第二章①
ダンヒルでの拙者の居は、学園が用意してくれた寮だった。他の生徒も下宿や寮に入っているのが普通で、自宅から学園へ通っているのはごく一部の生徒、ほとんど上流階級だけらしい。
寮は学園から徒歩十五分といったところに建っており、拙者はそこから学園へ通学した。
授業前の自己紹介で、拙者が忍者であることを知った一年二組の盛り上がりは、すごかった。が、昨日チャールズ先生や学園長のように忍装束を見せて欲しいというリクエストはなかった。
せっかく制服の下に着てきたのにと思っていると、嫌味な笑みを浮かべたジルドと目があった。どうやら上流階級のジルドが拙者に対して、何か言ったらしい。大方、仲良くしないようにとでも御触れを出したのだろう。
ふん! 何処の国でも、くだらないことを考える輩はいるものでござる!
訓練学校での経験上、こういうの無視するか、より強い力で相手をねじ伏せるしか、解決する手段はない。
とはいえ、ジルドをねじ伏せるだけの『魅力(力)』は、今の拙者にはなかった。だが幸い『最も魅力的な者が勝つ』のおかげで、体が傷つけられる様な心配をする必要はない。
ひとまずこの件は無視しようと、拙者は決めた。
そうこうしている内に、拙者はダンヒルの、サントノーレ学園での授業を受けることとなった。
サントノーレ学園の授業は大きく分けて二つに分かれている。
一つは一般教養。これは他国の文化を学びつつ、ダンヒルにはない他国のお洒落を学ぶ目的で行われている。お洒落を学ぶと言っても、授業内容は歴史に近い。エアロにも他国の軍事戦力を学ぶ座学があったので、この授業はなんとか拙者でも付いて行くことが出来た。
しかし、問題は残りのもう一つ。『魅力』、つまり、お洒落に関する授業だ。
今行われているのは、着こなしの授業。チャールズ先生がお手本として何着かジャケットを着ながら説明してくれているのでござるが、ちょっと聞いて欲しいのでござる。
「まず黒色のジャケットですが、ボトムスの定番であるデニムとあわせれば、失敗の少ないコーディネートになると思います。一点注意すべきは、合わせるデニムのカラー。黒色のジャケットは前締めにすると重たい印象を見る人に与えがちですので、なるべく明るい色のデニムをチョイスしてください」
「チャールズ先生。質問がありますの」
「何でしょう。アンジーくん」
「私(わたくし)、細身のボトムスを履くと華奢すぎに見えてしまいますの。あまり細く見られると、かえって美しくございませんわ」
「なるほど。でしたら、裾に向かって広がりのあるデニムにすれば、見た目の細さはカバー出来ますよ」
え? これ魔法の呪文か悪魔を呼び出す召喚術ではないのでござるか? ちょっと何言ってるかわかんないでござる。
っていうかデニムって! ジーンズでいいでござろう? デニムは生地の種類でござるよ。まぁ、そういう意味では間違ってないのでござるが……。
後ボトムスでござるが、ええっと、装甲騎兵のことではないのでござったな。濁点ないし。確か、そう、下半身に装備するボディアーマーの一種でござる。下半身に装備するものに下着は入らないという部分集合的な解釈を、チャールズ先生がしていたでござるよ!
拙者は必死になってチャールズ先生の言葉を完璧に理解していくが、いかんせん速度が追いつかない。
そうこうしている内に、ジャケットの色の種類は黒からグレー、カーキ、ネイビーと移り変わり、ジャケットの種類もテーラードジャケット、レザージャケット、ダウンジャケットに移動してく。って、カタカナ多すぎでござろうっ!
