働いてたらリッチー

@nuco1929

第1話 偉い人は言った、死体を転がせと!

「波多野主任、何か臭くないですか?」


 会社でパソコンのディスプレイを眺めながら今度の企画の打ち合わせをしていると唐突に女性社員から声を掛けられた。


「そういえば、最近仕事が忙しくて家に帰れていないし、一週間ぐらい風呂に入ってないから、俺臭うかもしれないわ」


 企画書に赤ペンで修正を入れながら、顔も見ずに相手に答える。


「えぇっと、波多野主任、質問いいですか?」

「いいよ」

「私の気のせいだといいのですが、ここ一か月ぐらいずっと会社で暮らしていませんか? いないところ見たことなくて、休む以前に家に帰っていますか?」


 企画書から目を上げると心配そうにこちらを見つめている後輩女性社員と目があった。


「帰ってないね」


 今気づいた感じでそれとなく肯定すると立て続けに言葉を繋ぐ。


「俺にも、年の離れた妹がいてね。27才の大の大人が、加齢臭に気を付けていないのがばれたら大目玉だよ。今日は早めに帰るよ。理沙ちゃん、ありがとうね」


「単にお風呂入れないぐらい仕事しているのがおかしいです。私、加齢臭とか思ってないですから、本当に今日は定時で帰ってください。課長いいですよね?」


 理沙ちゃんは、怒ったような大声で課長に詰め寄る。


「波多野主任、気づけなくて御免ね。今日は出来るだけ早めに帰っていいからね」


 理沙ちゃんの鋭い視線から逃れたいのだろう課長は首をすくめながら、消え入りそうな声で許可を出した。



「おつかれさまでした」


 頭を下げて、終業の挨拶をするとオフィスのエレベーターに向かう、腕時計を見ると6時過ぎだった。久しぶりに退社する。

 ん、何かおかしいと思うかい?

 もしかして、正しい日本語は退 じゃないかって?

 でも間違いじゃないんだ。本当に一か月ぶりに会社を出て帰宅するんだ!

 そう、俺こと波多野 徹はいわゆる社畜というやつだ。最近は、残業が月に300時間を超えていると思うがもはやどうでもよくなってきていた。

 大通りを抜けて、人通りの少ない歩道をとぼとぼと歩いていると、横断歩道の青信号が点滅し始める。

 俺は急いで渡ろうと走りだそうとしたが、思いとどまった。今日ぐらいゆっくり帰ろう。

 風が吹いた――。

 不意に、目の前をすごいスピードでトラックが通り過ぎたのだ。


「危なっ! 最近危険運転のやつ増えすぎじゃないか? プロ意識はないのか? 確実に赤信号じゃねぇか!」


 走り去っていくデコトラに向ってやり場のない暴言を吐き捨てた。

 しかし、やけに真新しい車体だ。

 白ナンバーの自家用ナンバー。

 荷台のハコに と書かれたトラックは、遠ざかっていく。

 新人ドライバーが運転しているのだろうか? トラック野郎に憧れているなら、運転テクニックをまず真似してもらいたいと勝手な感想を抱く。

 信号が青になったので、歩き始める。

 しばらくすると、上の方から大声が聞こえた。


「ちょっと君! なんでトラックに轢かれないの? 本当に、勘の良い歩行者は嫌いだよ! 最悪」


 吐き捨てるような口調である。

 サイコパスの運転手なのか?

 しかも、若い女性の声だ。

 嫌々、運転手の面を拝もうと顔を上げたら相手の顔が物凄い光の渦で掻き消えていく。

 こんなに不自然な光は、例えるならエロいアニメの理不尽な光線に似ているなと思っていると意識が遠のいていく。



「目を覚ましてください」


 優しく、揺り動かされている。


「徹さん、目を覚ましてください」


 優しく頭をなでられているようだ。


「さっさと起きろ!」


 左ほほに激痛が走る!

