第一章①

「失礼するでござる!」

 既にノックもし終え、入出許可の言葉も頂いている。拙者は自信を持って、「学園長室」という札がかけられた扉を開いた。

 今拙者がいるのは学園の四階廊下。窓から差す春の温かい朝日に押されるように、拙者は部屋へと進んでいく。

「ようこそお越しくださいました」

「がはははは! サントノーレ学園へようこそ! ワシはお前さんを歓迎しようっ!」

 部屋に入ると、二つの声が拙者を出迎えてくれる。部屋の窓からは、透き通るような青い空が見えた。

 最初の声は、拙者から見て左側。焦茶色の髪を七三に分けた、中肉中背のスーツ姿をした男性のものだ。彼がかけている縁メガネの奥に、栗色の瞳がのぞいている。見たところ、彼なら不意をつかなくとも、拙者なら拘束できそうでござる。

 一方右側の男性は、手強い。左側の男性同様スーツを着込んでいるが、この御仁は鍛えあげられた筋肉で、シャツが盛り上がっているでござる。かなりのご高齢とお見受けするが、背筋も曲がっておらず筋骨隆々。蒼眼は鋭く、隙も見いだせぬ。

 スキンヘッドと無精髭が異様に似合う彼は、豪快に笑いながら自己紹介をしてくれた。

「がはははは! ワシはここの学園長をしておる、ジェルヴェーズ・エルウィスじゃ! よろしく頼むぞッ!」

「初めまして。自分の名前はチャールズ・V・スタンフォード。あなたの編入する、一年二組のクラスを受け持つ担任です」

 なんと! このお二方、拙者の上官殿でござったかっ!

 拙者は急いで背筋を伸ばすと、二人に向かって深々と頭を下げた。

「拙者、軍事国家エアロより参上つかまつった、ヒロキ・アカマツとござり申す。この度貴国、ダンヒルにおけるサントノーレ学園の、栄えある留学生の一人として――」

「がはははは! よいよい。そういう堅苦しいのは、ワシは好かん! 頭を上げるといいッ!」

「そうですよ、ヒロキくん。そんなにかしこまらないでください。今日からあなたは、この学園の生徒になるんですから。あ、自分のことは気軽にチャールズ先生、と呼んでください」

「がはははは! ワシは学園長でいいぞッ!」

 おお、目上の相手、しかも上官殿から先に挨拶させてしまった拙者を、許していただけるとは! エアロの訓練学校なら、即折檻間違いなしでござる。何と心の広い御仁たちなのでござろう。拙者、感動でござるっ!

「それはそうと、ヒロキくん。君は、学生服を着ているんだね」

 チャールズ先生はそう言うと、縁メガネを光らせ、拙者の服を舐めるように見つめた。先ほどとは打って変わり、体が二倍に膨れ上がったかのような迫力を、先生から感じる。思わず拙者はたじろぎ、一歩後ずさった。

 うぅ……。さ、さすがお洒落の国ダンヒル。服のことになると、先生全く別人でござるな。はっ! も、もしや拙者、制服の着こなしで何か重大なマナー違反を犯しているのでござるか? 打首? 拙者打首でござるかっ!

「がはははは! チャールズ先生、その辺にしてやりなさい! ヒロキが困っているではないかッ!」

「……え? あ、こ、これは失礼いたしました」

「がはははは! すまんな、ヒロキ! チャールズ先生はお前がこの大陸(パラメータ)では珍しい島国出身ということで、その伝統衣装が気になっておるのだッ! もちろんワシも気になる! 確か、諜報員の、なんと言ったかのう?」

「忍者でござるなっ!」

 学園長の言葉に、拙者は興奮気味に食いついた。

 拙者の生まれはエアロの中でも最東端。ダーバンという、大陸で唯一の島国だった。

 だった、と過去形なのは同盟締結後にエアロに組み込まれ、ダーバンという『国』は既に存在しないため。唯一の島国だったという名残で、ダーバンはこの大陸に存在しなくなった今でも、『島国』と呼ばれている。

