私はその後、五年間自宅でひっそりと暮らしてから家を出た。

 両親も厄介払いが出来ていいと思ったのだろう。家を出ると言ったら、お金はたくさん渡してくれた。

 返す必要はないといわれたが、必ず返すと言い、私は家を決め、服とお金と裏窓のDVDだけを鞄に詰め込んで、家を後にした。

 裏窓のDVDは自分へのいましめのつもりだ。それを見ると、いつも兄の事を思い出した。


 あの一件以来兄とは会話をしなかった。

 兄は何度か私に声をかけたが、あの夢を見てからというもの、兄を同じ人間だとは思えなくなっていたので、無視を貫いた。

 今思えばとても理不尽で、兄には不快な思いをさせたことだろう。私は最低だ。本当に申し訳ないと思っている。

 しかし、謝ろうと思っても兄に会うことは出来ないだろう。

 兄はあの後すぐに名門大学に合格し、家を出て一人暮らしを始めた。

 最初の内は、両親がよく電話をかけて近況を報告させていたようだが、いつからか近況報告は簡素なものになり、気付けば兄との連絡は途絶えた。

 心配になった両親が、兄が一人暮らしをしているアパートに出向くと、そこはもぬけのから


 兄は行方をくらましたのだ。


 これは直接両親から聞いた話ではないので、多少の違いはあるのかもしれないが、だいたいそんな風だったと警察から聞いた。

 兄はどこへ行ってしまったのだろうか。兄は今何をしているのだろうか。兄は私を恨んでいるだろうか。


 そんな事を考えながら、ベッドの上で裏窓のパッケージを眺めているとぴぃんぽぉーんんと間延びした玄関チャイムの音が鳴った。

 時刻は夜の八時五〇分。

 我が家には、モニターフォンといった便利なものが付いていないどころか、ドアスコープも付いていない。

「どちら様ですか?」

 扉を開けずに答えた。


「今の生活に満足している?」


 突然、若い女性というよりは少女のようなかわいらしい声で問われた。

「えっ?」

 突然投げかけられた質問の真意をはかりかねて、次の言葉が出ないでいると、少女のようなかわいらしい声の持ち主は言った。

「明日、また、同じ時間に来るから、考えておいてね」

 刹那せつな、私は恐怖と興味がぜになった感覚を覚え、扉を開けるのを躊躇しながらも、その扉の先にいる人物の姿を見たくて仕方なくなった。


 この薄い扉一枚隔てた先にいる誰かの存在を。


「ちょっと、あなた誰なの?」

 私の中の恐怖と興味のバランスは恐怖の方が上回っていたようで、ドアノブに伸ばした手をひねることが出来なくて、結局扉越しに相手を確認する言葉を言う事しか出来なかった。

 そして、もう返事は戻ってこなかった。

 私はそっと扉を開けたが、当然そこにはもう誰もいなかった。

 扉の外に身を乗り出して廊下の先を見てみると、見知らぬ少女が角を曲がるところだった。

 安アパート故に、電気が暗く、先を歩いている人物の全貌は見えないが、ちょうどライトの下の一番明るいところで照らされた奇抜な靴が目に入った。


 甲の部分に付いているぐにゃりと曲がる矢印が二つ円を描くようにデザインされた黒のダイヤル。

 靴の右側と左側を踵方向からぐるりと回りこむようについた黒のプラスチックパーツ。

 ミッドソールは汚れ一つない綺麗な白。

 そして、その上にあり全体を覆う鮮やかな青のカラーリングをアッパーに身に纏ったその靴は、近未来的な雰囲気で、まるで別の世界の住人が履いているようなデザインだった。

 その靴の持ち主の顔は見えなかったが、なぜか靴の持ち主は別の世界の住人なのではないかと思った。

 奇抜な靴のデザインのせいだろうか。

 今となってもよく分からない。ただその靴はとても、深く、深く、印象に残った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る