なぜ仕返しはいけないのかという答えを
松中晴瑠
第1話
ずっと考えていた。
なぜ仕返しをしてはいけないのかを。
あるいは、しないほうがいいかということを。
こんなことを考えるようになったのは、高校3年生の冬休み前だった気がする。
高校1年生の後半あたりから、SNSでの執拗な粘着にあった。友達を作ろうとして、SNSのアカウントを教えた事が事の発端だった。
最初はただ普通に絡んできただけかと思ったが、そのうち私を馬鹿にするような発言が増えてきた。
知らない人を混ぜて私をいじるようなことが増えた。
直接何かをするわけでもないが、私をおもちゃのように、遊び道具のように使っているようだった。
最初は気にしなかった。でも、それが2年も続くと流石に滅入ってきた。
途中でアカウントを移行したが、それでも粘着を続けてきた。
鍵アカウントにしても、執拗にメッセージを送ってきた。
そして、ちょうどセンター1か月半前ぐらいから物理的にいじめるようになった。
といっても、授業中にケシカスを投げる程度のいじめではあった。
私は度々休むようになった。そして、ついに親に打ち明けた。
両親は「つらかったね」とか「苦しかったね」とか、同情的な言葉はかけなかった。でも、許せないとは言ってくれた。そのことが嬉しかったことを今でも覚えている。
先生方も協力的だった。SNSについて疎い先生ではあったが、私が説明をすると理解を示してくれた。事情聴取をしていじめをした本人に対しても注意をしてくれた。
その後、直接的ないじめはなくなった。SNSを使ったいじめはあったが、アカウントを丸ごと消してしばらく触れないようにした。
私は正直、仕返しとして相手に殴りかかろうとも思っていた。特段喧嘩が強いわけでもないが、殺意をもって死ぬ寸前まで追い詰めようとも思っていた。でも、仕返しはしなかった。
法的な対処も考えたが、この程度の被害だと裁かれる可能性は低いということがわかり、それもしなかった。
この時の「なぜ仕返しはいけないのか」という理由は、「殴り掛かったら相手の思うつぼだし、何より私の将来にかかわる」というものだった。
でも、腑に落ちなかった。
何かが違った。
それを、半年の間度々考えてきた。
けど、答えは出なかった。
答えを得たのはつい最近だった。
それは、「周りを悲しませる」という答えだった。
親、先生、友達。
色々な人の優しさを無駄にすること。
結局、自分しか見ていなかったのだ。
周りの優しさを当たり前だと思っていた。
それは、感謝すべきものだと。
礼を言うべきものだと。
わかっているはずなのに、わかっていないことがそこにはあった。
受けた懇意は、優しさは、仕返しのためにあるものではない。
私が前に進むためにあるものだ。
それを、自分勝手な仕返しに使うことは、多分、恩を仇で返すことだと私は思う。
実はもう一つ、仕返しをしないほうがいい理由がある。
「私をいじめた相手の幸せを願えなくなる」ことである。
今の私はお人好しなのかもしれないが、出来れば私をいじめた相手にも幸せになっていてほしいと願っている。
みなどこかで過ちを犯すはずなのだ。それが、たまたま私に絡んできただけなのだ。
それを仕返しで返すことは、私も辛い。その仕返しは、多分私の過ちになる。それよりも、私も、いじめた相手も、幸せに生きていたほうが楽しいだろう。きっと。
もし今度会ったときは、出来れば私に一度謝罪をして、それを私は許して、どこかおいしいものを食べながら駄弁られたらいいなと、私は思っている。
私の考え方は、甘いかもしれない。
でも、私の周りにいる人たちは、関わった人たちは、幸せでいてほしいと私は思うのだ。
なぜ仕返しはいけないのかという答えを 松中晴瑠 @Dessert_Knife
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