 ダーバンには大陸でも珍しい『浮世絵』や『着物』、それに『腹切り』など独特の文化があり、エアロの中でも特別保護指定区域として認定。文化保護政策が取られており、今も立ち入りが厳しく制限され、その文化や思想が守られている。

 その一つに、『忍者』というものがある。

「そう、ニンジャ! 今もまだエアロに現役で存在するという、伝説の諜報員!」

 軍事国家エアロでは国同士を統合し、戦闘技術を取り組んでいく過程で様々な特殊部隊、諜報機関が生まれた。その中の一つに、ダーバン特有の戦闘技術を取り入れた諜報機関が『忍』であり、その構成員を『忍者』という。

 そして何を隠そう拙者、その忍者なのでござるっ! ……まだ免許皆伝は頂いておらんので、正確には訓練生ではござるが、四捨五入でもう忍者と言ってもいいでござろうっ!

「がはははは! チャールズ先生は、生粋のダーバンマニアでなッ!」

「よ、よければ自分に、シノビショーゾクとやらを、見せてもらえないだろうか!」

「む。しかし、忍装束は無闇矢鱈、人に見せるものではないのでござるが……」

 同盟締結後、国同士の戦闘は禁止されている。そのため諜報機関などの情報もある程度オープンにされており、忍装束を見せても全く問題ない。秘匿されているのなら、そもそも先生たちは忍者の存在すら知らないはずだ。全然忍んでいないのでござる。

 しかしそれでもダーバンの文化は珍しがられ、忍者(拙者)は伝説の諜報員と呼ばれているのでござる。ぐふふっ!

「そ、そこをなんとかっ!」

 拙者に拝み倒すチャールズ先生を見て、拙者の口角がひくついた。

 いやぁ、参ったでござるなぁ。困ってしまったでござるなぁ。どうするでござるかなぁっ!

「がはははは! ワシも興味がある! 是非見せてくれッ!」

「お願いだ! ヒロキくんっ!」

 ……なるほど。そこまで言われては、拙者もその想いに応えぬわけにはいかぬっ!

 顔がニヤついている様に見えるのは、決して嬉しいからではないのでござる。今の拙者は、使命感に打ち震えているのでござるっ!

「……わかりもうした。では、失礼っ!」

 先生たちから距離を取り、拙者は叫び声と共に、力一杯制服を脱ぎ捨てた。

「おお! ちゃんと刀まで背負ってるじゃないかっ!」

「がはははは! 素晴らしいッ!」

 部屋中に先生たちの驚嘆の声と、学生服が舞う。

 かくして部屋に現れたのは、一つの影。その身にまとった黒は光を受け入れることなく、ただ静かに、ただ孤高にそこに存在していた。

「いやぁ、そのシノビショーゾク、最高にクールだ! 君がこの学園に来てくれて、自分は本当に嬉しいよっ!」

「がはははは! そうじゃな! 伝統ある珍しい忍装束が見れて、ワシも満足しておるッ!」

 服を脱ぎ捨てポーズを決める拙者に、先生たちの拍手が鳴り止まない。

 ……良かったでござる。制服の下に予め忍装束を着込んでおいて、本当に良かったでござるっ!

「それにしても驚いたよ。今のは、魔法? いや、ニンジュツかっ!」

 ただの早着替えに、チャールズ先生はずいぶん盛り上がってくれる。拙者はニヤリと笑い、先生に答えた。

「ふふ、それは秘密でござる」

「ワァオ! ファンタスティックっ!」

 拙者、この先生大好きでござる。

「そこまで喜んでいただけるとは、恐悦至極。拙者も師匠に、良い報告が出来るでござる」

「師匠?」

「訓練学校の、教官殿でござる。同じダーバン出身ということで、敬意の念を込めて師匠、と呼ばせて頂いているのでござる」

 留学を勧めた遠い祖国にいる師匠に、拙者は思いを馳せた。

 学園長やチャールズ先生はこんなに喜んでくれるが、エアロでは忍などただの一組織に過ぎない。

 訓練学校では文化保護政策があったおかげで生き残った弱小組織と散々揶揄され、嫌がらせも受けた。力が全てのエアロでのし上がるためには、力を身につける以外方法がない。嫌がらせをした相手を見返すために、拙者は徹底的に体を鍛え、上級生でも苦労するような訓練授業や過酷な状況下での潜伏授業も、片っ端から履修し尽くした。その甲斐あって、今回の留学生にも選ばれた。

 それもこれも、全ては訓練に付き合ってくれた師匠のお陰。いつか拙者が、エアロでの忍の地位を押し上げてみせるでござる!

