を動かす情景が浮かんできたかね?」


「はい! これが歌人の気持ちになりきるって事なんすね! 今や松茸の香りどころか、香ばしい松茸炊き込みご飯の匂いすら感じますよ! ふっふっふ……どうやら俺は、タグイマレな共感力を持った万葉界の鬼才だったようですね! いやぁ、自分の才能が怖いっす」


「ほぅ。それは御見それした……と言いたいところだが、その香りはもしかすると、これではないのかな?」




 までこさんが指し示したのは、までこさんの目の前。いつのまにかぐつぐつと音を立てて湯気を吹き出している土鍋でした。

 その湯気に乗って、今最も恋しくてたまらない芳香が漂ってきます。




「こっ……この香りは、むゎさか!!!」




 力いっぱい目を見開くアトソンくんにまでこさんが微笑みかけます。




「親戚の家から送られてきたのでね、部の皆で古来よりの秋の味を楽しむのも良いと思い持参したのだよ」


「まったけをですか! まったけが食べられるってゆーんですか!!!」


「落ち着きたまえ。出来上がりまでまだ時はかかるし、食べるのは皆が来てからだよ」


「待ちます、待ちます! いや~、いいもんですねぇ、万葉の味! 大好きです万葉の味!」




 すっかり喜色満面、食い気満々なアトソンくんです。




「綺麗、素朴、叙情的、技巧の上手さ――人が和歌を好きになる理由は様々なれど、入口はほんの些細な興味より始まるものだよ。言葉の意味や文法を学ぶのは即ち歌人の伝えんとすることを正しく知ろうとするため。そう考えれば君も和歌がより身近に感じられるようになるのではないかな?」


「確かに、こ難しい言葉に見えても知ってみればどれも大したことは言ってないんすね。でもやっぱり俺ブンポーやらギコーやらは苦手だなぁ、あっはっはっは」




 お気楽なことを言うアトソンくんはまでこさんにじと目を向けられてしまいます。




「ほう、単語さえわかれば文法や技巧は覚える必要がないと?」


「いやいや、そこまではっきりは……」


「そうかそうか。ならば君にはこの歌を送ろう」




 そうしてまでこさんは和歌をもう一首書き出して、読み上げます。




〈梨棗 黍に粟嗣ぎ 延ふ葛の 後も逢はむと 葵花咲く〉




「ナシ、ナツメ、キビ、アワ、クズ……ひょっとして食べ物の歌っすね!?」


「やれやれ、せいぜい文法や技巧を学んで意味を読み解くことだね。さて、そろそろ他の皆も来る頃だ。君も準備に手を貸したまえ」


「りょーかいっす!」












〈なしなつめ きみにあわつぎ はうくずの のちもあわんと あうひはなさく〉




『次々と作物が実りを迎えるように何度でも逢いましょう。


   葛のつるが別れてまたつながるようにまた逢いましょう。


      あなたに逢える日を想うと私は花咲くように嬉しいのです。』









◇おしまい◇



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