私は昔から引っ込み思案じあんで、小学校五年生の頃にいじめにあってから不登校になった。

 クラス全員からの無視。

 仲の良かった子達にも見放された。


 学校に行きたくない。そう言うと、汚いものを見るような目で、両親は私を見た。五歳年上の兄が賢く有名な進学校に通っていたので、両親は私にも期待していたのだろう。

 気付けば、私は両親にも見放された。

 しかし、兄だけは私の味方だった。

 兄は部活をしていなかったので、いつもすぐ家に帰ってきてくれた。

 毎回ではないがお菓子を買ってきてくれたし、好きな映画の話をしてくれて、嫌な生活の中でも退屈することなく楽しく過ごす時間を提供してくれた。


 その話の中でも特に気に入ったのが、アルフレッド・ヒッチコック監督の裏窓だった。

 物語は、主人公のカメラマンであるジェフが仕事中の事故で足を骨折してしまい、車椅子に乗って生活しなくてはならなくなるところから始まる。

 ジェフは我が家での退屈な車椅子生活の中で、唯一の楽しみを見つける。

 それはカメラの望遠レンズを使って、裏窓から隣のアパートメントに暮らす住人たちの人間模様を観察することだった。


 その冒頭部分だけで、私はジェフに共感した。

 仕事中の事故で足を骨折してしまい自宅にこもるジェフ。学校でのいじめにより病んでしまい自宅にこもる私。

 状況は違えど、不意の事態により自宅にこもる事になった二人。

 外との接触が希薄きはくだった事、仲が良いと思っていた友人たちに裏切られた事、そんな状況だった為か、こんな些細ささいな一致でとても共感してしまい、裏窓が気になって仕方がなくなった。


 私はどうしても見てみたいと兄に頼み、裏窓のDVDを買ってきてもらった。

 そして有り余る時間で繰り返し裏窓を見た。観客の視点を映画の中に巧みに入れ込む作品作りに感動を覚えた。私は裏窓にどっぷりとはまりこんでいった。


 私はもう何年も使われているところを見ていない、父の、ほこりを被った一眼レフを引っ張り出してきて、ジェフの真似事を始めた。

 その時カメラに付いていたレンズにはたいした望遠機能はついていなかったが、それでも私は、そのカメラで外の様子を観察することに十分な充足感を得ていた。

 映画とは違い、部屋から見える家々の多くはカーテンをしっかりと閉めていて、ほとんどその中の様子をうかがい知ることは叶わなかったが、家の近くの公園にカメラを向けると、犬の散歩をする老婆、子どもを砂場で遊ばせている間に井戸端いどばた会議をする主婦たち、仕事をさぼっているのかベンチに座って数時間本を読んでいるサラリーマン風の男性など、それなりに見ていて想像力を掻き立てられる材料は散りばめられていた。


 彼は何を考えているのだろうか。

 彼女は何を話しているのだろうか。

 彼は誰の事を思っているのだろうか。

 彼女はどんな話し方をするのだろうか。

 考えれば考えるだけ時間は過ぎていった。

 私は現実世界にいながら想像の世界にいた。

 こことは違う、私の思い描く、別の世界。

 この世界ではない別の世界に夢を見て。

 しかし、私の想像には限界があった。

 彼ら彼女らは同じ行動ばかりする。

 映画の様に特別な事は起きない。


 そのうち、どうしても、私は閉じられたカーテンの向こう側の世界を見てみたいと思った。しかし、そのカーテンの向こう側の世界が顔を覗かせることはなく、次第にジェフの真似事をする回数は減っていった。

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