 ついこの間のことなのに、師匠から『戦友は死んでも守れ』と耳にタコが出来るほど言われていたのを、拙者は随分懐かしく感じた。

 それに留学前に言われた、あの言葉も。

『何のためにその忍装束を着ているのか、よく考えろ』

「――ですから、何のために服を着るのか、よく考えて下さいね。ヒロキくん」

 師匠とチャールズ先生の言葉が重なり、拙者の心臓が勢い良く跳ねた。

 慌てて顔を上げると、そこには心配そうな顔をしたチャールズ先生がいた。

「大丈夫ですか? ヒロキくん」

「がはははは! 遠い異国の地に来て、疲れておるのだろう! 見ろ! 長い間歩いてきたのか、靴が汚れておるわッ!」

「……面目ないでござる」

 そう言って、また拙者は頭を下げた。その視線の先には、学園長が言った通り泥が付いている靴がある。

 いかん。ホームシックになるのは、まだ早すぎるでござる。こんなことでは、師匠に笑われてしまう。散々笑われた後、獄門貼り付けの刑でござる。

「それで、何の話をしていたのでしたっけ?」

「がはははは! 漢気の話だ! チャールズ先生ッ!」

「漢、気?」

 首を傾げる拙者に、チャールズ先生は頷きながら答えてくれる。

「ええ。人間の『魅力(チャーム)』は確かに服によって急激に上昇します。ですが人の魅力は、必ずしも外面的なものだけではありません。内面的を表す女気や漢気も、重要な『魅力』の要素になります」

 チャールズ先生の話に、自然と拙者の右眉が反応する。

『魅力』。この国特有の言葉で、留学前に師匠から渡された資料の中にもあった言葉だ。しかし、女気や漢気という言葉は資料にはなかった。確か漢気の意味は――

 言葉の意味を思い出そうとした時、部屋に小気味良いノックの音が響き渡る。チャールズ先生は壁にかけられた時計を見て、大げさに驚いた。

「おや、もうこんな時間ですか! 時が経つのは早いですねぇ」

「がはははは! チャールズ先生は、忍装束を見て随分楽しんでいたからな! ジルド、入るといいッ!」

「失礼します」

 扉が開き、声の主が部屋に入ってくる。部屋に入ってきたのは、一人の美男子。

 そう、美男子である。

 彼の金色の瞳は黄金のように輝き、腰まで伸ばした稲穂のような髪は、一つにまとめられている。男子用の制服はただの布であるにも関わらず、彼が着ると神々しいとすら感じさせられた。彼の肌にはシミ一つなく、美しく整った顔は女性用の制服ですら似合いそうに思える。

 そんな女だけでなく、男も振り返りそうなほどのイケメンは、拙者の姿を見てこう言った。

「ワァオ! それシノビショーゾク? 最高にクールじゃないかっ!」

「ってそうでござった! 拙者、まだ忍装束姿のままだったでござるっ!」

「いやぁ、いいねぇシノビショーゾク。まさか、本物をこの目で見られるとは思わなかったよ!」

 美男子は笑顔でやってくると、拙者をぐるっと回るようにして、無遠慮な視線をぶつけてくる。

 しかし、この国の人達は服に食いつきすぎでござろう。ダーバンマニアだというチャールズ先生だけでなく、何だかんだで学園長も忍装束を見て喜んでいたでござるし。

 あらかた拙者を目で舐めまわした美男子は満足そうに頷いた後、拙者に向かって手を伸ばしていきた。

「僕の名前はエルメネジルド・ゼニア。ジルドと呼んでくれ。いやぁ、いいものを見させてもらったよ。僕のジルド家に代々伝わる、格式高く伝統のある礼装に比べれば、劣るけどね。これからよろしく」

「……ヒロキ・アカマツと申す。よろしく頼むでござる」

 憮然としながら、拙者はジルド殿の握手に応じた。

 ……何なのでござるか? このイケメン。先に手を差し伸べられたから手は握り返したでござるが、さっきの無遠慮な視線といい今の言葉といい、こいつなんだか鼻持ちならな、ってなんかいい匂いがするでござるよ、この人。もしかしてこれだけイケメンだと体臭までフローラルになるのでござるか? もはや突然変異レベルでござろう、これっ!