「ぜんっっっっっっぜん、わからなかったでござる……」
服の種類も色も多すぎて、授業後拙者は、耳から魂的な何かが抜けていく感覚を味わっていた。
「だ、大丈夫だよヒロキさん。まだ一日目だもん」
誰も拙者に話しかけてこない教室の中、ロロ殿の慰めが心に染みる。拙者今、ちょっと泣きそうでござる。
「そうでござるか? 拙者今の授業諦めて、途中からジャケットの種類と色の組み合わせで、新しい暗号が出来ないか考えていたぐらいでござるよ?」
拙者の作った対応表を見て、ロロ殿は苦笑いを浮かべた。
「ヒロキさんって、何だかんだ言っても、タダでは転ばないよね」
「それはそうでござろう。座学の授業は筆記試験でござるから、教材を丸暗記でひとまず乗りきれるのでござる」
「でも、実技の方は――」
「あら? 獣が一匹教室に混じっていると思い見てみれば、あなたがあの野蛮人ですの?」
拙者とロロ殿の会話に、無遠慮な割り込みが入った。声が聞こえた方に振り向くと、そこには一人の女子生徒が佇んでいる。
体はスラリと細く、伸長も女子の平均より高い。ロロ殿が彼女に羨望の眼差しを向けていることからわかるように、ダンヒルで評価される『魅力』、全体美の体現者と言っても過言ではないような少女が、こちらを睥睨していた。
彼女の瞳は黄金のように輝き、腰まで伸ばした稲穂のような髪は、ゆるくストレートパーマをかけたラフスタイル。今日髪型の授業で、チャールズ先生がそう言ってたでござる。
しかしこの女子生徒、どこかで見たような気がするのでござるが……。
「ロロさん。こんな野蛮人と一緒では、あなたの品格が落ちてしまいますわ。そんな奴、放っておきなさい」
「そんな、アンジーさん酷いよ。ヒロキさんは、まだこの国に来たばかりなんだよ!」
ロロ殿の悲痛な叫びを聞きながら、拙者は首を傾げた。
「アンジー?」
ロロ殿が言った女子生徒の名前を、拙者はオウム返しのようにつぶやいた。
ああ、誰かと思えば先ほどの授業でチャールズ先生に質問をしていた、足が細いボトムスでござったか。確かに、足が細すぎると重心が安定しなくなるので、良くないでござるな。
しかし拙者、このアンジーとやらには以前どこかであっている気がするのでござるが……。
「ふん! 野蛮人の分際で、気安く私の、って、あなた。鼻をひくつかせて、一体何をやっているのですか?」
「いや、このフローラルな匂い、どこかで嗅いだ気がするのでござるが……」
ああ、やっぱり間違いない。このいい匂いは――
「きゃぁぁぁあああっ!」
答えにたどり着く直前の拙者の思考は、アンジー殿の悲鳴によってかき乱された。顔面蒼白となった彼女は、両手で慎ましやかな胸を押さえて拙者から距離を取りつつ、こちらを指さしてこう言った。
「私今、あの野蛮人に犯されましたわっ!」
「ってちょっと待つでござる! 拙者、ただお主の匂いを、鼻をひくつかせて嗅いでいただけでござろうっ!」
……言いながら思ったのでござるが、拙者余裕でアウトのライン飛び超えてござるな。
その証拠に、ほら。ロロ殿が氷点下の目で、拙者を睨んでいるでござるよ。
「……犯したんだ」
ロロ殿、声低っ!
拙者は両手を振りながら、慌ててロロ殿に弁解を開始した。
「お、犯してないでござるよ! まず拙者アンジー殿に触れてないし、自分からも近づいてないでござるっ!」
「……でも、ヒロキさんなら出来るかも」
「そんな超人パワー、拙者持ってないでござる!」
「だってヒロキさん、ニンジャだし」
あんまりの言い草に、拙者は強くロロ殿に反論した。
「いやいや、待つでござるよロロ殿。それは立派な忍者差別、忍者ハラスメントでござる! 略して『にんはら』でござるよっ!」
「そこは『しのび』を入れなくていいの?」
「……鋭い指摘でござるな」
「てゃぁぁぁあああっ!」
ロロ殿の冷静なツッコミに拙者が感心していると、背後から叫び声と共に白刃が煌めいた。だが、それは拙者の予想の範疇。背後に迫っていた不届き者の存在など、とうに気づいていたでござる!
拙者は余裕を持って白刃を回避。その代わりというかのように、白刃は拙者が置き去りにしたノートを、ズタボロに切り裂いた。
「っていうか白刃って! 危ないでござろう! 拙者じゃなきゃ死んでいたでござるぞっ!」
「うるさい! その時は淡く優しい桃色の光が、貴様を守るだろう!」
「なにその言い回し、ちょっとカッコいいでござる!」
そういえばこの国、常時『最も魅力的な者が勝つ』が発動しているのでござったな。だが、ノートが切られたということは、物にまでその効果は発揮されていないようでござる。
そう考えながら、ナイフを握りしめアンジー殿を庇うように立った不届き者を、拙者は見つめた。
「何の用でござるか? ジルド」
「それはこっちの台詞だ! 僕の可愛い双子の妹に何をしたっ!」
「……やはりお主の関係者でござったか」
確かにこうして二人並べてみると、双子というのも頷ける。違う点を上げるとするなら、髪型と男女の制服の違いぐらいしかない。
拙者の話はジルドから聞いていたのだろう。だからアンジー殿は、先ほど拙者を野蛮人と呼んだのだ。
「しかし、匂いまで一緒って、どうなっているでござる?」
「同じ香水を使ってるだけだ! ええいっ、鼻をひくつかせるなっ!」
「もういいですわ、ジルド兄様。このアンジェラ・ゼニア、こんな野蛮人にこれ以上割く時間はございません」
優雅に髪をかきあげながら、アンジー殿は溜息と共にそう言った。
「……いや、お主が先に声をかけてきたのでござろう」
まぁ、別にいいでござる。ジルドの妹と言う時点で、既に拙者とはウマが合わないのは確定しているでござる。
わざわざ自分から近づいて、ストレスを貯める必要はござらん。無視が一番でござるな。ジルドのように拙者を揶揄するか、師匠から耳にタコが出来るほど言われた、『あの言葉』に反しなければ――
「ええ。ですから時間の無駄になってしまったわ。こんな野蛮人に引っかかるなんて、堕落しましたわね。ロロさん」
「――まな板。今の言葉、取り消すのでござるよ」
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