 はっとして目を覚ます。

 俺は、吸い込まれるような青い瞳に、映る自分の姿に驚く。顔がくっつくのではないかと勘違いするくらい近い女の子に狼狽する。――かわいい。

 思考が止まること数秒、はっとして、周りを見回すとトラックの助手席に座っていた。気絶して、見惚れていたのは理解したがその後どうなったのか全く分からない。


「どうなったんですか?」

「驚かないでください。あなた死んでいます!」


 サラサラの赤髪と、切れ長の目が印象的な美人さんが、真剣な顔で俺を見つめている。


「嘘でしょう?」

「嘘ではありません。生きていたら、私がトラックで轢き殺す予定でした!」


 美人が残念そうに、俺の殺害計画を宣言する。


「…………」


 どうやら、気絶して思考が追い付けていないようだ。もう一度聞いてみよう。


「俺が死んでいるなんて、美人さん冗談きついですよ?」

「ええっと、信じられないのは当たり前だと思います。女神である私も、現代日本でリッチーになっている方を見るのは初めてですし、他の神々も見た方はいないと思いますから……」


 自分のことを女神と言って恥ずかしいのかな? もしくは、他の原因なのか分からないが自称女神様は耳まで赤くなっている。

 しかし、日本って、金持ちが少ないのかね?

 俺の周りには確かに、すごい金持ちのやつはいないが……。


「すごい美人さんなので、女神っていうのは分からなくもないですけど、俺はリッチな男じゃないよ? しがない会社員で年収も300万位だし……」


 頭の中に『金持ちですと勘違いさせて、超美人の自称女神様ともっとお近づきになりたい!』という悪魔の囁きが木霊していたが、本当のことを正直に話した。


「えっと、あなたがリッチーというのは、お金持ちということではなくてですね。アンデットのリッチーに変化していて、人間としてはもう死んでいるということです」


 女神様は、耳たぶまで赤くしながらも、確信をもっているかのように力強く答えた。


「そういわれても、死んでいる実感がないのですが……」


 体をあちこち触ってみるが、傷もないし血もでていない。


「まぁ、リッチーに変化してから時間が経っていませんから、今は肉体が腐り始めてブタ臭くなっているぐらいですかね? 実感はありませんでしたか? 死後硬直とか?」

「そういえば、理沙ちゃんに臭いって言われたな……」

「そうですよね。私もブタ臭いと思いますもん」


 女神様はうんうんと頷く。


「それと、昨日深夜に、突然金縛りにあったように手足が動かなくなって、企画書作っていたパソコンのマウス動かすのに苦労したわ」

「いや、それ死後硬直ですよ。それに、普通金縛りにあって、仕事しますか? 私だったら手じゃなくても足攣っただけで早退しますよ?」


 女神様は心底驚いているのだろう、目を剥いている。


「てっきり俺の魂以外の肉体が、睡眠を渇望してストライキを起こしたなと直感したんだが、俺たちの残業はこれからだ――って、血が騒いで根性でキーボード叩いてやったわ」


 俺は力強く拳を突き上げ、力説する。


「それで、人生打ち切りですか……。俺先生の次回の人生あるといいですけど……。私が言うのもあれですけど、命あっての物種ですよ」


 女神様に呆れた口調で諭される。

 俺は意気消沈して力なく拳を下げた。


「そうですよね……。でも、あなたが本当に女神様だったら、俺は蘇生して貰えるんですよね? 俺、本当にラッキーですよね? 女神様のために何でもしますよ?」


 縋るような声で、美人女神様にお願いする。


「結論から言うと、無理。神にもルールがあるのよ。人間は知らないかもしれないけど、魂の3Rという原則があってね……」


 それから、しばらく女神様の説明があったのだが、要約すると魂の3Rとは、


一、リデュース(転生抑制)

  生きている人の人生は、一回しかない。

大切にしましょう。女神様は、死後三時間以内なら、同一条件で継続(コンティニュー)を死者が希望の場合は、蘇生できるらしい。


二、リユース(前世有り転生)

  女神様が奇跡を必要と判断し、事前に天界法の許可を得た上で、死者が転生に同意した場合、死後三時間以内ならば、その魂はそのまま転生(いわゆる強くてニューゲーム)できるらしい。


三、リサイクル(前世無し転生)

  女神様が、死後三時間以内の魂、数百人分を転生炉の中に入れて煮込んだり、遠心分離して、魂を再生させること。世間一般に言われる輪廻転生(ニューゲーム)


 ということらしい。

 つまり、死んでから三時間以上経っている俺は蘇生できないし、そのまま転生できないらしい。

 しかも、よくよく考えてみると、魂の3R関係ないじゃねーか! 時間的に無理なだけじゃないか。

 女神様ただの説明好きなのか?

 それに、未だに死んだ実感が全くないし、この与太話が本当なのかも疑わしい。

 もうしばらく自称女神様の話を聞かないとなぁ……。

 しかし、一か月ぶりに、家に帰るだけだったはずなのだが……。

 俺は頭を抱えながら呟いた。


「どうしてこうなった」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る