「ジルドくんにヒロキくんの学園を案内してもらおうと思って、自分が呼んだんだ。同じクラスになる同級生同士、仲良くして下さいね」

 おっかなびっくりでジルド殿から手を放す拙者に、チャールズ先生が彼をここに呼んだ理由を教えてくれた。

 なるほど。ジルド殿と拙者は、同じクラスになるのでござるな。であれば、多少のことは目をつぶるのでござる。これから一緒に学ぶ、同じクラスの仲――

「ですが、チャールズ先生。着ればそれだけで価値のある服は置いておいて、他の着こなしはどうなんですか? 彼はエアロから来たのでしょう? しかも五月から編入で――」

「――ちょっと、待つのでござる」

 ジルド殿の言葉を、拙者は遮った。

 今、こいつはなんて言ったでござるか?

 着ればそれだけで価値がある?

その考え方は、エアロの訓練学校で拙者を揶揄した、あいつらと同じ考えではござらぬかっ!

「今の言葉、取り消すでござる」

 自分でも信じられないぐらい低い声が、拙者の口から零れ落ちる。だが睨みつける拙者を、ジルド殿は逆にこちらを挑発するような視線で見返した。

「なんだい? 僕は君のことを心配して言ってあげているんだよ? そもそも、君は着こなしというものをわかっているのかい? 例えば、制服とか」

「制服なんて、着れれば同じでござろうっ!」

「……今、何て言った?」

 拙者の言葉に、今度はジルドが噛み付いた。

「聞こえなかったようなので、もう一度言うでござる。制服など、着れればいい! 細部に拘るなど笑止! 着こなしなんぞ上っ面でしか自分を表現できない、自分に自信のない、女々しい軟弱モノのすることでござるっ!」

「ちょ、ちょっと二人とも、やめないか!」

 チャールズ先生が慌てて止めに入るが、拙者の怒りは収まらない。

 こいつは、仲間なんかじゃない。拙者の、敵でござるっ!

「……貴様、馬鹿にしたな? この国で着こなしを、お洒落を、馬鹿にしたな?」

 ジルドの瞳に、激情の光が灯った。どうやら彼も、やる気のようでござる。

「こら! いい加減に、」

「がはははは! いいではないか、チャールズ先生!」

「ですが学園長!」

「がはははは! よいよい! ぶつかり合わなければ、わからんこともあろうッ!」

 流石学園長でござる。こんなもの、軍事国家エアロでは日常茶飯事の光景。男同士、拳で語らねばならぬ時もあるのでござるよっ!

「あぁもう、しょうがないですねぇ」

 観念したように、チャールズ先生は高々と右手を伸ばした。審判役を買って出てくれたのだろう。勝負の合図は、あの手が振り下ろされた時。

 それを見て、拙者はほくそ笑みながら背中の刀に手を伸ばし、ジルドに問いかけた。

「今謝るなら、許してやるでござるよ?」

「それはこちらの台詞だ! 戦争しか知らない、野蛮人がっ!」

 上等! さすれば後は、拳で語り合うのみっ!

 何? 拳で語り合うと言いながら、拙者は刃物に手を伸ばしている?

 知らぬっ! そんなもの、言葉の綾にござるっ!

 戦場では、常に賢いものが勝つのでござるよっ!

 そしてついに、チャールズ先生の右手が振り下ろされた。こんな言葉を伴って。


「テーマを『制服』に設定。これより、『最も魅力的な者が勝つ(チャーム・バトル)』を開始する!」

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